ちょんまげ翻訳 和英」カテゴリーアーカイブ

孔子の論語 雍也第六の二十五 觚、觚ならず

孔子の論語の翻訳145回目、雍也第六の二十五でござる。

漢文
子曰、觚不觚、觚哉、觚哉。

書き下し文
子曰わく、觚(こ)觚ならず。觚ならんや、觚ならんや。

英訳文
Confucius said, “A Gu, a small cup used at the rites to control drinking, cannot control drinking nowadays. Is this really a Gu? Is this really a Gu?”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「觚(こ)というのは儀式の中で儀礼的に飲酒をするための小さな盃であるのに、最近では飲酒するために使われている。そんなものが觚と呼べるだろうか?そんなものが觚と呼べるだろうか?」

Translated by へいはちろう

ちょっとややこしいのでござるが、要するに「觚(こ)=お酒の飲めない人でも儀式の中で儀礼的に飲酒出来るように小さく作られた盃」であるのに、「お酒の好きな人がきどって飲むのに日常的に使われている」事を嘆いているのでござる。

転じて儀礼の本当の意味を理解せず、形式的な部分だけを重んじる風潮を批判しているとも受け取れるでござるな。

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孔子の論語 雍也第六の二十四 魯、一変せば道に至らん

孔子の論語の翻訳144回目、雍也第六の二十四でござる。

漢文
子曰、齊一變至於魯、魯一變至於道。

書き下し文
子曰わく、斉、一変(いっぺん)せば魯に至らん。魯、一変せば道に至らん。

英訳文
Confucius said, “Qi can become a civilized country like Lu. Lu can become an ideal country of moral politics.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「斉の国はちょっと変われば魯の様な文化国家となる事が出来る。魯の国はちょっと変われば道徳政治の理想国家となることが出来る。」

Translated by へいはちろう

(せい:孔子の時代の大国、春秋五覇の一つ。始祖は太公望呂尚(周建国の功労者、名軍師として名高い)、爵位は侯爵。海水から塩を作ったり鉄を生産して大いに栄えた。15代の桓公の時代に名宰相、管仲を得て春秋最初の覇者となるが、桓公の死後は後継者争いが絶えず国力が衰微する。孔子の時代に斉のもう一人の名宰相、晏嬰を得てようやく安定を取り戻す。春秋時代を通して大国でありつづけるが、主君である斉公の権威は衰え続け、家臣の田和によって政治の実権を奪われ、BC386年にはとうとう周王朝が田氏を斉公と認めて名実共に斉の君主は田氏となる。これ以後の斉を区別して田斉とも呼ぶ。)

(ろ:孔子の生国。始祖は周公旦(周の開祖である武王の弟、姫旦)、爵位は侯爵。何よりも孔子の出現によって中国の文化・思想史に果たした役割は大きいが、軍事的には周囲の斉・晋・楚などの強国に翻弄される小国であった。国内的には15代の桓公(斉の桓公とは別人)から分家した三桓氏と呼ばれる御三家によって実質的に支配されており、魯公の権威は低かった。春秋時代にはまだ諸侯が周王朝を重んじていたため魯は細々と生きながらえていたが、戦国時代に入ってBC256年に周が秦によって滅ぼされると、BC249年に楚によって魯は滅ぼされた。)

周王朝の名族で周公の礼制などを受け継ぐ魯は確かに当時随一の文化国家であった事は確かでござる。しかし逆を返せば戦乱の風が吹き始めていた当時の中国大陸における魯は文化国家として以外に生き残る道は無く、孔子も君臣の身分秩序を正す事によって平和は保たれると説いているでござる。諸侯が周王朝を敬えば周の名族である魯は安泰でござるからな。

春秋・戦国時代を通して、家臣にいつ謀反を起こされるかと不安に駆られていた中原の諸侯達は、孔子の言う身分秩序を一部受け入れる事によって国権を保とうとするのでござるが、当時の新興国であり周辺蛮族とみなされていた秦や楚は当然その身分秩序に対しては反発し、孔子の言う古代の聖王の様な道徳政治では無く、当時はまだ新しい政治思想であった法家の思想(君主による中央集権制)によって国権を保とうとしたのでござる。

結果として呉起による政治改革が失敗した楚を最後に、その他の諸侯も法家の怪物的実践者であった始皇帝によってことごとく滅ぼされ、中国大陸は初の統一を成し遂げるのでござる。

しかし「君主こそが法であり、法こそが道徳である」という極端な独裁的政治を民衆が受け入れるはずがなく、秦はわずか15年で滅んで漢が次に中国大陸を統一するのでござる。

漢は建国当初は周の様な封建制を布いていたものの、呂后の専横や呉楚七国の乱などを経て次第に秦の様な中央集権制が確立される。しかし秦の様な極端な政治は行わず、7代皇帝の武帝の時代になって五経博士が置かれ、儒学が漢の官学となると秦の時代に徹底的に弾圧された儒学が一気に隆盛を極めるのでござる。

後は儒学が隆盛したり腐敗したりを繰り返して、時代によって批判されたり見直されたりしているでござる。諸行無常でござるな。

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孔子の論語 雍也第六の二十三 知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ

孔子の論語の翻訳143回目、雍也第六の二十三でござる。

漢文
子曰、知者樂水、仁者樂山、知者動、仁者静、知者樂、仁者壽。

書き下し文
子曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。

英訳文
Confucius said, “A wise person enjoys water, a benevolent person enjoys mountains. A wise person moves quickly, a benevolent person stays calm. A wise person enjoys changes, a benevolent person enjoys a long life.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「知者は(流動的な)水を楽しみ、仁者は(不動の)山を楽しむ。知者は行動的で、仁者はゆったりと落ち着いている。知者は変化を楽しみ、仁者は人生を楽しむ。」

Translated by へいはちろう

知者は行動力がある有能な人物のイメージでござるな、人の上に率先して立ってリーダーシップを発揮する様なイメージでござる。仁者は落ち着いた優しい人物のイメージでござるな、物事に対して受動的でありながら臨機応変に対処して自らが揺るがない様なイメージでござる。

ちなみに似たような言葉で、

「上善如水(じょうぜんみずのごとし) – 老子 第八章

というのがあり、こちらは水の流動性と生命にとっての普遍性に例えて、他者に恵みを与えながら低きへ流れる謙虚さを説いているのでござるな。

同じ水を使って表現しても違いが出るというのは面白いでござる。

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孔子の論語 雍也第六の二十二 鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし

孔子の論語の翻訳142回目、雍也第六の二十二でござる。

漢文
樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣。

書き下し文
樊遅(はんち)、知を問う。子曰わく、民の義を務め、鬼神(きしん)を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。仁を問う。曰わく、仁者は難(かた)きを先にして獲(と)るを後にす。仁と謂うべし。

英訳文
Pan Chi asked Confucius about wisdom. Confucius replied, “You should fulfill your duty as a human. And you should worship gods but should not rely on gods excessively. It is wisdom.” Pan Chi asked about benevolence. Confucius replied ,”You should do your best for others but should not hope for reward. It is benevolence.”

現代語訳
樊遅(はんち)が “知” とは何かと尋ねました。孔子は、
「人としての義務を果たし、神霊を敬うが決してそれに頼らない、これが “知” というものだ。」
と答えられました。次に “仁” とは何かと尋ね、孔子は、
「人のために尽力して報酬を期待しないこと、これが “仁” というものだ。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

樊遅(はんち:姓は樊、名は須、字は子遅。孔子の弟子の一人。為政第二の五では孔子の御者をしている。)

前半は「人事を尽くして天命を待つ」って感じでござるが、確かに孔子のおっしゃる通りでござる。ただ残念ながら日本人に限った事では無いのでござるが、願掛けや御利益のために神仏に参拝する人がほとんどでござるな。年末になると神社や寺院がTVCMを流して宣伝までするのだから、拙者としては少々疑問を感じざるを得ない所でござる。

「日々の行いを正して、自らに恥じる事が無ければ神仏に祈る必要など無い」というのが拙者の考えでござる。神社や寺院に参拝するのは、その土地の人々が先祖代々、子々孫々に渡って生活し受け継いできた様々な息吹を肌で感じ、自分もまたその一人であると確認するために参拝するのでござるな。実際の拙者は自らを恥じる事ばかりでござるが、志は少なくともこうなのでござる。

後半もまさに”仁”という言葉をよく表しているでござるな。他者のために行う事は当たり前のことしてしなければならず、褒められたり、感謝されたりする事を求めてはならない。などと言うのは今さら陳腐なので止めておくとして、

拙者としては「良い事するのに理由は要らない」と主張したいでござる。他者を思いやる気持ちはあるのに、あと少しの勇気が無かったり、あれこれ考えたりして中々行動に移せない、そんな人は多かろうと思うのでござる。心に優しさがあればこその悩みだと思うのでござるが、良い事するのに理由はいらないと、自らを叱咤激励してどんどん良い事をしていきたいものでござるな。

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孔子の論語 雍也第六の二十一 中人以下には、以て上を語ぐべからざるなり

孔子の論語の翻訳141回目、雍也第六の二十一でござる。

漢文
子曰、中人以上、可以語上也、中人以下、不可以語上也。

書き下し文
子曰わく、中人(ちゅうじん)以上には、以て上(かみ)を語(つ)ぐべきなり。中人以下には、以て上を語ぐべからざるなり。

英訳文
Confucius said, “You can talk about lofty subjects with people above the average. You should not talk about lofty subjects with people below the average.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「人並み以上の人物と高尚な話をするのは良いが、人並み以下の人物とは高尚な話をするべきではない。」

Translated by へいはちろう

「言って解らない人物には何を言っても無駄」という解釈では何となく嫌な感じでござるな。

「巧言令色(こうげんれいしょく)、鮮(すく)なし仁。」
学而第一の三

「信言は美ならず、美言は信ならず」
老子 第八十一章

と孔子と老子がおっしゃっている様に言葉の持つ限界を認めた上で、
「言葉で解らない人物には自らの行動によって諭すべし」
と好意的に解釈したいところでござる。

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