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孔子の論語 子罕第九の九 鳳鳥至らず、河、図を出ださず

孔子の論語の翻訳217回目、子罕第九の九でござる。

漢文
子曰、鳳鳥不至、河不出圖、吾已矣夫。

書き下し文
子曰わく、鳳鳥(ほうちょう)至らず、河(か)、図(と)を出ださず。吾やんぬるかな。

英訳文
Confucius said, “A Phoenix has not appeared. A holy chart has not appeared from the Yellow River. (these are Chinese ancient holy omens.) I think it’s all over.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「世を治める聖天子の出現の前兆である鳳凰は現れない。人々に天の英知を与える図書も黄河から出てこない。もうお終いだな。」

Translated by へいはちろう

鳳凰(ほうおう:中国の伝説の聖獣。混乱した世の中を治める聖天子の出現の前に現れるとされる。舜帝や周の文王の時代に出現したとされる。)

黄河からの図書(周易に伝わる伝説。易で使われる八卦の図は黄河から龍馬と呼ばれる聖獣が出現し、その背中に背負われていた図書に書かれていたという。また洛水からは神亀が洪範九疇の書を背負って出現したとされる。八卦と洪範九疇はともに陰陽五行説の根幹をなしている。二つの伝説を併せて、河図洛書(かとらくしょ)と呼ばれる。「天、象を垂れ、吉凶を見す。聖人これに象る。河は図を出し、洛は書を出す。聖人これに則る」)

若い頃より学問の道に志し、名君に仕えて理想を実現する事を目指した孔子。しかし実際には現実に敗れて失意の晩年を過ごしたのでござるが、今回の文章からは孔子のお気持ちが痛いほど伝わってくるようでござる。

しかしまさか孔子自身が死後に伝説の聖天子をも超える聖人として人々から敬われるようになるとは、夢にも思わなかったでござろうな。皮肉なものでござる。

子罕第九の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 子罕第九を英訳を見て下され。

孔子の論語 子罕第九の八 我其の両端を叩いて竭くす

孔子の論語の翻訳216回目、子罕第九の八でござる。

漢文
子曰、吾有知乎哉、無知也、有鄙夫、來問於我、空空如也、我叩其兩端而竭焉。

書き下し文
子曰わく、吾知ること有らんや、知ること無きなり。鄙夫(ひふ)あり、来たりて我に問う、空空如(こうこうじょ)たり。我其の両端(りょうたん)を叩いて竭(つ)くす。

英訳文
Confucius said, “Do I have wisdom? No, I do not. When someone visits me to ask a question, I always reply understanding what he is saying, even if he is a poor talker.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私を物知りだと思うのか? いいや私は物知りなのでは無い。例えば口下手な人がやってきて私に何かを質問したとする、私はいつでも彼の意図するところを理解しながら返答してあげているだけなのだ。」

Translated by へいはちろう

知恵の本質を表している言葉でござるな。

どんな人の話でもきちんと聞き、そこから相手に解り易いような答えを導きだしてやるという孔子の有り様は、ぜひとも見習いたいものでござるな。簡単では無いだろうけど。

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孔子の論語 子罕第九の七 吾試いられず、故に芸ありと

孔子の論語の翻訳215回目、子罕第九の七でござる。

漢文
牢曰、子云、吾不試、故藝。

書き下し文
牢(ろう)が曰わく、子云(のた)まう、吾試(もち)いられず、故(ゆえ)に芸ありと。

英訳文
Lao said, “Confucius said to me, ‘I could not become an officer when I was young. So I learned various things to live.'”

現代語訳
牢(ろう)が言いました、
「先生が私におっしゃったことがある。”私は若い頃に官職に就く事が出来なかった。だから生計を立てるために様々な事を学んだのだ。”」

Translated by へいはちろう

(ろう:姓は琴、名は牢、字は子開。孔子の弟子の一人。)

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孔子の論語 子罕第九の六 吾少して賎し、故に鄙事に多能なり

孔子の論語の翻訳214回目、子罕第九の六でござる。

漢文
太宰問於子貢曰、夫子聖者與、何其多能也、子貢曰、固天縦之將聖、叉多能也、子聞之曰、太宰知我者乎、吾少也賤、故多能鄙事、君子多乎哉、不多也。

書き下し文
太宰(たいさい)、子貢(しこう)に問いて曰わく、夫子(ふうし)は聖者か。何ぞ其れ多能(たのう)なる。子貢が曰わく、固(もと)より天縦(てんしょう)の将聖(しょうせい)にして、 又た多能なり。子これを聞きて曰わく、太宰、我を知れる者か。吾少(わかく)して賎(いや)し。故に鄙事(ひじ)に多能なり。君子、多ならんや。多ならざるなり。

英訳文
A minister asked Zi Gong, “Is Confucius really a saint? He is too versatile as a saint.” Zi Gong replied, “Confucius is not only a great saint heaven dispatched, but also versatile.” Confucius heard this and said, “The minister knows me well. I was a person of low birth, so I grew up learning various things. should a gentleman be versatile? I don’t think so.”

現代語訳
ある国の大臣が子貢(しこう)に尋ねました、
「孔子は本当に聖人でしょうか?それにしてはあまりにも多芸・多才です。」
子貢はこう答えました、
「先生は天がお遣わしになった偉大な聖人であるだけでなく、また多芸・多才なのです。」
孔子はこれを聞いておっしゃいました、
「その大臣は私の事をよく解っているな。私は生まれが低い身分だったので、様々な事を学びながら生きてこなければならなかっただけだ。人格者というものは多芸・多才であるべきだろうか?私はそうは思わない。」

Translated by へいはちろう

子貢(しこう:姓は端木、名は賜、字は子貢。孔門十哲の一人。詳細は公冶長第五の九に。)

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孔子の論語 子罕第九の五 文王既に没したれども、文茲に在らずや

孔子の論語の翻訳213回目、子罕第九の五でござる。

漢文
子畏於匡、曰、文王既沒、文不在茲乎、天之將喪斯文也、後死者不得與於斯文也、天之未喪斯文也、匡人其如予何。

書き下し文
子、匡(きょう)に畏(おそ)る。曰わく、文王(ぶんおう)既に没したれども、文茲(ここ)に在らずや。天の将(まさ)に斯(こ)の文を喪(ほろ)ぼさんとするや、後死(こうし) の者、斯の文に与(あず)かることを得ざるなり。天の未(いま)だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人(きょうひと)其れ予(わ)れを如何(いかん)。

英訳文
People of Kuang arrested Confucius and his pupils to harm them. Confucius said, “King Wen was dead already. But I have succeeded to the culture he made. If heaven had wanted to ruin this culture, I would not have been able to succeed to it. But heaven has not ruined this culture yet. What on earth can people of Kuang do to me?”

現代語訳
匡(きょう)の人々が孔子と弟子達を捕らえて危害を加えようとした。
その時孔子はおっしゃいました、
「周の文王(ぶんおう)は既に亡くなっているが、彼の始めた文化は私が受け継いでいる。もし天が彼の始めた文化を滅ぼしてしまおうとお考えなら、そもそも私がそれを受け継げる道理が無い。しかし現に私がその文化を受け継いでいる以上は、匡の人々ごときが天に逆らって私をどうにかできるはずもない。」

Translated by へいはちろう

文王(ぶんおう:武王の父。詳細は泰伯第八の二十に。)

今回の話は孔子一行が衛の国を出て陳の国へ向かう途上で、魯の国で一時期権勢を誇った陽貨という人物と間違われて陽貨に恨みを抱く匡の人々に捕らえられてしまった時のエピソードでござるな。

結局は弟子を使って衛の国へ救援を求めて、衛の国の兵隊よって助け出されるのでござるが、述而第七の二十二でも同じ様に「自分には天命があるから、こんな所で死ぬわけが無い」とおっしゃっているでござる。

孔子にたとえ天命があっても、弟子たちはどうか解らない・・・というツッコミはさておいて、為政第二の四で「50にして天命を知る」とおっしゃっているように、自分の命が既に自分のものでは無いと自覚しておいでだったのでござろう。当然のことながら、孔子が勝手にあきらめて死ぬことも許されないと思っていたに違いないでござるな。

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