孔子の論語 雍也第六の二十八 予が否き所の者は、天これを厭たん

孔子の論語の翻訳148回目、雍也第六の二十八でござる。

漢文
子見南子、子路不説、夫子矢之曰、予所否者、天厭之、天厭之。

書き下し文
子、南子(なんし)を見る。子路(しろ)説(よろこ)ばず。夫子(ふうし)これに矢(ちか)って曰わく、予(わ)が否(すまじ)き所の者は、天これを厭(た)たん。天これを厭たん。

英訳文
Confucius had met Nan Zi. it was unpleasant for Zi Lu. Confucius swore, “If I make an error, Heaven will forsake me. Heaven will forsake me.”

現代語訳
孔子が南子(なんし)と会われました。子路(しろ)はこれが面白くはありませんでしたが、孔子は誓いを立てて、
「私の行いに間違いがあれば、天が私を見捨てるであろう。天が私を見捨てるであろう。」
とおっしゃいました。

Translated by へいはちろう

南子(なんし:衛の霊公の夫人。宋の国の出身で、宋の国の公子である宋朝と密通していたと言われる。衛の太子の蒯聵と仲が悪く、蒯聵は南子を暗殺しようとして失敗し逆に晋に亡命する。霊公の死後、南子は太子ではなく公子の一人である郢に後を継がせようとしたが郢は辞退し、変わって衛に残っていた蒯聵の子の輒が衛公に即位した(出公)。しかし蒯聵はこれを認めず帰国して衛公(荘公)となる。当時衛の街の代官をしていた子路はこの時の後継者問題に巻き込まれて死亡した。その後子路の死体が見せしめとして塩辛にされたと聞くと、孔子は家中の塩辛を全て捨てさせ、生涯塩辛を口にしなかったという。)

子路(しろ:孔門十哲の一人。詳細は公冶長第五の七に。)

歴史を知る者にとって、なんという皮肉な因果応報でござろうか。別に子路の死の責任が孔子にあるわけでは無いのでござるが、なんとも嫌な気持ちにさせられてしまうのでござる。

歴史を見ると南子の様な女性は枚挙にいとまが無いでござるな。衛の霊公の寵愛と大国宋の影響力を背景に南子は権勢を欲しいままにしていた。孔子もその権勢を前に面会を断る事が出来なかったのでござる。しかしその権力も霊公が生きていればこそ、霊公が死亡したら権力が衰えるどころか太子の蒯聵が衛公に即位したら殺されるかも知れない。こうして南子は自らを守るために、さらに無茶をする事となり国は乱れに乱れるのでござる。

中国三大悪女と呼ばれる漢の高祖の皇后である呂后や則天武后や清の西太后の様に、この手の大乱の全ての責任を女性一人を悪者にしてすませるのが儒教的発想というものでござるが、はっきり言って一人の人間に権力を集中しすぎる君主制の問題と、その君主であろうと尊属に逆らえないと言う儒教的価値観が生んだ悲劇でござる。

後継者問題というのは何も君主制だけの事では無いので、民主制に当てはめて色々考えてみても面白いでござるよ。権力というものは集中すればするほど、そのリスクを時間の経過と共に高めて行くものでござる。手ごろな時期に身を引くのはむしろ自分にとって最大の恩恵をもたらすというのは、老子もおっしゃっているでござるな。

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