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孔子の論語 里仁第四の十一 君子徳を懐えば、小人は土を懐う。君子刑を懐えば、小人は恵を懐う。

 孔子の論語の翻訳77回目、里仁第四の十一でござる。

漢文
子曰、君子懷徳、小人懷土、君子懷刑、小人懷惠。

書き下し文
解釈1. 子曰わく、君子徳を懐(おも)えば、小人は土(ど)を懐う。君子刑を懐えば、小人は恵(けい)を懐う。

解釈2. 子曰わく、君子は徳を懐(おも)い、小人は土(ど)を懐う。君子は刑を懐い、小人は恵(けい)を懐う。

英訳文
1. Confucius said, “If the monarch rules his country with benevolence, people will love their country. If the monarch rules his country with punishments, people will seek their benefits.”

2. Confucius said, “Gentlemen seek the virtue, worthless men seek the land. Gentlemen think of the effects of the law, worthless men think of their benefits.”

現代語訳
解釈1 孔子がおしゃいました、
「君主が仁愛を持って政治を行えば、人々は郷土愛に目覚める。君主が刑罰を持って政治を行えば、人々は自分の利益のみを考えるようになる。」

解釈2 孔子がおっしゃいました、
「人格者は徳を求め、取るに足らない人間は土地を求める。人格者は法の効果を思うが、取るに足らない人間は自分の利益のみを思う。」

Translated by へいはちろう

今回の文にも2通りの解釈があるのでござるが、解釈1が古注の解釈で解釈2が新注の解釈でござる。

どちらかと言えば古注の解釈の方が徳治主義を唱えた孔子の言葉らしいのでござるな。解釈2の方は仁徳の必要性を説きながらも刑法の効果に理解を示しているでござる。そこで何故こんな風に解釈の差が出るのか考えてみたでござる。

古注の書かれた魏の時代と新注の書かれた南宋の時代の法に対する人々の考え方の違いがこの様な解釈の違いを生じたと拙者は考えるでござる。

魏の時代と言えば儒学全盛を極めた漢帝国が政治腐敗→民衆蜂起→群雄割拠→三国鼎立という風に徳治政治の限界が露呈した時代で、簡単に言うと「出世してしまえばやりたい放題」の政治が否定されて、老荘思想が台頭して法家の政治家が辣腕を振るった時代でござる。この様に徳治の限界を認識しながらも厳しい法による政治に対して嫌悪感を抱く人々がまだ多かった時代に書かれたのが古注でござる。

反して南宋の時代といえば、儒学は政治思想というよりは官僚や富裕層の教養としての側面が強くなり、法によって政治を行う事が当たり前になった時代で、そんな時代に書かれたのが新注でござる。

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孔子の論語 里仁第四の十 君子の天下に於けるや、適も無く、莫も無し

 孔子の論語の翻訳76回目、里仁第四の十でござる。

漢文
子曰、君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比。

書き下し文
子曰わく、君子の天下に於(お)けるや、適(てき)も無く、莫(ばく)も無し。義にこれ与(とも)に比(した)しむ。

Confucius said, “Gentlemen deal with public matters impartially. They follow only justice.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「君子(人格者)は公(おおやけ)の物事を好悪の別無く公正に対処する、ただ正義だけに従うのだ。」

Translated by へいはちろう

善悪と好悪(善し悪しと好き嫌い)を別けるのは公事に携わる時の基本でござるな。赤ん坊などはともかく例え子供であろうとも公私の別をおろそかにすべきでは無いと拙者は考えるでござる。

しかし逆に言えば天下の公(おおやけ)を振りかざし他人の私事を土足で踏みにじる様な事も厳に慎まねばならないはず。

自らに対する厳格さと他者に対する寛容さは、拙者の理想とするところでござる。

・・・理想でござるよ、実際はどうかなぁ。

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孔子の論語 里仁第四の九 悪衣悪食を恥ずる者は、未だ与に議るに足らず

 孔子の論語の翻訳75回目、里仁第四の九でござる。

漢文
子曰、士志於道、而恥惡衣惡食者、未足與議也。

書き下し文
子曰わく、士、道に志(こころざ)して、悪衣悪食(あくいあくしょく)を恥ずる者は、未(いま)だ与(とも)に議(はか)るに足らず。

英訳文
Confucius said, “Even a person who aspires to pursue his studies, if he feels shame at poor clothes and meals, is not worthy to discuss.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「学問の道を志しながら粗末な衣服や食事に甘んじる事を恥じる様な人間は、学問を語り合うのに値しない。」

Translated by へいはちろう

学問を志す者は粗衣粗食を恥じるべからず、まったく持って然りでござる。しかし体裁を重んじる儒学の他の主張とは若干矛盾しているでござるな。

まず自らを律するべきであるのに他者を扱う時、いわんや他者から扱われる時には礼に適った衣食で無いと「無礼」だとする。徹底した節約を奨励した墨家などが儒学におけるこれらの矛盾を突いているでござる。

そこで仁でござるな、他者への思いやりの気持ちがあれば何の矛盾も無くなるのでござる。逆に仁が無ければ粗衣粗食も学問も自己満足で終わってしまう。という事でござるな。

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孔子の論語 里仁第四の八 朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり

 孔子の論語の翻訳74回目、里仁第四の八でござる。

漢文
子曰、朝聞道、夕死可矣。

書き下し文
子曰わく、朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可(か)なり。

英訳文
Confucius said, “If I could know how to realize my ideal in the morning, I would accept my death in the evening gladly.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「もし朝の内に理想を実現する正しい道を知る事が出来たなら、その日の晩の内に死んでも構わない。」

Translated by へいはちろう

これまた有名な文でござるな、孔子の理想を追い求める激情が伝わって来るようでござる。 学ぶ事の大切さ、困難さを表す言葉として多くの人に感銘を与えた文でござる。

シンプルにして明快な文章であるだけに、細かい部分で解釈が別れる事もしばしば。しかし大意としては動かし様の無い文なので、拙者なりの解釈で訳したでござる。

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孔子の論語 里仁第四の七 過ちを観て斯に仁を知る

 孔子の論語の翻訳73回目、里仁第四の七でござる。

漢文
子曰、人之過也、各於其黨、觀過斯知仁矣。

書き下し文
子曰わく、人の過(あやま)つや、各々(おのおの)其(そ)の党(たぐい)に於(お)いてす。過ちを観て斯(ここ)に仁を知る。

英訳文
Confucius said, “People often make errors at the similar scenes. If we observe his error, we can understand his personality.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「人はよく同じ様な場面で間違いを犯す、その間違いを観察すればその人柄が理解できる。」

Translated by へいはちろう

「わかっちゃいるけどやめられない」という歌が昔あったでござるな、拙者はこの世代じゃないのでござるが植木等さんはかっこいいでござる。

確かに人はいつも何度でも同じ様な間違いを犯すし、その間違いには人間性が色濃く表れるものでござる。しかしこの様な見方で人を観ていると、いつも我と彼の人間性を比べて観る事になり、それが自らを律する糧となっている内は良いのでござるが、驕りになってしまうと非常に危険でござる。

そこで「わかっちゃいるけどやめられない」と開き直ったフリをして笑い飛ばす豪快さ。これは十分に哲学でござる。

江戸時代にも厳しく律する侍階級が居た反面、洒脱で奔放な庶民文化があった様に厳しさと大らかさが両立しない世の中は住みにくいものでござるな。

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