論語」カテゴリーアーカイブ

孔子の論語 先進第十一の四 回や、我を助くる者に非ざるなり

孔子の論語の翻訳267回目、先進第十一の四でござる。

漢文
子曰、囘也非助我者也、於吾言無所不説。

書き下し文
子曰わく、回(かい)や、我を助くる者に非(あら)ざるなり。吾(わ)が言(げん)に於(おい)て説(よろ)こばざる所なし。

英訳文
Confucius said, “Yan Hui cannot discuss with me. He never object against my theory.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「顔回は私と議論をして私の学説を高めてくれる者ではない。彼は私の意見に反論する事が無いからだ。」

Translated by へいはちろう

顔回(がんかい:顔淵とも呼ぶ。姓は顔、名は回、字は子淵。詳細は公冶長第五の九に。)

為政第二の九にもある通り、顔回は弁論の人でなく実践の人でござった。孔子の言葉を信じて自分の正しいと思うところをひたすらに実践し、その正しさを検証する事があまり無かったのではないでござろうか。孔子はそんな顔回を儒学者の理想像として認めながらも、学者として顔回と議論ができない事を残念に思っていたのでござろう。

拙者が思うに、顔回は孔子の言う仁というものを頭ではなく肌身で知っていた人物だったのではないかと思うのでござる。孔子の掲げる儒学の基本は、「人は学問によって仁礼を学び、他者の手本となる事で社会全体が良くなる」という事でござるが、顔回の仁は学んで得たものではなく、彼に備わっていた人柄だったのでござる。

これは「道」を学んで理解できるものでは無いとした老子の考えに通じるものがあり、顔回という人物はその存在自体が儒学に対する大きなアンチテーゼ(反定立・反論)なのでは無いかと思う次第でござる。

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孔子の論語 先進第十一の三 徳行には顔淵、閔子騫、冉伯牛、仲弓

孔子の論語の翻訳266回目、先進第十一の三でござる。

漢文
徳行顔淵閔子騫冉伯牛仲弓、言語宰我子貢、政事冉有季路、文學子游子夏。

書き下し文
徳行(とくこう)には顔淵(がんえん)、閔子騫(びんしけん)、冉伯牛(ぜんはくぎゅう)、仲弓(ちゅうきゅう)、言語(げんご)には宰我(さいが)、子貢(しこう)、政事(せいじ)には冉有(ぜんゆう)、季路(きろ)、文学(ぶんがく)には子游(しゆう)、子夏(しか)。

英訳文
Yan Yuan, Min Zi Jian, Ran Bo Niu and Zhong Gong were good at practice of virtue. Zai Wo and Zi Gong were good at speech. Ran You and Ji Lu were good at politics. Zi You and Zi Xia were good at literature.

現代語訳
顔淵(がんえん)、閔子騫(びんしけん)、冉伯牛(ぜんはくぎゅう)、仲弓(ちゅうきゅう)は徳の実践に優れていた。宰我(さいが)、子貢(しこう)は弁舌に優れていた。冉有(ぜんゆう)、季路(きろ)は政務に優れていた。子游(しゆう)、子夏(しか)は文学に優れていた。

Translated by へいはちろう

孔門十哲(四科十哲)

顔淵(がんえん:顔回とも呼ぶ。姓は顔、名は回、字は子淵。詳細は公冶長第五の九に。)

閔子騫(びんしけん:姓は閔、名は損、字は子騫。詳細は雍也第六の九に。)

冉伯牛(ぜんはくぎゅう:姓は冉、名は耕、字は伯牛。詳細は雍也第六の十に。)

仲弓(ちゅうきゅう:姓は冉、名は雍、字は仲弓。詳細は雍也第六の一に。)

宰我(さいが:姓は宰、名は予、字は子我。詳細は八佾第三の二十一に。)

子貢(しこう:姓は端木、名は賜、字は子貢。詳細は公冶長第五の九に。)

冉有(ぜんゆう:姓は冉、名は求、字は子有。詳細は八佾第三の六に。)

季路(きろ:子路とも言う。姓は仲、名は由、字は子路。詳細は公冶長第五の七に。)

子游(しゆう:姓は言、名は偃、字は子游。詳細は雍也第六の十四に。)

子夏(しか:姓は卜、名は商。字は子夏。詳細は雍也第六の十三に。)

今回の文は前回と併せて一つの文を見る事も多いでござる。やはりこの様な多種多彩な人間のドラマがあるのが論語の良いところの一つでござるな。

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孔子の論語 先進第十一の二 我に陳、蔡に従う者は、皆門に及ばざるなり

孔子の論語の翻訳265回目、先進第十一の二でござる。

漢文
子曰、從我於陳蔡者、皆不及門者也。

書き下し文
子曰わく、我に陳(ちん)、蔡(さい)に従う者は、皆門に及ばざるなり。

英訳文
Confucius said, “All disciples who accompanied me to Chen and Cai are no longer my disciples.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私に付き添って陳(ちん)や蔡(さい)に行った弟子達は、皆私の元を去ってしまったなぁ。」

Translated by へいはちろう

孔子はBC497(孔子56歳)年に魯国を出て諸国を旅し、途中何度か命の危険にさらされた事もあったのでござる。孔子と苦楽を共にした弟子達もある者は仕官して社会に出て、ある者は死亡していなくなってしまったと喜びとも哀しみともつかずにおっしゃったのでござろう。

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孔子の論語 先進第十一の一 先進の礼楽に於けるや、野人なり

孔子の論語の翻訳264回目、先進第十一の一でござる。

漢文
子曰、先進於禮樂野人也、後進於禮樂君子也、如用之、則吾從先進。

書き下し文
子曰わく、先進(せんしん)の礼楽(れいがく)に於(お)けるや、野人(やじん)なり。後進(こうしん)の礼楽に於けるや、君子なり。如(も)しこれを用うれば、則(すなわ)ち吾(われ)は先進に従わん。

英訳文
Confucius said, “Courtesy and music were unrefined in ancient times. Now, they are refined. But I prefer ancient style to modern style.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「昔、儀礼と音楽は洗練されず粗野であった。今では儀礼も音楽も洗練されてはいるが、私は昔の(素朴だが形式より真心を重んじる)やり方を見習いたいと思う。」

Translated by へいはちろう

最初は思いやりから出たマナーやルールが時間が立つにしたがってマナーのためのマナー、ルールのためのルールを生み出して結局始めの目的を見失ってしまう事態になるのはよくある事でござるな。

これは絵を描く作業に例えれば解り易いかも知れないでござる。
何か足りないと筆を一つ入れる、すると他の部分が物足りなく感じられてまた筆を入れる、それを繰り返しているうちに取り返しが付かなくなって絵を駄目にしてしまった事はないでござるか?

物事というのは足し算ばかりでは成り立たないので適度に引き算を入れる事が重要でござる。わび・さび(侘・寂)などに代表されるように日本は無いものを足す文化ではなく、本当に大切なものだけ残す引き算の文化だと拙者などは思うのでござるが、マナーやルールという話になると足し算ばかりしたがる人が多いのは何故でござろうか?

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孔子の論語 郷党第十の二十三 色みて斯に挙り、翔りて而して後に集まる

孔子の論語の翻訳263回目、郷党第十の二十三でござる。

漢文
色斯擧矣、翔而後集、曰、山梁雌雉、時哉、時哉、子路共之、三嗅而作。

書き下し文
色(いろ)みて斯(ここ)に挙(あが)り、翔(かけ)りて而(しか)して後に集(とど)まる。曰わく、山梁(さんりょう)の雌雉(しち)、時なるかな、時なるかな。子路(しろ)これを共(きょう)す。三たび嗅ぎて作(た)つ。

英訳文
1. “Birds take off by seeing human. They fly about for some time, then they land on the safe place.” Confucius said about this poem, “There is a female pheasant on a mountain bridge. It’s timely. It’s timely.” Zi Lu thought Confucius told him that he wanted to eat it. Zi Lu caught and cooked it for Confucius. Confucius did not eat it but smelled it three times.

2.”Birds take off by seeing human. They fly about for some time, then they land on the safe place.” Confucius said about this poem, “There is a female pheasant on a mountain bridge. It may know timing. It may know timing.” Zi Lu fed it. But it did not eat but smelled food three times, and flied away.

現代語訳
1.「鳥は人を見て飛び立ち、しばらく飛び回って安全な場所へ着地する」
孔子がこの詩を思い出しておっしゃいました、
「山の橋の上に雌のキジがいる。ちょうど良い、ちょうど良い。」
子路は孔子がこのキジを食べたがってると思い、捕らえて調理して孔子にだした。孔子は三度匂いを嗅がれただけで食べずに席から立ち上がられました。

2.「鳥は人を見て飛び立ち、しばらく飛び回って安全な場所へ着地する」
孔子がこの詩を思い出しておっしゃいました、
「山の橋の上に雌のキジがいる。いつ飛び立つかな?いつ飛び立つかな?。」
子路がこのキジに餌をやると、キジは餌の匂いを三度嗅いだだけで食べずに飛び去ってしまいました。

Translated by へいはちろう

子路(しろ:孔門十哲の一人。詳細は公冶長第五の七に。)

1は古注の解釈で、2は新注の解釈でござる。

両方の解釈に共通している事は、孔子が詩を愛されてその情緒を大事にされていたという事でござるな。古注の方では子路がその情緒を理解せずに無粋な真似をしたと解釈していて、新注では逆に場の情緒に彩りを与える行動をしているのが実に面白い違いでござる。

新注の解釈をさらに掘り下げていくと放浪の身であった孔子自身をキジになぞらえて見る事ができるでござるな。各国を転々として理想の実現を追い求めるが理想が適わぬと知ればまた次の国へ旅を続ける孔子は、もしかしたら自分をキジに見立てていつその国を離れるべきか思案していたのではないか?と考えるのは考えすぎでござろうか?

今回で郷党第十は終了し、明日からは先進第十一でござる。

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