論語」カテゴリーアーカイブ

孔子の論語 子罕第九の十四 君子これに居らば、何の陋しきことかこれ有らん

孔子の論語の翻訳222回目、子罕第九の十四でござる。

漢文
子欲居九夷、或曰、陋如之何、子曰、君子居之、何陋之有。

書き下し文
子、九夷(きゅうい)に居らんと欲す。或(あ)るひと曰わく、陋(いやし)きことこれ如何(いかに)せん。子曰わく、君子これに居らば、何の陋しきことかこれ有らん。

英訳文
Confucius wanted to emigrate to an uncivilized land. Someone asked, “How about civility? You don’t care?” Confucius replied, “If a gentleman lives there, people will be civilized by him.”

現代語訳
(中国では理想が叶えられそうにないので)孔子は未開の国へ移り住みたいと考えていました。ある人が尋ねました、
「未開の土地の人々は野蛮で粗野ですが、気にならないのですか?」
孔子は答えました、
「人格者が移り住み彼らを教化すれば、彼らは文明と礼儀を見につけるでしょう。」

Translated by へいはちろう

文明や文化というものは土地ではなく人の精神に宿るというわけでござるな。

子罕第九の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 子罕第九を英訳を見て下され。

孔子の論語 子罕第九の十三 我は賈を待つ者なり

孔子の論語の翻訳221回目、子罕第九の十三でござる。

漢文
子貢曰、有美玉於斯、韜匱而藏諸、求善賈而沽諸、子曰、沽之哉、沽之哉、我待賈者也。

書き下し文
子貢(しこう)曰わく、斯(こ)こに美玉(びぎょく)あり、匱(ひつ)に韜(おさめ)て諸(こ)れを蔵(ぞう)せんか、善賈(ぜんこ)を求めて諸れを沽(う)らんか。子曰わく、これを沽らんかな、これを沽らんかな。我は賈(こ)を待つ者なり。

英訳文
Zi Gong asked, “If you have a precious stone, will you keep it in a box or sell it to a good customer?” Confucius replied, “I’ll sell it. I’ll sell it. I’ve been waiting for a customer.”

現代語訳
子貢(しこう)が孔子に尋ねました、
「ここに美しい宝玉があったとします。先生はそれを箱にしまってとっておきますか? それとも良い買い手を探して買ってもらいますか?」
孔子は答えました、
「売るだろう、売るだろう。私は良い買い手を待っているのだ。」

Translated by へいはちろう

子貢(しこう:姓は端木、名は賜、字は子貢。孔門十哲の一人。詳細は公冶長第五の九に。)

この美しい宝玉は孔子自身の例えでござる。子貢は孔子の教えを実践せずにいるのは惜しいと思って仕官の道を求めてはどうかと勧めたのでござる。

そして孔子の答えは仕官の道を求めるにしても、こちらからではなく主君に求められて仕官するのが理想だと答えたのでござる。

渓流で釣りをしているところを文王によって見出された太公望の様な形を理想だと思っていたのでござろうか。ただ実をいうと太公望は文王が自分のところにやって来るように自分の事を暗示した歌を民衆の間に流行らせたりと小細工をしたのでござるが。(当時の中国では民衆の間に流行る不思議な歌は天の啓示だと思われていた)

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孔子の論語 子罕第九の十二 子路、門人をして臣たらしむ

孔子の論語の翻訳220回目、子罕第九の十二でござる。

漢文
子疾病、子路使門人爲臣、病間曰、久矣哉、由之行詐也、無臣而爲有臣、吾誰欺、欺天乎、且予與其死於臣之手也、無寧死於二三子之手乎、且予縦不得大葬、予死於道路乎。

書き下し文
子の疾(やまい)、病(へい)なり。子路(しろ)、門人(もんじん)をして臣たらしむ。病、間(かん)なるときに曰わく、久しかな、由(ゆう)の詐(いつわ)りを行うや。臣なくして臣ありと為す。吾誰をか欺(あざむ)かん。天を欺かんか。且(か)つ予(わ)れ其の臣の手に死なんよりは、無寧(むしろ)二三子(にさんし)の手に死なんか。且つ予れ縦(たと)い大葬(たいそう)を得ずとも、予れ道路に死なんや。

英訳文
Confucius had got a critical illness. Zi Lu made other pupils pretend to be Confucius’s vassals. When illness was better, Confucius said, “Have you been deceiving for a long time? I don’t have any vassals. Who do you want to deceive? Heaven? I would rather be mourned by you as you are. Even if you cannot hold a grand funeral for me, I will not die on the roadside alone.”

現代語訳
孔子が病で危篤状態になられました。
子路(しろ)は弟子たちに孔子の家来のフリをさせ、孔子の最後を立派に飾ろうとしました。
病態が少しよくなった時に孔子はおっしゃいました、
「私が病で臥せっている間に随分長く偽りを行っていたものだな、家来のいる身分でないのに家来のフリをさせるとは。一体お前は誰を騙そうとしていたのだ、天を騙そうというのか? それに私は家来達に弔われるよりは本来のお前たちによって弔われたい。私は王侯貴族の様な盛大な葬儀をしてもらえなくとも、道端で孤独に死ぬわけではないのだから。」

Translated by へいはちろう

子路(しろ:孔門十哲の一人。詳細は公冶長第五の七に。)

子路らしいエピソードでござるな。生きて政治家として成功できなかった孔子のために、せめて立派な最後を飾らせてあげようとしたのでござろう。

しかし孔子はそんな子路の気持ちを汲み取りながらも、筋を通す事を諭すのでござる。この場にもし拙者が居合わせたとしたら、涙を留める自信が無いでござる。

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孔子の論語 子罕第九の十一 これを仰げば彌々高く、これを鑽れば彌々堅し

孔子の論語の翻訳219回目、子罕第九の十一でござる。

漢文
顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅、瞻之在前、忽焉在後、夫子循循善誘人、博我以文、約我以禮、欲罷不能、既竭吾才、如有所立卓爾、雖欲從之、末由也已。

書き下し文
顔淵(がんえん)、喟然(きぜん)として歎(たん)じて曰わく、これを仰げば彌々(いよいよ)高く、これを鑽(き)れば彌々堅し。これを瞻(み)るに前に在(あ)れば、忽焉(こつえ ん)として後(しりえ)に在り。夫子(ふうし)、循々然(じゅんじゅんぜん)として善く人を誘(いざな)う。我を博(ひろ)むるに文を以(もっ)てし、我を約(やく)するに礼を以てす。罷(や)まんと欲するも能(あた)わず。既(すで)に吾が才を竭(つ)くす。立つ所ありて卓爾(たくじ)たるが如(ごと)し。これに従わんと欲すと雖(いえど)も、由(よし)なきのみ。

英訳文
Yan Yuan said with sighs, “Confucius’s virtue is as high as I look up. His will is as solid as I cannot cut. But his thought is flexible as he appears behind me when I think he is in front of me. He leads people in order. He teaches me various knowledge with books and disciplines me with the courtesy. So I cannot quit his pupil. I have already done my best. But he is as high as he stands up at a mountain. I wish I could overtake him, but it is impossible.”

現代語訳
顔淵(がんえん)が溜息まじりに言いました、
「先生の徳は見上げるほどに益々高く、その意志は切りつけようとすれば益々固い。それでいて前に居たかと思うとふいに後ろに現れるように柔軟に物を考える。先生は順序よく人々を導き、私に対しては書物を用いて幅広い知識を教えて下さり、礼儀を用いて私を引き締めて下さる。それ故に私は先生の弟子を辞める事などできないのだ。私自身は出来る努力を尽くしているつもりなのだが、先生は高所にそびえ立って居られるかの様に私には感じる。出来れば私もその様な高みに達したいと思うのだが、まず無理であろう。」

Translated by へいはちろう

顔淵(がんえん:顔回とも呼ぶ。姓は顔、名は回、字は子淵。孔門十哲の一人。詳細は公冶長第五の九に。)

師にとって最大の幸福は良き弟子を得ること。弟子にとって最大の幸福は良き師を得ること。師弟にとって最大の幸福はお互いをよく理解し合う事。

まさに理想の師弟関係でござるな。

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孔子の論語 子罕第九の十 これを見ては少しと雖も必ず作ち、これを過ぐれば必ず趨る

孔子の論語の翻訳218回目、子罕第九の十でござる。

漢文
子見齊衰者冕衣裳者與瞽者、見之雖少者必作、過之必趨。

書き下し文
子、斉衰(しさい)の者と冕衣裳(べんいしょう)の者と瞽者(こしゃ)とを見れば、これを見ては少(わか)しと雖(いえど)も必ず作(た)ち、これを過ぐれば必ず趨(はし)る。

英訳文
When Confucius saw a person being in mourning, wearing full dress or a blind person, he always stood up to pay his respects even if they were younger than him. He also ran with short steps when he passed by them.

現代語訳
孔子は喪服を着た人と礼服を着た人と盲人を見かけた時は、たとえそれが年少者であっても立ち上がって敬意を表された。また彼らの側を通り過ぎる時には小走りになって敬意を表された。

Translated by へいはちろう

衛霊公第十五の四十二でも孔子は盲人の楽師に対して手取り足取り世話をしているでござるな。

当時の中国では盲人は楽師になる事が多かったようでござる。日本でも琵琶法師や座頭とよばれる按摩師・鍼灸師の人々は盲人であることが多かったのでござる。(座頭は本来は琵琶法師の位の名前)

京都のお土産で有名な「八橋」の名前の由来である八橋検校(やつはしけんぎょう)も盲人の楽師でござるな、彼らは朝廷や幕府から保護されて日本の音楽文化を支える役目を担っていたのでござる。

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