論語」カテゴリーアーカイブ

孔子の論語 述而第七の二十二 天、徳を予に生せり

孔子の論語の翻訳172回目、述而第七の二十二でござる。

漢文
子曰、天生徳於予、桓魋其如予何。

書き下し文
子曰わく、天、徳を予(われ)に生(な)せり。桓魋(かんたい)其れ予れを如何(いかん)せん。

英訳文
Confucius said, “Heaven gave me virtue. What can Heng Tui do to me?” (Heng Tui attempted to kill Confucius on the way to Song.)

現代語訳
孔子はおっしゃいました、
「私は天によって徳を授かった身だ、どうして桓魋(かんたい)ごときが私をどうにかできようか?」
(孔子一行が宋に向かう途上で宋の司馬であった桓魋は孔子を殺そうとした)

Translated by へいはちろう

孔子が曹の国を離れて宋の国へ赴く途中で、孔子を面白く思わない宋の司馬(軍事長官)の桓魋に襲撃をされた時のエピソードでござるな。危険を感じた弟子達が「逃げましょう」という中で、堂々と言われたとされるのが上のお言葉でござる。

しかしいくら孔子がご立派でも軍隊を相手にするのは無謀というもの、この後孔子は賎しい身分の者が着る服を着て変装し、難を逃れて鄭(てい)の国へ逃れているでござる。元々蛮勇を好まれる方ではござらんしな。

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孔子の論語 述而第七の二十一 我三人行なえば必ず我が師を得

孔子の論語の翻訳171回目、述而第七の二十一でござる。

漢文
子曰、我三人行、必得我師焉、擇其善者而從之、其不善者改之。

書き下し文
子曰わく、我三人行なえば必ず我が師を得(う)。其の善き者を択びてこれに従う。其の善からざる者にしてこれを改む。

英訳文
Confucius said, “I can always get a teacher if there are three people including me. I can follow a good person. I can correct my errors by seeing a bad person.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私とあと二人の人物がいたならば、私は必ず師とすべき人を見出すことが出来る。善い人の良いところを見習い、善くない人の悪いところを自分にあてはめて正すのだ。」

Translated by へいはちろう

「人のフリみて我がフリなおせ」とかその様な感じでござろうか、自分を知るためには他人という鏡を用いるのが一番でござるからな、他人の持っている嫌な部分というのは実は自分の内面にあるものなのかも知れないでござる。同じ様なことを里仁第四の十七でもおっしゃっておられるでござるな。

老子も似たような事をおっしゃっているでござる。

「善人は善人では無い者の手本であり、善人では無い者は善人の反省材料である。手本を尊敬せず反省材料を愛さないというのでは、多少の知恵があっても迷うことになるだろう。- 老子 第二十七章

孔子も老子も同じ様に他者を手本として自らを正すことを言いながらも、たどりつく結果が異なるのは面白いところでござる。

孔子は世の人々が他者を手本として自らを正すことによって、世の中が正しい人ばかりとなり世の秩序と平和が保たれると考えられていたのでござる。

老子はといえば、そもそも人を善悪に別けることが間違いで、例え世の人々の道徳感が向上し世の中の秩序と平和を為しえたとしても、人を善悪に別ける事を止めない限り悪人はいなくならない。という考えでござる。

思えば最近のニュースなどでは、世の道徳倫理は廃れて世も末なのだそうでござるが果たして本当にそうなのでござろうか?

儒学では仁とは他者を思いやる気持ちで、義とは悪を憎む気持ちなのでござるが、もとより完璧では無い人間が自ら進んで善を為そうとする時、大事なのは仁でござろうか義でござろうか?仁なくして義あってもそれは独善というものでござる。

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孔子の論語 述而第七の二十 子、怪・力・乱・神を語らず

孔子の論語の翻訳170回目、述而第七の二十でござる。

漢文
子不語怪力亂神。

書き下し文
子、怪(かい)・力(りき)・乱(らん)・神(しん)を語らず。

英訳文
Confucius didn’t talk about occult, violent, obscene and spiritual matters.

現代語訳
孔子は怪異的な、暴力的な、猥褻な、霊的な事柄に関して語られる事はありませんでした。

Translated by へいはちろう

今回の文もまた儒学を哲学たらしめている孔子のエピソードでござるが、これらの話が好きな人々は現代にも大勢おられるでござるな。その辺の趣味はとりあえずおいておくとして、

孔子はよく現実主義者だったといわれるのでござるが、あくまで当時の感覚でいう現実主義だった点を忘れてはならないでござる。例えば孔子は易(えき)に通暁していたのでござるが、当時の中国では易は単なる占いではなく、世の仕組みを解き明かす科学的な思考と信じられていたのでござる。日本の平安時代などもそうでござるが、占いといえども国家を挙げて行えば、なかなか「たかが占い」とは言いがたいものでござる。

また特定の神を信じなかったとはいえ先祖供養という点においては精神主義的な側面をもっていて、霊魂や死後の世界などを語らなかった代わりに儀式や礼式、または古人の逸話などの権威をもって人々をなんとなく納得させてしまったと言えなくも無いでござるな。敬うのが先祖か神かが違うだけで、やり方は他の宗教とほぼ同じでござる。

まあ孔子が現実主義であろうが精神主義であろうが、おっしゃることに有用な点があれば素直に納得しておきたいでござるな。

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孔子の論語 述而第七の十九 我は生まれながらにしてこれを知る者に非ず

孔子の論語の翻訳169回目、述而第七の十九でござる。

漢文
子曰、我非生而知之者、好古敏以求之者也。

書き下し文
子曰わく、我は生まれながらにしてこれを知る者に非ず。古(いにしえ)を好み、敏(びん)にして以てこれを求めたる者なり。

英訳文
Confucius said, “I’m not a born scholar. If anything, I’m a man who likes learning ancient wisdom and devotes oneself to it.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私は生まれながらに多くを知っていた訳ではなかった。むしろ古代の英知を学ぶのが好きなだけで、学問に没頭しているだけに過ぎない。」

Translated by へいはちろう

普通に読んだら「孔子って人は謙虚で勤勉で偉いなぁ」という感想しかもてないような文でござるが、当時の人々にとっては学問を学ぶ余裕がある人はそれほど多くなかったのではないでござろうか?孔子の弟子の中には裕福な家の出の方もいれば貧しい家の出の方もおられるのでござるが、どちらにせよ日々の生活や家族を養うために満足に学問ができない御仁も居られたのではないでござろうか。

拙者自身、歴史好きが講じて英語を学ぶ様になって現在この様なブログを書いているのでござるが、学ぶことが出来る環境がある事に感謝でござる。少し歩けば図書館もあり、インターネットには膨大な情報が溢れている。もちろんそれらの情報を取捨選択する能力は必須となってくるのでござるが、玉石混交の情報から有益な情報を選び出す作業がまた楽しい。

ただ孔子は学問が好きなだけでなく、日々の行いも律しておられたでござろう、でなければ多くの弟子が慕いついて行くはずがござらん。そこで拙者自身をかえり見てみれば・・・ダメダメでござるな。

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孔子の論語 述而第七の十八 老いの将に至らんとするを知らざるのみ

孔子の論語の翻訳168回目、述而第七の十八でござる。

漢文
葉公問孔子於子路、子路不對、子曰、女奚不曰、其爲人也、發憤忘食、樂以忘憂、不知老之將至也云爾。

書き下し文
葉公(しょうこう)、孔子を子路(しろ)に問う。子路対(こたえ)ず。子曰わく、女(なんじ)奚(なんぞ)曰わざる、其の人と為(な)りや、憤りを発して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らざるのみと。

英訳文
Magistrate of She asked Zi Lu about Confucius, but Zi Lu didn’t reply. Confucius said, “Why didn’t you reply? You could reply – ‘He forgets to eat when he is absorbed in his study, forgets having hard time when he solves his problem. And he forgets his age because he likes studying.'”

現代語訳
葉県(しょうけん)の長官が子路(しろ)に孔子の人となりについて尋ねましたが、子路は返答しませんでした。
これを聞いた孔子はおっしゃいました、
「どうして返答しなかったのだ?こう言ってやればよかったのだ “先生は学問に熱中するあまり食事も忘れ、疑問が解決すればそれまでの苦労も忘れられます。何より学問を好むあまりにご自分の年齢を忘れられてる程です” と。」

Translated by へいはちろう

葉公(しょうこう:氏は沈、名は諸梁、字は子高。楚の葉県の長官。詳細は子路第十三の十八に。)

子路(しろ:季路とも言う。姓は仲、名は由、字は子路。詳細は公冶長第五の七に。)

理想的な人生だと言えるでござるな、里仁第四の二十一で孔子は「父母の年は知らざるべからず」とおっしゃっているのでござるが、さらにいえば両親に自分の年齢を忘れさせてあげるのも孝行ではないかと思う次第でござる。

現代の生活で自分の年を忘れるなどというのは難しいことかも知れないでござるが、できれば自分の年など忘れて日々の生活に充足感を感じてもらいたいと思う次第、それなのにお年寄りに対してお年寄りであることを思い知らせるような情報があふれかえっているのは悲しい事実でござる。

お年寄りに対して敬意を抱くのは当然として、「お年寄り」という型にあてはめようとする事こそ問題なのかも知れないでござるな。儒学はどちらかといえば型にはまった考え方をしがちの哲学でござるが、その根本に仁(他者を思いやる気持ち)があれば現代なりの敬老というのが見つけられるかも知れないと思う次第。

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