孔子の論語 子罕第九の十三 我は賈を待つ者なり

孔子の論語の翻訳221回目、子罕第九の十三でござる。

漢文
子貢曰、有美玉於斯、韜匱而藏諸、求善賈而沽諸、子曰、沽之哉、沽之哉、我待賈者也。

書き下し文
子貢(しこう)曰わく、斯(こ)こに美玉(びぎょく)あり、匱(ひつ)に韜(おさめ)て諸(こ)れを蔵(ぞう)せんか、善賈(ぜんこ)を求めて諸れを沽(う)らんか。子曰わく、これを沽らんかな、これを沽らんかな。我は賈(こ)を待つ者なり。

英訳文
Zi Gong asked, “If you have a precious stone, will you keep it in a box or sell it to a good customer?” Confucius replied, “I’ll sell it. I’ll sell it. I’ve been waiting for a customer.”

現代語訳
子貢(しこう)が孔子に尋ねました、
「ここに美しい宝玉があったとします。先生はそれを箱にしまってとっておきますか? それとも良い買い手を探して買ってもらいますか?」
孔子は答えました、
「売るだろう、売るだろう。私は良い買い手を待っているのだ。」

Translated by へいはちろう

子貢(しこう:姓は端木、名は賜、字は子貢。孔門十哲の一人。詳細は公冶長第五の九に。)

この美しい宝玉は孔子自身の例えでござる。子貢は孔子の教えを実践せずにいるのは惜しいと思って仕官の道を求めてはどうかと勧めたのでござる。

そして孔子の答えは仕官の道を求めるにしても、こちらからではなく主君に求められて仕官するのが理想だと答えたのでござる。

渓流で釣りをしているところを文王によって見出された太公望の様な形を理想だと思っていたのでござろうか。ただ実をいうと太公望は文王が自分のところにやって来るように自分の事を暗示した歌を民衆の間に流行らせたりと小細工をしたのでござるが。(当時の中国では民衆の間に流行る不思議な歌は天の啓示だと思われていた)

子罕第九の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 子罕第九を英訳を見て下され。