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孔子の論語 雍也第六の三十 夫れ仁者は己立たんと欲して人を立て、己達っせんと欲して人を達す

孔子の論語の翻訳150回目、雍也第六の三十でござる。

漢文
子貢曰、如能博施於民、而能濟衆者、何如、可謂仁乎、子曰、何事於仁、必也聖乎、尭舜其猶病諸、夫仁者己欲立而立人、己欲逹而逹人、能近取譬、可謂仁之方也已。

書き下し文
子貢(しこう)曰わく、如(も)し能(よ)く博(ひろ)く民に施して能く衆(しゅう)を済(すく)わば、何如(いかん)。仁と謂(い)うべきか。子曰わく、何(なん)ぞ仁を事とせん。必らずや聖か。尭舜(ぎょうしゅん)も其れ猶(な)お諸(こ)れを病めり。夫(そ)れ仁者は己立たんと欲して人を立て、己達っせんと欲して人を達す。能く近く取りて譬(たと) う。仁の方(みち)と謂うべきのみ。

英訳文
Zi Gong asked, “If someone could make all people wealthy and save them from disasters, can we call him a benevolent person?” Confucius replied, “That is beyond the benevolent. He must be a sage. Even Yao and Shun struggled to do that. A benevolent person should make others stand, if he want to stand. And he should make others go, if he want to go. A benevolent person always considers others as himself. This is the way of a benevolent person.”

現代語訳
子貢(しこう)が尋ねました、
「もし人々に施して豊かにし、多くの災難から民衆を救えたとしたらどうでしょう、仁者といえますか?」
孔子は、
「それは仁者どころの話では無い。それは聖人の領域だ。古代の聖帝である尭・舜(ぎょう・しゅん)もその事に苦労された程だ。仁者というのは、自らが立ちたいと思えば他人を先に立たせ、自らが行きたいと思えば他人を先に行かせる。常に他者を自分の様に考える。それが仁者の考え方というものだ。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

子貢(しこう:姓は端木、名は賜、字は子貢。孔門十哲の一人。詳細は公冶長第五の九に。)

(ぎょう:中国の伝説上の聖帝。姓は伊祁(いき)、名は放勲(ほうくん)。封地より陶唐氏ともいう。史記の五帝本紀によると、嚳(こく)の次子として生まれ、嚳の後を継いだ兄から禅譲を受けて帝となった。)

(しゅん:中国の伝説上の聖帝。姓は姚(よう)、名は重華(ちょうか)、封地より虞氏ともいう。尭の摂政を20年務めた後、尭より禅譲を受けて帝となった。舜はその後、黄河の治水に功績のあった禹(う)に禅譲し、禹は夏王朝の創始者となる。)

中国の伝説の三皇五帝の中でも尭・舜は聖帝として儒学が模範とする所でござる。特に自らの暮らしを質素にして民衆を一番に考え、位に固執せず有徳の者に位を譲った事が評価されているでござるな。

ちなみに始皇帝が名乗った皇帝というのは、古代の聖帝をも凌ぐという意味でござる。周から春秋にかけては王号が一番偉く諸侯は公とか候という王より与えられた爵位を名乗っていたのに、戦国時代に諸侯が王を自称して王号の価値が相対的に下がったために考え出されたのでござる。

さて今回で雍也第六は終了し、明日からは述而第七でござる。

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孔子の論語 雍也第六の二十九 中庸の徳たるや、其れ至れるかな

孔子の論語の翻訳149回目、雍也第六の二十九でござる。

漢文
子曰、中庸之爲徳也、其至矣乎、民鮮久矣。

書き下し文
子曰わく、中庸の徳たるや、其れ至れるかな。民鮮(すく)なきこと久し。

英訳文
Confucius said, “The doctrine of the Mean (moderation) is one of the best virtue. But few people have it nowadays.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「中庸(節度を守る事)の徳には至上の価値がある。しかしそれに従う人々は近頃少ない。」

Translated by へいはちろう

中庸(ちゅうよう:儒学の徳目の一つ。詳細は里仁第四の二十三に。)

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孔子の論語 雍也第六の二十八 予が否き所の者は、天これを厭たん

孔子の論語の翻訳148回目、雍也第六の二十八でござる。

漢文
子見南子、子路不説、夫子矢之曰、予所否者、天厭之、天厭之。

書き下し文
子、南子(なんし)を見る。子路(しろ)説(よろこ)ばず。夫子(ふうし)これに矢(ちか)って曰わく、予(わ)が否(すまじ)き所の者は、天これを厭(た)たん。天これを厭たん。

英訳文
Confucius had met Nan Zi. it was unpleasant for Zi Lu. Confucius swore, “If I make an error, Heaven will forsake me. Heaven will forsake me.”

現代語訳
孔子が南子(なんし)と会われました。子路(しろ)はこれが面白くはありませんでしたが、孔子は誓いを立てて、
「私の行いに間違いがあれば、天が私を見捨てるであろう。天が私を見捨てるであろう。」
とおっしゃいました。

Translated by へいはちろう

南子(なんし:衛の霊公の夫人。宋の国の出身で、宋の国の公子である宋朝と密通していたと言われる。衛の太子の蒯聵と仲が悪く、蒯聵は南子を暗殺しようとして失敗し逆に晋に亡命する。霊公の死後、南子は太子ではなく公子の一人である郢に後を継がせようとしたが郢は辞退し、変わって衛に残っていた蒯聵の子の輒が衛公に即位した(出公)。しかし蒯聵はこれを認めず帰国して衛公(荘公)となる。当時衛の街の代官をしていた子路はこの時の後継者問題に巻き込まれて死亡した。その後子路の死体が見せしめとして塩辛にされたと聞くと、孔子は家中の塩辛を全て捨てさせ、生涯塩辛を口にしなかったという。)

子路(しろ:孔門十哲の一人。詳細は公冶長第五の七に。)

歴史を知る者にとって、なんという皮肉な因果応報でござろうか。別に子路の死の責任が孔子にあるわけでは無いのでござるが、なんとも嫌な気持ちにさせられてしまうのでござる。

歴史を見ると南子の様な女性は枚挙にいとまが無いでござるな。衛の霊公の寵愛と大国宋の影響力を背景に南子は権勢を欲しいままにしていた。孔子もその権勢を前に面会を断る事が出来なかったのでござる。しかしその権力も霊公が生きていればこそ、霊公が死亡したら権力が衰えるどころか太子の蒯聵が衛公に即位したら殺されるかも知れない。こうして南子は自らを守るために、さらに無茶をする事となり国は乱れに乱れるのでござる。

中国三大悪女と呼ばれる漢の高祖の皇后である呂后や則天武后や清の西太后の様に、この手の大乱の全ての責任を女性一人を悪者にしてすませるのが儒教的発想というものでござるが、はっきり言って一人の人間に権力を集中しすぎる君主制の問題と、その君主であろうと尊属に逆らえないと言う儒教的価値観が生んだ悲劇でござる。

後継者問題というのは何も君主制だけの事では無いので、民主制に当てはめて色々考えてみても面白いでござるよ。権力というものは集中すればするほど、そのリスクを時間の経過と共に高めて行くものでござる。手ごろな時期に身を引くのはむしろ自分にとって最大の恩恵をもたらすというのは、老子もおっしゃっているでござるな。

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孔子の論語 雍也第六の二十七 博く文を学びて、これを約するに礼を以てせば、亦以て畔かざるべきか

孔子の論語の翻訳147回目、雍也第六の二十七でござる。

漢文
子曰、君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫。

書き下し文
子曰わく、君子、博(ひろ)く文を学びて、これを約(やく)するに礼を以てせば、亦(また)以て畔(そむ)かざるべきか。

英訳文
Confucius said, “If gentlemen learned extensively and behave with due courtesy, they never stray from the right path.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「もしも人々が博く学び、行動するにあたって礼に配慮すれば、彼らは決して正道を踏み外すことは無い。」

Translated by へいはちろう

今回の文では何をもって「正道」と呼ぶかが問題になるでござるな。良く学んで礼儀正しくすると正道に適うという事は、「学ぶ事」と「礼儀を正す事」は手段であって目的では無いという事でござるな。

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孔子の論語 雍也第六の二十六 仁者はこれに告げて、井に仁ありと曰うと雖も、其れこれに従わんや

孔子の論語の翻訳146回目、雍也第六の二十六でござる。

漢文
宰我問曰、仁者雖告之曰井有仁者焉、其從之也、子曰、何爲其然也、君子可逝也、不可陥也、可欺也、不可罔也。

書き下し文
宰我(さいが)、問うて曰わく、仁者はこれに告げて、井(せい)に仁ありと曰(い)うと雖(いえど)も、其(そ)れこれに従わんや。子曰わく、なんすれぞ其れ然らん。君子は逝かしむべきも、陥(おとしい)れるべからざるなり。欺くべきも、罔(し)うべからざるなり。

英訳文
Zai Wo asked, “If a benevolent man was taught that there is a benevolent person in a well, should he follow the person?” Confucius replied, “Why should he do that? A benevolent man is not caught in a snare even if he approached the well. A benevolent man is not deceived even if he listened to wicked person’s words.”

現代語訳
宰我(さいが)が、
「もし仁の人、つまり人格者が井戸の中に偉い人格者がいると教えられたら、彼はその人に従うでしょうか?」
と尋ね、孔子は、
「何故そんな事をせねばならんのだ? 人格者ならば井戸に近づいたとしても、井戸の中まで落ちていくはずがない。騙そうとする人の言葉を聞いていも、騙される訳では無い。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

宰我(さいが:姓は宰、名は予、字は子我。詳細は八佾第三の二十一に。)

論語内で何度も孔子に怒られているからか、どうも詭弁を弄する人という印象がぬぐえない宰我でござる。今回の質問も好意的に解釈すれば「他者にとってどんなに馬鹿らしくとも、そこに仁の真理があれば仁者はそれを求めますか?」と尋ねたと考えられなくもないのでござるが、

孔子からは「馬鹿な事いうな。」と一蹴されているのでござる。顔回が同じ事を聞いたら(聞く訳ないでござるが)、孔子はどう答えていたのでござろうか?

日ごろの行いや印象って大事だなぁ、と思う次第。

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