学問のすすめ 四編 段落六 その三 日本には唯政府ありて、未だ国民あらずと云うも可なり

学問のすすめの翻訳、四編 段落六 その三でござる。

現代語訳

例えば、近頃出版されている新聞や諸方から政府に対して行われる上申や建言もその一例である。出版に対する規制はそれほど厳しいという訳でもないのに、新聞の紙面を見れば政府の機嫌を損ねる様な内容は決して載せないばかりか、政府の行いに少しでも良い点があれば、それを実際よりも大げさに褒め称えて、まるで商売女が客に媚びを売っているかの様である。

また上申書や建白書を見れば、その文章は卑屈を極め、政府を崇め奉ることまるで鬼神の様な有様で、自らは罪人の様に卑しめ、同じ世界に住む人間同士とは思えない虚飾に満ちた文章を用いていながら、それを恥じる者すらいない。この様な文を読んでその人となりを想像すれば、単なる狂人としか思えない程である。

だがしかし、今この新聞を出版する者、あるいは政府に上申をする者達は、ほぼ全員が世に言う洋学者流の人々で、個人的な人となりを見れば商売女という訳でもなければ狂人でもない。それにも関わらず彼らの不誠実さが、この様な酷い有様となってしまう理由は、世間に未だ民権について率先して唱える人物の実例がないからであって、それ故に例の卑屈なる気風に流されて特に考える事もなく同調し、国家の民たる本領を発揮できずにいるからである。

これを要約すれば、日本には政府はあっても未だ国民は存在しないと言える。これだから人民の気風を洗い流して世の文明を発展させるためには、現在の洋学者流の人々にも頼る事ができないのである。

英訳文

For instance, newspapers these days and petitions to the government are cases in point. Although restrictions on publishing are not so strict, there is no criticism against the government. Moreover, when the government does something good, they praise it with exaggeration, as if they were prostitutes flattering their customers.

And speaking of the petitions, their writing styles are always extremely humble as if they worshipped the government like a fierce god or they were criminals. They use hollow compliments which should not be used in equal human society and nobody feels ashamed by that. Reading such things, I cannot help but think that they are insane.

However, almost all who publish the newspapers or make the petitions are scholars of Western studies now. When I watch them in person, they are not necessarily prostitutes or insane. Nevertheless, they are incredibly unfaithful. It is because there is no person who advocates civil rights, and they are controlled by the spirit of servility, follow the spirit without thinking and cannot exercise the rights as the people.

In a word, there is only the government but not the people in Japan. So, to clear up the spirit of the people and develop the civilization, you cannot rely on the scholars of Western studies of today.

Translated by へいはちろう

明治維新というとまず最初に政治制度の変革や科学技術の流入が注目されがちでござるが、言論や出版の大変革期でもあるでござるな。何しろこれ以前には地域や階級ごとに別れた言語はあっても共通語としての日本語が無かったのだから、その変革の大きさは推してしるべしでござるな。またその変革を担った当時の言論人達の名前も福沢諭吉をはじめとして、わざわざここで挙げる必要もないでござろう。

福沢がここで言ってるのはいわゆる権力のチェック機構としての言論や報道の重要性でござろう。これまでに福沢が二編 段落六などで言って来たように政府と国民は対等の社会契約を結んでいる関係でござるから、相互にその契約を守る義務がある。そして政府がその義務を十分に果たしているか否かをチェックする機構が言論・出版界という訳でござる。ちなみに国民の側をチェックするのは警察やその他の役所でござるな。

という事で、言論や出版は本来国民の側に立って活動をすべきなのに、政府の顔色をうかがってばかりで情けない、という様な事を福沢は言いたいのでござろう。まあ言っている事は正しく、当時としては先進的な見解でござるが、国民が常に真実を喜ぶとは限らないという残念な現実もあるので、現代人の我々から見るとやはりどこか牧歌的な印象を受けてしまうでござるな。これはどちらかと言うと、情報の受け取り手である国民の側の問題かも知れないでござるが。

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