論語」カテゴリーアーカイブ

孔子の論語 里仁第四の一 仁に里るを美しと為す

 孔子の論語の翻訳67回目、里仁第四の一でござる。

漢文
子曰、里仁爲美、擇不處仁、焉得知。

書き下し文
子曰わく、仁(じん)に里(お)るを美(よ)しと為(な)す。択(えら)んで仁に処(お)らずんば、焉(いずく)んぞ知なることを得ん。

英訳文
Confucius said, “It is beautiful to attach importance to benevolence. If a person chooses his own benefit and thinks little of benevolence, he is never wise.

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「仁愛の心に重きを置くことは美しいことだ。もし自分の利益のために仁愛を軽んじるようなら、賢明な人間だとは決して言えない。」

Translated by へいはちろう

さて論語を語るに「」とは何か、という事は避けては通れない事でござるな。日本人であれば具体的に説明は出来なくてもぼんやりとしたイメージは持っているものだと思うのでござるが、拙者は真心と度々表現させていただいているでござる。

孟子によると仁とは惻隠の情、誰もが生まれ持っている人間の善性であると説いており一例として、「赤ん坊が井戸から落ちようとしている、その場に居合わせた者は自らの利害や知識とは別に無意識に手が出る。これこそ誰しも生まれ持つ隠された善性の表れである。」と挙げて性善説の根拠とされているでござるな。

同時に義を「悪を羞じる心」と説いていて、弱きを助け悪しきをくじく行為を「仁義」と呼ぶのはそのためでござるな。

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孔子の論語 八佾第三の二十六 礼を為して敬せず、吾何を以てかこれを観んや

孔子の論語の翻訳66回目、八佾第三の二十六でござる。

漢文
子曰、居上不寛、爲禮不敬、臨喪不哀、吾何以觀之哉。

書き下し文
子曰わく、上(かみ)に居て寛(かん)ならず、礼を為(な)して敬せず、喪に臨(のぞ)みて哀しまずんば、吾(われ)何を以(もっ)てかこれを観んや。

英訳文
Confucius said, “A leader who has no tolerance, a polite person who has no respect, and a person attending the funeral who has no mourning. They are totally meaningless.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「人の上に立ちながら寛容さが無い者、礼儀正しくありながら人に対する敬意を持たぬ者、葬儀に参列しながら弔意(哀しみ悼む気持ち)を持たぬ者。これらの様な人間から美点は少しも見出せない。」

Translated by へいはちろう

さて八佾第三の最後の文でござるが、ここでも真心の大切さを説いているでござるな。儒学において人が大切にするべき徳目は五常の徳と呼ばれ、それぞれ

他者に対する真心、惻隠の心(同情心)

正しい行いを守る心、羞悪の心(悪を羞じる気持ち)

他者に敬意を払う心と社会の秩序に従う心

善と悪を判断する知恵

自分を偽らないこと

この内孔子が唱えたのは仁と礼でござる。その後孟子が仁義礼智を唱え、漢代に入って信を加えて五常となったのでござる。これに、

父母によく仕える事

目上の者によく仕える事

主君に対してよく仕える事

などを加えた八つの徳は滝沢馬琴の南総里見八犬伝などでもお馴染みでござるな。なお日本では朱子学伝来以降、忠を孝の上に置く事が多いでござる。

しかしながら時代や地域によって何を重要と見るかは多種多様であり、聖徳太子の官位十二階では徳・仁・礼・信・義・智(日本書紀)の順番でござる。

ご自分なりに順番を考えてみるのも良いでござるな、ともあれ八佾第三は終わり明日からは里仁第四の翻訳に入るでござる。

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孔子の論語 八佾第三の二十五 武を謂わく、美を尽せり、未だ善を尽くさず

 孔子の論語の翻訳65回目、八佾第三の二十五でござる。

漢文
子謂韶、盡美矣、叉盡善也、謂武、盡美矣、未盡善也。

書き下し文
子、韶(しょう)を謂(のたま)わく、美を尽くせり、又た善を尽せり。武を謂わく、美を尽せり、未だ善を尽くさず。

英訳文
Confucius talked about Shao music played during Shun reign, “It is extremely beautiful and good.” then talked about a music played during Wu reign, “It is also extremely beautiful, but goodness is not enough.”

現代語訳
孔子が舜の時代に演奏された韶(しょう)という曲についておっしゃいました、
「とても美しい旋律を持ち、深い感動を呼び起こす曲だ。」
次に武王の時代に演奏された曲についておっしゃいました、
「とても美しい旋律を持ってはいるが、感動という点においては今ひとつだ。」

Translated by へいはちろう

この文は単なる音楽批評ではなく、暗に王朝成立の仕方を批評したものと解釈されているでござる。

舜(しゅん)というのは中国の伝説上の聖帝で、これまた聖帝である堯(ぎょう)に仕えてその徳と功績が認められ、帝の位を譲られた(禅譲)。その後舜は黄河の治水に功績のあった禹(う:夏王朝の始祖といわれる)に帝の位を禅譲したと伝えられる。孔子は徳のある者に位を譲る禅譲を王朝交代の理想とした。

武王(ぶおう)というのは周王朝の建国者で、軍師の太公望呂尚(たいこうぼうりょしょう:斉の始祖)や弟で政治的補佐役の周公旦(しゅうこうたん:孔子の出身国である魯の始祖)の力を得て殷の紂王を倒して周を建国した。この様に武力を用いて天子の位に就くことを放伐といい、孔子は禅譲よりも劣る行為とした。

後に孟子(もうし)は天命によって王者が選ばれるとし、放伐は天に代わって人々が命を革(あらた)める行為として当然の事とした、革命の語源がこれである(中国の王朝交代は氏族を主体に行われるので易姓革命と呼ばれる)。

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孔子の論語 八佾第三の二十四 天、将に夫子を以て木鐸と為さんとす

孔子の論語の翻訳64回目、八佾第三の二十四でござる。

漢文
儀封人請見、曰、君子之至於斯也、吾未嘗不得見也、從者見之、出曰、二三子何患者於喪乎、天下之無道也久矣、天將以夫子爲木鐸。

書き下し文
儀(ぎ)の封人(ふうじん)、見(まみ)えんことを請(こ)う。曰わく、君子の斯(ここ)に至るや、吾未だ嘗(かつ)て見ることを得ずんばあらざるなり。従者これを見えしむ。出でて曰わく、二三子(にさんし)、何ぞ喪(そう)することを患(うれ)えんや。天下の道なきや久し。天、将(まさ)に夫子(ふうし)を以て木鐸(ぼくたく)と為さんとす。

英訳文
When Confucius and his pupils were at the border of Wei, the warden of the barrier asked to meet Confucius. He said, “I meet every sage who pass this barrier.” Pupils made him meet Confucius. After meeting Confucius, he said to pupils, “Don’t regret that Confucius lost his official post. The earth has lost morals and justice for a long time. So the Heaven uses Confucius as a wood bell (rung to announce decrees to the people).”

現代語訳
孔子一行が衛の国境にある儀の関所を通過する時、関所の役人が孔子に会いたいと申し出てきた。彼は「私はこの関所を通過する全ての賢人にお会いしています。」と言い、弟子達は彼を孔子に会わせました。役人は孔子に会った後、弟子達にこう言いました、
「孔子が官職を失った事をどうぞ嘆かないで下さい。天下の人々から道徳や信義が失われてから随分とたちます、だからこそ天は孔子を木鐸(ぼくたく:役人が人々に御触れを告げる時に人を集めるために鳴らした)として各地にお遣わしなさっているのです。」

Translated by へいはちろう

「この名も解らぬ役人こそ賢人と呼ぶのではござらんか?」と思ってしまうほど見事な物の例えでござるな。なお世の人々を教化する人の事を「社会の木鐸 (例:新聞は社会の木鐸)」などと言うのは今回の文が出典でござる、最近はとんと聞かないでござるけど。

この文は素直に読むのが一番良いと思うのでござるが、あえて自分が孔子の弟子になったつもりで流浪を続ける孔子の身の上をどう思うか考えて見るのも良いかも知れないでござるな。 生きてついに理想適わず、死して聖人になった孔子。論語が編纂されたのは弟子たちの孔子への哀悼からでは無いかと思う次第。

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孔子の論語 八佾第三の二十三 始めて作すに翕如たり。これを従ちて純如たり、皎如たり、繹如たり

 孔子の論語の翻訳63回目、八佾第三の二十三でござる。

漢文
子語魯大師樂曰、樂其可知已、始作翕如也、從之純如也、皎如也、繹如也、以成。

書き下し文
子、魯の大師(たいし)に楽(がく)を語りて曰わく、楽は其れ知るべきのみ、始めて作(おこ)すに翕如(きゅうじょ)たり。これを従(はな)ちて純如(じゅんじょ)たり、皎如(きょうじょ)たり、繹如(えきじょ)たり。以て成る。

英訳文
Confucius said to the Grand music master of the Lu about the music, “I understand how to play music. It begins in unison loudly. Then sounds are harmonized. And each instrument is played characteristically. At last, all sounds conclude as if they are in a row.”

現代語訳
孔子が魯国の楽官長に音楽についておっしゃいました、
「私も音楽については理解しています。まず一斉に大きな音で始まり、次に静かに調和する。そして各楽器の特徴を生かした演奏がなされ、最後に全ての音が連なるように終わる。」

Translated by へいはちろう

儒学は教養としての音楽を非常に大切にするのでござるが、それとは別に孔子は非常に音楽や歌を愛した人物で。人が歌っているのを聞いて気に入ると、もう一度歌ってもらい一緒に歌った(述而第七)そうでござる。拙者自身は元々孔子に対して厳格なイメージを重ねた事は無いのでござるが、こういったエピソードを知ると好々爺のイメージさえ抱いてしまうでござるな。

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