論語」カテゴリーアーカイブ

孔子の論語 陽貨第十七の二十二 これを為すは猶お已むに賢れり

孔子の論語の翻訳467回目、陽貨第十七の二十二でござる。

漢文
子曰、飽食終日、無所用心、難矣哉、不有博奕者乎、爲之猶賢乎已。

書き下し文
子曰わく、飽くまで食らいて日を終え、心を用うる所無し、難(かた)いかな。博奕(はくえき)なる者あらずや。これを為すは猶(な)お已むに賢(まさ)れり。

英訳文
Confucius said, “A person who eats to the full and thinks nothing is a good-for-nothing. There are go and chess. You had better do them than doing nothing.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「腹一杯食べるだけで一日何もせず何も考えない、困り者だな。囲碁や将棋というものがあるだろう。たとえ遊びでも何もしないよりは役に立つ。」

Translated by へいはちろう

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孔子の論語 陽貨第十七の二十一 子生まれて三年、然る後に父母の懐を免がる

孔子の論語の翻訳466回目、陽貨第十七の二十一でござる。

漢文
宰我問、三年之喪期已久矣、君子三年不爲禮、禮必壊、三年不爲樂、樂必崩、舊穀既沒、新穀既升、鑚燧改火、期可已矣。子曰、食夫稻、衣夫錦、於女安乎。曰、安。女安則爲之、夫君子之居喪、食旨不甘、聞樂不樂、居處不安、故不爲也、今女安則爲之。宰我出。子曰、予之不仁也、子生三年、然後免於父母之懷、夫三年之喪、天下之通喪也、予也有三年之愛於其父母乎。

書き下し文
宰我(さいが)問う、三年の喪は、期にして已(すで)に久し。君子三年礼(れい)を為さずんば、礼必ず壊(やぶ)れん。三年楽(がく)為さずんば、楽必ず崩(くず)れん。旧穀(きゅうこく)既に没(つ)きて、新穀(しんこく)既に升(のぼ)る、燧(すい)を鑽(き)りて火を改む。期にして已(や)むべし。子日わく、夫(か)の稲を食(くら)い、夫の錦(にしき)を衣(き)て、女(なんじ)に於いて安きか。日く、安し。女安くんば則ち之を為せ。夫(そ)れ君子の喪に居る、旨きを食うも甘からず、楽を聞くも楽しからず、居処(きょしょ)安からず。故に為さざるなり。今女安くんば則ち之を為せ。宰我出(い)ず。子日わく、予の不仁なるや。子生まれて三年、然る後に父母の懐(ふところ)を免(まぬ)がる。夫れ三年の喪は天下の通喪(つうそう)なり。予や、三年の愛其の父母に有るか。

英訳文
Zai Wo asked, “I think three years mourning is too long a bit and one year is long enough. If gentlemen do not manage courtesy for three years, it will be spoiled. If gentlemen do not play music for three years, it will be spoiled. In one year, old rice run out and new rice bear fruit. We change an ignition wood of a kitchen range every year. One year is long enough, isn’t it?” Confucius replied, “After one year from your parents death, can you eat foods tastily and wear clothes comfortably?” Zai Wo said, “Yes, I can.” Confucius replied, “So, you can do it. A gentleman in mourning cannot eat foods tastily, cannot enjoy music and cannot live in comfort. So he does not do it. You can do it, if you can.” After Zai Wo left the room, Confucius said, “He has no benevolence. A child grows in parents’ bosom for three years. So three years mourning took root in the world. He also received love from his parents for three years, didn’t he?”

現代語訳
宰我(さいが)が尋ねました、
「三年の服喪は少し長すぎではありませんか? 私は一年で十分だと考えます。人々の手本たるべき君子が三年も礼を行わないのでは、礼が廃れます。君子が三年も音楽から遠ざかるのでは、音楽が廃れます。一年あれば古米はなくなり、新米が実るというものです。竈の火起こしに使う摺木も一年で取り替えます。一年で十分ではないでしょうか?」
孔子は、
「たった一年で、おいしく御飯を食べ、立派な服を着て、それでなんとも思わないのか?」
とおっしゃりました。宰我が、
「なんとも思いません。」
と答えると、孔子は、
「それならば好きなようにすると良い。喪中の君子は、御飯を食べてもおいしくなく、音楽を聴いても楽しくなく、家にいても気持ちが安らがない、だからそうしないのだ。なんとも思わないのであれば、好きなようにすると良い。」
とおっしゃりました。宰我が部屋を出た後で孔子は、
「彼に仁の心はないな。生まれて来た子供は三年間両親の腕の中で育つ。だから三年の喪が習慣として定着しているのだ。彼もまた両親の腕の中で愛情を受けたであろうに。」
とおっしゃりました。

Translated by へいはちろう

宰我(さいが:姓は宰、名は予、字は子我。詳細は八佾第三の二十一に。)

現代日本の服喪期間が一年である事はとりあえずおくとして、

宰我の視点は三年という長さが非合理的だと主張しているのでござるが、孔子は愛情や悲しみというそれ自体が非合理な感情が治まるのに必要なのが三年なのだとおっしゃっているのでござるな。

理屈から答えを出す宰我と、人の感情から答えを導き出す孔子といった感じでござる。

この文だけだと宰我がただの冷血漢みたいな印象でござるが、墨子も節葬で三年の喪など無駄と説いており、儒学の主張する厚葬が下層階級の人々にとって大きな負担になっていたのも事実でござる。

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孔子の論語 陽貨第十七の二十 孺悲、孔子に見えんと欲す

孔子の論語の翻訳465回目、陽貨第十七の二十でござる。

漢文
孺悲欲見孔子、孔子辭之以疾、將命者出戸、取瑟而歌、使之聞之。

書き下し文
孺悲(じゅひ)、孔子に見(まみ)えんと欲す。孔子辞するに疾(やまい)を以(もっ)てす。命を将(おこ)なう者、戸を出(い)ず。瑟(しつ)を取りて歌い、これをして聞かしむ。

英訳文
Ru Bei visited Confucius (without an appointment). Confucius did not meet him with pretended illness. When the errand left the door, Confucius sang and played the Se (a kind of stringed instrument) to inform Ru Bei that he pretended illness.

現代語訳
孺悲(じゅひ)が(約束もなく)孔子に会おうと訪れたが、孔子は仮病を使ってお会いになられなかった。取次ぎの者が戸口を出るとき、孔子は瑟(しつ)を奏でながら歌って仮病だと解るようになされた。

Translated by へいはちろう

孺悲(じゅひ:魯の家臣。)

少し経緯を説明すると、孺悲は魯公の命令で士人に対する葬礼の詳細を孔子に聞きにきたのでござる。

しかし礼について教えを乞う為に訪れるにも関わらず、約束もなく目上の者を尋ねるという非礼を孺悲がしたので、仮病という形でそれとなく諭したと言う事でござるな。

「また来ます。」と言って去った孺悲も次はちゃんと礼節を通して孔子に会う事ができて、士人の葬礼の詳細を教わったと礼記の雑記下に書かれているでござる。

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孔子の論語 陽貨第十七の十九 天何をか言うや。四時行なわれ、百物生ず

孔子の論語の翻訳464回目、陽貨第十七の十九でござる。

漢文
子曰、予欲無言、子貢曰、子如不言、則小子何述焉、子曰、天何言哉、四時行焉、百物生焉、天何言哉。

書き下し文
子曰わく、予(わ)れ言うこと無からんと欲す。子貢(しこう)が曰わく、子如(も)し言わずんば、則(すなわ)ち小子(しょうし)何をか述べん。子曰わく、天何をか言うや。四時(しじ)行なわれ、百物(ひゃくぶつ)生ず。天何をか言うや。

英訳文
Confucius said, “I won’t say a word anymore.” Zi Gong asked, “If you say nothing, about what can we discuss?” Confucius replied, “Heaven says nothing. But the four seasons rotate and lives are born. Heaven says nothing.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私はもう何も言わない事にする。」
すると子貢(しこう)が、
「先生が何もおっしゃらなかったら、これから我々は何について論じれば良いというのですか。」
と言い、孔子は、
「天は何も語らない。しかし四季は巡り、生命は誕生する。天は何も語らない。(言葉以上に我々に語りかける)」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

子貢(しこう:姓は端木、名は賜、字は子貢。詳細は公冶長第五の九に。)

言葉を重んじる孔子が言うと説得力があるでござるな。時には言葉以上に沈黙が語る事もあるという事でござろうか。それとも時には孔子以外の事物に目を向けて見ろという教えでござろうか。

相手が子貢というところがまた良いでござるな。

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孔子の論語 陽貨第十七の十八 利口の邦家を覆すを悪む

孔子の論語の翻訳463回目、陽貨第十七の十八でござる。

漢文
子曰、惡紫之奪朱也、惡鄭聲之亂雅樂也、惡利口之覆邦家。

書き下し文
子曰わく、紫の朱を奪うを悪(にく)む。鄭声(ていせい)の雅楽(ががく)を乱るを悪む。利口の邦家(ほうか)を覆すを悪む。

英訳文
Confucius said, “I detest that purple spoils red. I detest that music of Zheng disturbs court music. I detest that glib vassals ruins a country.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「間色の紫が正色の赤を圧倒するのが憎い。鄭の淫らな音楽が宮廷の音楽を乱すのが憎い。口が上手いだけの輩が国をひっくり返すのが憎い。」

Translated by へいはちろう

「坊主憎けれりゃ、袈裟まで憎い。」ではないでござるが。乱れた世を憎むあまりに、色にまで文句を言うとは。

そういえば日本では袈裟の色も冠の色も紫が最上でござるよな。これも実は儒学と五行思想からきていて、漢代以降、五常の徳に仁=青、義=赤、礼=黄、智=白、信=黒をあてて、帝王の色として紫を用いていたからだそうでござる。冠位十二階が紫・青・赤・黄・白・黒の順でござるな。

でも近現代の中国で一般に皇帝の色とされるのは黄色でござるよな。なぜそうなったかは諸説あるそうでござるが、まったく歴史は面白いでござる。

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