論語」カテゴリーアーカイブ

孔子の論語 公冶長第五の二十五 巧言令色足恭なるは、左丘明これを恥ず

孔子の論語の翻訳117回目、公冶長第五の二十五でござる。

漢文
子曰、巧言令色足恭、左丘明恥之、丘亦恥之、匿怨而友其人、左丘明恥之、丘亦恥之。

書き下し文
子曰わく、巧言(こうげん)、令色(れいしょく)、足恭(すうきょう)なるは、左丘明(さきゅうめい)これを恥ず、丘(きゅう)も亦(また)これを恥ず。怨みを匿(かく)して其の人を友とするは、左丘明これを恥ず、丘も亦これを恥ず。

英訳文
Confucius said, “Zuo Qiu Ming regarded being a flatterer as disgrace. I agree with him. And he regarded keeping surface relations with people whom he hated as disgrace. I agree with him.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「左丘明(さきゅうめい)は言葉巧みで愛想笑いが上手くてへつらいの上手い事を恥とした。私もそう思う。そして嫌いな人間とうわべだけの交際をする事を恥とした。私もそう思う。」

Translated by へいはちろう

左丘明(さきゅうめい:孔子の同時代の魯の家臣で、孔子の作と言われる春秋の現存する注釈書の一つである春秋左氏伝の作者と言われるが事実は不明。)

孔子は社交辞令を嫌ったという事でござるな。どちらかと言えば礼儀=社交辞令と思われがちなのでござるが全然違うのでござる。相手に真心と敬意を持って接する事が孔子の言う礼であって、自分の利益のためのおべっかは礼では無いのでござる。

では嫌いな人間に対しては無礼であっても良いのかと言うと、それも違うのでござるな。誰に対しても真心と敬意を持つ事が仁なのではないかと思う次第。

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孔子の論語 公冶長第五の二十四 孰か微生高を直なりと謂う

孔子の論語の翻訳116回目、公冶長第五の二十四でござる。

漢文
子曰、孰謂微生高直、或乞醯焉、乞諸其鄰而與之。

書き下し文
子曰わく、孰(たれ)か微生高(びせいこう)を直(ちょく)なりと謂(い)う。或(あ)るひと醯(す)を乞う(こ)。諸(こ)れを其(そ)の鄰(となり)に乞いてこれを与う。

英訳文
Confucius said, “Some people call Wei Sheng Gao an excessively honest person. But I don’t think so. When some person asked him for vinegar, he got it from a neighbor and gave it.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「微生高(びせいこう)を馬鹿正直などという者がいるが、私はそうは思わない。ある人が酢をもらいに彼の元へ行った時、隣人に借りてそれを与えたのだから。」

Translated by へいはちろう

微生高(びせいこう:尾生(びせい)とも言う。馬鹿正直の代名詞として荘子・戦国策・史記などに登場する。尾生は橋の下で女と会う約束をした。ところが女が来ない。河の水かさが増してきたが尾生はその場を立ち去らなかった。そして橋げたを抱いたまま死んでしまった。この事から命を懸けて約束を守ることや、馬鹿正直で融通が利かない事を「尾生の信」という。)

この人物は荘子の雑篇の中で盗跖(とうせき:こちらも盗賊の代名詞として数々の寓話に登場する)が孔子を非難する寓話に出てくるのでござるが、その非難の仕方が中々どうして見事なので一度機会があれば読んでいただきたいでござる。もちろん寓話なので作り話なのでござるが、わざわざ盗賊に言わせる所が老荘家の儒家に対する嫌悪感が如実に感じられる文でござる。その中で尾生は伯夷・叔齊らと並んで「名誉を重んじて大切な命を粗末にした愚か者」と断じられているのでござる。

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孔子の論語 公冶長第五の二十三 伯夷叔齊、旧悪を念わず

孔子の論語の翻訳115回目、公冶長第五の二十三でござる。

漢文
子曰、伯夷叔齊、不念舊惡、怨是用希。

書き下し文
子曰わく、伯夷(はくい)・叔齊(しゅくせい)、旧悪(きゅうあく)を念(おも)わず。怨(うら)み是(ここ)を用(もつ)て希(まれ)なり。

英訳文
Confucius said, “Bo Yi and Shu Qi did not blame the people for old errors even though they were honest. So few people had a grudge against them.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「伯夷(はくい)・叔齊(しゅくせい)の兄弟は清廉で悪を憎んだが、古い過失を咎める事はなかった。だから彼らに恨みを抱く人はほとんどいなかったのだ。」

Translated by へいはちろう

伯夷・叔齊(はくい・しゅくせい:孤竹国の公子の兄弟。父親は弟である叔齊に位を譲ろうとしたが兄を差し置いて位を受ける事を拒み、お互いに位を譲りあって国を出て周の文王の下へ身を寄せた。文王の後を継いだ武王が殷の紂王を討とうと挙兵した時に「先代が亡くなられて間もないのに主君に叛するのは不孝にして不仁です。」と諌めた。武王が殷を滅ぼし周を興した後、「生涯周の粟を食べず」と誓い首陽山に隠遁して野草などを食べていたがついに餓死した。儒学において清廉潔白の士の代表とされる人物。)

清廉潔白にして他者に対する真心がなければ、独善と言われてもしょうがないでござるな。清廉である事と人を許す器量を持たぬ事とは全く別の事でござる。

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孔子の論語 公冶長第五の二十二 狂簡、斐然として章を成す。これを裁する所以を知らざるなり

孔子の論語の翻訳114回目、公冶長第五の二十二でござる。

漢文
子在陳曰、歸與歸與、吾黨之小子狂簡、斐然成章、不知所以裁之也。

書き下し文
子、陳(ちん)に在りて曰わく、帰らんか、帰らんか。吾が党(とう)の小子(しょうし)、狂簡(きょうかん)、斐然(ひぜん)として章(しょう)を成す。これを裁(さい)する所以(ゆえん)を知らざるなり。

英訳文
Confucius said in Chen, “Let’s go home, let’s go home. The young in our hometown have great ambitions as if they were gorgeous fabrics. But they seem not to know how to cut them.”

現代語訳
孔子が陳(ちん)にいらした時におっしゃいました、
「さぁ帰ろう、さぁ帰ろう。故郷の若者たちの大志はまるで豪奢な錦であるかの様だ。しかし彼らはその断ち方を知らないのだ。」

Translated by へいはちろう

大志を抱いて良き師にめぐり会えるという事は人生の幸福の中でも大きいものと言えるでござるな。思いをめぐらせれば世の中には漠然とした志を胸に抱きながらも、その思いを形と出来ず言葉と出来ず鬱屈とした気持ちをもてあましている若者は多かろうと思うのでござる。そんな気持ちが良い形で昇華できればよいでござるな。

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孔子の論語 公冶長第五の二十一 其の愚は及ぶべからざるなり

孔子の論語の翻訳113回目、公冶長第五の二十一でござる。

漢文
子曰、甯武子、邦有道則知、邦無道則愚、其知可及也、其愚不可及也。

書き下し文
子の曰わく、甯武子(ねいぶし)邦(くに)に道あるときは則(すなわ)ち知なり。、邦に道なければ則ち愚。其の知は及ぶべきなり、其の愚は及ぶべからざるなり。

英訳文
Confucius said, “Ning Wu Zi acted smart when the country was in order. And he acted quite honestly as if he were a fool when the country was in disorder. We can be as wise as him. But we cannot be as honest as him.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「甯武子(ねいぶし)は国家が治まっている時には利口に立ち回り、国が乱れている時には馬鹿正直に振舞った。彼の様に利口に立ち回るのは容易だが、馬鹿正直な振る舞いを真似るのは容易では無い。」

Translated by へいはちろう

甯武子(ねいぶし:姓は甯、名は兪、武は諡(おくりな)。衛の臣。忠義の士)

「国家が乱れている時にこそ愚直であるべきだ。」という事でござるな、なんだか西郷隆盛公を彷彿とさせる文章でござる。

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