ちょんまげ翻訳 和英」カテゴリーアーカイブ

孔子の論語 述而第七の五 久し、吾復た夢に周公を見ず

孔子の論語の翻訳155回目、述而第七の五でござる。

漢文
子曰、甚矣、吾衰也、久矣、吾不復夢見周公也。

書き下し文
子曰わく、甚(はなは)だしいかな、吾が衰えたるや。久し、吾復(ま)た夢に周公(しゅうこう)を見ず。

英訳文
Confucius said, “I’ve got old very much. It has been a long time since I met Zhougong Dan in my dreams last time.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私も衰えたものだなぁ、最後に夢の中で周公(しゅうこう)にお会いしてから随分と経ってしまった。」

Translated by へいはちろう

周公(しゅうこう:魯国の開祖、周公旦(しゅうこうたん)。孔子が最も尊敬した人物の一人。詳細は八佾第三の十五に)

夢の中でまで尊敬する先人に会っていたとは、空いた口が塞がらないレベルの向学心でござるな。いったい周公は夢の中でどんな事を孔子に話されたのでござろうか?

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孔子の論語 述而第七の四 子の燕居、申申如たり、夭夭如たり

孔子の論語の翻訳154回目、述而第七の四でござる。

漢文
子之燕居、申申如也、夭夭如也。

書き下し文
子の燕居(えんきょ)、申申如(しんしんじょ)たり、夭夭如(ようようじょ)たり。

英訳文
Confucius was always peaceful and amicable at his home.

現代語訳
孔子は自宅に居る時は、いつも穏やかで和やかであった。

Translated by へいはちろう

ことさらにこの様な文が残っているという事は、外においては厳しい一面もあったという事でござるな。

しかし自宅に帰って弟子達と語らう時には穏やかであったと、厳しさと和やかさのメリハリを持っていたという事でござるな。

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孔子の論語 述而第七の三 徳の脩めざる、学の講ぜざる、義を聞きて徙る能わざる、不善の改むる能わざる

孔子の論語の翻訳153回目、述而第七の三でござる。

漢文
子曰、徳之不脩也、學之不講也、聞義不能徙也、不善不能改也、是吾憂也。

書き下し文
子曰わく、徳の脩(おさ)めざる、学の講(こう)ぜざる、義を聞きて徙(うつ)る能(あた)わざる、不善の改むる能わざる、是(これ)吾が憂(うれ)いなり。

英訳文
Confucius said, “Not to follow virtues, not to learn studies, not to act as the need arises and not to correct a fault. These are sources of anxiety for me.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「道徳に従わないこと、学問を学ばないこと、必要な時に行動できないこと、欠点を正さないこと、こんな風に成らない様に私はいつも心配している。」

Translated by へいはちろう

別の言い方をすると、

「常に善い事をしようと心がけ、善悪の判断に偏りが無いように学び、学んだだけで終わらず常に行動を心がけ、自らに間違いがあれば正す。」

という事でござるな。これらを一つの輪のように繰り返して注意する事により、人格者たり得るという事でござろうか?

しかし誰でも最初は善い事をしようという素朴な気持ちから始まるのでござるな。

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孔子の論語 述而第七の二 黙してこれを識し、学びて厭わず、人を誨えて倦まず

孔子の論語の翻訳152回目、述而第七の二でござる。

漢文
子曰、默而識之、學而不厭、誨人不倦、何有於我哉。

書き下し文
子曰わく、黙(もく)してこれを識(しる)し、学びて厭(いと)わず、人を誨(おし)えて倦(う)まず。何か我に有らんや。

英訳文
Confucius said, “To memorize silently, to learn eagerly and to teach without being lazy. These are matters of course for me.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「静かに物事を記憶し、熱心に学び、人に教えて怠らない。これらの事は私にとっては当たり前の事なのだ。」

Translated by へいはちろう

論語の最初の文である学而第一の一に「学びて時にこれを習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや」とあるように、学ぶ事は本来楽しい事なのでござる。よく英語の学習でも「楽しみながら英語を学ぶ」というキャッチフレーズを使っている所があるのでござるが、これは間違いで、

学ぶ事は楽しい事

なのでござる。なんだか卵が先か鶏が先かみたいな話になってしまうのでござるが、この両者には海よりも深い違いがあるので肝に銘じておいて欲しいものでござる。

努力と言うのは自ら楽しんでやる限り、「娯楽」と呼べるものでござる。

楽しんで学ぶ事が出来ないという御仁は、必要にせまられてか高い目標に押しつぶされて目の前の学問の面白さに気づいておられ無いだけなのでござろう。それらは致し方の無い事なので別に非難をする訳ではござらん。

しかし自分の生活にゆとりが出来て、何か時間を持て余して退屈だと思ったときは、何かを学ぶ事以上に楽しいことは無いと拙者は考える次第。

学問でなければ運動するのも良いでござるな。

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孔子の論語 述而第七の一 述べて作らず、信じて古を好む

孔子の論語の翻訳151回目、述而第七の一でござる。

漢文
子曰、述而不作、信而好古、竊比於我老彭。

書き下し文
子曰わく、述べて作らず、信じて古(いにしえ)を好む。竊(ひそ)かに我が老彭(ろうほう)に比す。

英訳文
Confucius said, “I only tell the ancient courtesy, not create. I believe in and love those old good things. I imitate Lao Peng secretly.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私は古の礼法を言っているだけで、新たに何かを創作した訳じゃない。それら古き良きものを信じて好むだけなのだ。密かに尊敬する老彭(ろうほう)のやり方を真似ている。」

Translated by へいはちろう

老彭(ろうほう:殷の伝説上の賢大夫の彭祖(ほうそ)の事だと言われる。仙道に通じ800年生き、伝説上の聖帝である堯・舜から夏王朝・殷王朝に仕えたと伝えられる。荘子にも名前が登場する長寿の代名詞的人物。また一説によると老子と彭祖の二人の事を指しているという解釈もある。)

孔子の唱えた礼法は周公旦が定めたといわれる周礼を中心に古の礼法を復古させたものでござる。その事について謙遜しておられる訳でござるな。しかしどんな名曲も演奏されなければ人を感動させる事が出来ないように、時代に埋もれた礼法を復古させた孔子の功績はやはり偉大だと言えるのでござる。

西洋のルネッサンスや日本の江戸期など、古いものがかえって新しいものを生み出す原動力になる事はしばしばでござる。温故知新、奥深いでござるな。

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