論語」カテゴリーアーカイブ

孔子の論語 子罕第九の十九 譬えば山を為るが如し

孔子の論語の翻訳227回目、子罕第九の十九でござる。

漢文
子曰、譬如爲山、未成一簣、止吾止也、譬如平地、雖覆一簣、進吾往也。

書き下し文
子曰わく、譬(たと)えば山を為(つく)るが如(ごと)し。未(いま)だ一簣(いっき)を成さざるも、止(や)むは吾(わ)が止むなり。譬えば地を平らかにするが如し。一簣を覆(ふく)すと雖(いえど)も、進むは吾が往(ゆ)くなり。

英訳文
Confucius said, “For instance, it is like making a mountain. If you quit it just before finished, it will be your fault. For instance, it is like smoothing the ground. If you smoothed only a bucket of soil, it is a fruit of your labor.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「学問の道というのは例えるならば山を作る作業みたいなものだ。もう少しで完成という時に止めてしまったとしたら、他の誰でも無い自分が悪いのだ。例えるならば地面をならす作業みたいなものだ。たったバケツ一杯分の土をならしたとしても、他の誰でも無い自分の努力の成果なのだ。」

Translated by へいはちろう

「人生は重い荷物を背負って坂道を行くがごとし」というのは徳川家康の残した言葉でござるが、忍耐の末に日本に太平の世をもたらした偉人ならではの言葉でござるな。

だが敢えて拙者は「重い荷物を背負う必要も、坂道を行く必要もない」と言わせていただくでござる。

大道は甚だ夷らかなるも、而も民は径を好む – 老子 第五十三章

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孔子の論語 子罕第九の十八 吾未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり

孔子の論語の翻訳226回目、子罕第九の十八でござる。

漢文
子曰、吾未見好徳如好色者也。

書き下し文
子曰わく、吾未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり。

英訳文
Confucius said, “I have not seen a person who loves virtue as he loves a beauty yet.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私は美人を愛するように自然と美徳を愛する人物に出会った事がない。」

Translated by へいはちろう

それは美人を愛することは本能からおこる気持ちだが、美徳を愛することは理性からおこる気持ちだからでござるな。

「徳」という言葉に対する孔子の解釈の限界がここに露呈しているでござるな。一方、老子のいう「徳」にはそもそも美醜善悪の区別は無いのでござる。

上徳は徳とせず、ここを以って徳あり。下徳は徳を失わざらんとす、ここを以って徳なし。 – 老子 第三十八章

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孔子の論語 子罕第九の十七 逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎めず

孔子の論語の翻訳225回目、子罕第九の十七でござる。

漢文
子在川上曰、逝者如斯夫、不舎晝夜。

書き下し文
子、川の上(ほとり)に在りて曰わく、逝(い)く者は斯(か)くの如(ごと)きか。昼夜を舎(や)めず。

英訳文
1. Confucius said at the riverside, “Time flies. It never stops night and day.”

2. Confucius said at the riverside, “All things are in flux. They never stop night and day.”

現代語訳
1. 孔子が川のほとりでおっしゃいました、
「時が過ぎ去るのは速いものだな。昼も夜も止まることが無い。」

2. 孔子が川のほとりでおっしゃいました、
「全ての物は絶えず前進を続けるのだな。昼も夜も止まることが無い。」

Translated by へいはちろう

1の解釈は古注の解釈で、過ぎ去る時の流れを嘆いたという解釈でござる。2の解釈は新注の解釈で万物の流転と人間のたゆまぬ努力を賞賛したという解釈でござる。

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孔子の論語 子罕第九の十六 出でては則ち公卿に事え、入りては則ち父兄に事う

孔子の論語の翻訳224回目、子罕第九の十六でござる。

漢文
子曰、出則事公卿、入則事父兄、喪事不敢不勉、不爲酒困、何有於我哉。

書き下し文
子曰わく、出でては則(すなわ)ち公卿(こうけい)に事(つか)え、入りては則ち父兄に事う。喪(も)の事は敢(あ)えて勉(つと)めずんばあらず。酒の困(みだ)れを為さず、何か我に有らんや。

英訳文
Confucius said, “To serve superiors at work, to serve father and elder brother at home, to attend funerals sincerely and not to be sick from drinking. I take these for granted.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「仕事では上司によく仕え、家では父兄によく仕える。葬儀に出れば真摯に弔い、酒を飲んでも乱れない。これらの事は私にとっては当然の事だ。」

Translated by へいはちろう

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孔子の論語 子罕第九の十五 雅頌各々其の所を得たり

孔子の論語の翻訳223回目、子罕第九の十五でござる。

漢文
子曰、吾自衛反於魯、然後樂正、雅頌各得其所。

書き下し文
子曰わく、吾(われ)衛(えい)より魯(ろ)に反(かえ)り、然(しか)る後に楽(がく)正しく、雅頌(がしょう)各々(おのおの)其の所を得たり。

英訳文
Confucius said, “After I returned from Wei to Lu, the court music and the ritual music have been corrected traditionally.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私が衛の国から魯へ帰国してからだな、魯の宮廷音楽と典礼音楽が本来のあるべき形で演奏されるようになったのは。」

Translated by へいはちろう

雅(が)とは宮廷などで演奏される音楽、頌(しょう)とは祭祀などで演奏される音楽で共に詩経に詩が収録されているでござる。孔子は流浪生活の途中で衛に立ち寄った時、衛の国に伝わっていた周の古来の演奏方法などを学んで魯に伝えたということでござる。

孔子はこのように礼楽に関しては周の伝統に従う姿勢を人生を通して貫いていたのでござるが、孟子には音楽に対する別の考え方が収録されているので紹介させていただくでござる。

孟子は斉の宣王(せんおう)が音楽を好むと聞いて謁見した時に尋ねた、
孟子「王は音楽をお好きなようですね」
宣王「いや、私が好むのは俗っぽい音楽で自慢できるようなものではない」
孟子「王が音楽を好まれるのは、お国が泰平に近づくしるしです。伝統音楽でも俗っぽい音楽でも同じことです」
宣王「どういうことだ?」
孟子「音楽というのは一人で楽しむのと大勢で楽しむのはどちらが楽しいでしょうか?」
宣王「それはもちろん大勢のほうだ」
孟子「かりに王が演奏会を催されたとします。それを聞きつけた民衆が眉をひそめながら”王さまは音楽を楽しんでいるというのに、我々の暮らしはちっとも良くならない。おかげさまで家族は離ればなれだ。” このように民衆が王に対して不平をもらす理由はただ一つ、王が民衆と楽しみを分かち合わないからです。もし王が民衆と楽しみを分かち会うならば民衆はこう言うでしょう。”王さまがお元気で何よりだ。お元気でなければ音楽を楽しまれるはずがない。” 音楽を大勢で楽しむように楽しみを民衆と分かち合うのです、そうすれば王は天下を得られるでしょう。」

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