論語」カテゴリーアーカイブ

孔子の論語 述而第七の三十二 君子を行なうことは、則ち吾未だこれを得ること有らざるなり

孔子の論語の翻訳182回目、述而第七の三十二でござる。

漢文
子曰、文莫吾猶人也、躬行君子、則吾未之有得也。

書き下し文
子曰わく、文(ぶん)は吾猶(な)お人のごとくなること莫(な)からんや。躬(み)、君子を行なうことは、則ち吾未だこれを得ること有らざるなり。

英訳文
Confucius said, “I am confident of studying hard. But I have never been confident of practicing as a gentleman yet.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「学問においては私はそれなりの自信を持っているが、人格者としての実践となるとまだまだ自信を持つには至らない。」

Translated by へいはちろう

孔子をしていわしめるというか何というか、論語内で度々この様に日々の生活での実践が大事だと説いておられるのでござる。

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孔子の論語 述而第七の三十一 人と歌いて善ければ、必ずこれを返えさしめて、而して後にこれに和す

孔子の論語の翻訳181回目、述而第七の三十一でござる。

漢文
子與人歌而善、必使反之、而後和之。

書き下し文
子、人と歌いて善ければ、必ずこれを返(か)えさしめて、而(しか)して後にこれに和す。

英訳文
When someone sang well, Confucius asked him to sing again. Then Confucius sang together.

現代語訳
一緒に歌を歌っていて誰かが善く歌った時には、孔子は必ずもう一度歌ってもらい、その後で一緒に合唱された。

Translated by へいはちろう

好々爺な印象の孔子でござるな。宮廷音楽や祭祀の音楽の時には引き締まっておられたでござろうが、友と楽しむ音楽や歌の時には朗らかに楽しまれたという事でござろうか。

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孔子の論語 述而第七の三十 丘や幸いなり、苟くも過ちあれば、人必ずこれを知る

孔子の論語の翻訳180回目、述而第七の三十でござる。

漢文
陳司敗問、昭公知禮乎、孔子對曰、知禮、孔子退、揖巫馬期而進之曰、吾聞、君子不黨、君子亦黨乎、君取於呉、爲同姓謂之呉孟子、君而知禮、孰不知禮、巫馬期以告、子曰、丘也幸、苟有過、人必知之。

書き下し文
陳の司敗(しはい)問う、昭公は礼を知れるか。孔子対(こたえ)て曰わく、礼を知れり。孔子退く。巫馬期(ふばき)を揖(ゆう)してこれを進めて曰わく、吾聞く、君子は党せずと。君子も亦(また)党するか。君、呉に取(めと)れり。同性なるが為めにこれを呉孟子(ごもうし)と謂う。君にして礼を知らば、孰(たれ)か礼を知らざらん。巫馬期、以て告(もう)す。子曰わく、丘(きゅう)や幸いなり、苟(いやしく)も過ちあれば、人必ずこれを知る。

英訳文
The chief judicial officer of Chen asked, “Did marquis Zhao have a sense of courtesy?” Confucius replied, “Yes, he did.” Confucius left the room. Then chief judicial officer said to a pupil of Confucius whose name was Wu Ma Qi, “I think gentlemen must not be unfair. But I’m afraid gentlemen sometimes can be unfair. Marquis Zhao married a woman from Wu. Her family name was the same as marquis’s. So marquis called her Wu Meng Zi. If marquis had a sense of courtesy, everyone would have a sense of courtesy.” Wu Ma Qi said this to Confucius. Confucius said, “I feel happiness so much. If I make a mistake, someone correct my mistake.

現代語訳
陳の国の司法長官が孔子に、
「貴国の先代である昭公は礼節をわきまえたお方でしたか?」
と尋ね、孔子は、
「はい昭公は礼節をわきまえておいででした。」
と答えられました。
孔子が部屋を退出された後、長官は側にいた巫馬期(ふばき)を呼び寄せて言いました、
「人格者というものは身びいきをしてはならないはずだが、時には人格者といえども身びいきをするようだ。昭公は呉国より妻をめとられたが、彼女が同姓であったため、呉孟子(ごもうし)と呼んでごまかしていた。(同姓との結婚は許されないのに)この様な人物が礼節をわきまえるとしたら、誰でも礼節をわきまえていることになるだろう。」
その後で巫馬期が孔子にこのことを話すと、
「私はなんと幸せ者なのだろう。もし私が間違いを犯しても、誰かがそれを正してくれる。」
とおっしゃいました。

Translated by へいはちろう

巫馬期(ふばき:姓は巫馬、名は施、字は子旗。孔子の弟子の一人。)

昭公(しょうこう:魯の23代目、当時の魯の実質的支配者だった三桓氏の討伐を試みるが失敗して斉に亡命した。)

今でも中国や朝鮮半島では同姓同士の結婚を避ける傾向がある様でござるが、何故かを解説するのは非常に長くなるので省略するでござる。ちなみに魯も呉も周王室に連なる姫(き)姓でござるな、当時の諸侯のほとんどが周王室の子孫で姫姓だったので、諸侯の公子たちの結婚はさぞかし大変だったでござろう。

昭公はこの事以外にも先代の襄公の喪中にも喪服を着ながら遊び回ったりするなど、礼節をわきまえているとは言いがたい話が残っており、孔子が昭公を「礼節をわきまえている」と言ったのはあくまでも臣下として主君の悪口を言うべきでないと思ったからでござろう。

しかし陳の司法長官は(孔子も魯の司法長官だったことがある)、それを不公正であると非難した訳でござるが、孔子もこのような場合には忠よりも公正さが大事だと思いなおされて、すぐに間違いを認めるあたりは流石でござるな。

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孔子の論語 述而第七の二十九 我仁を欲すれば、斯に仁至る

孔子の論語の翻訳179回目、述而第七の二十九でござる。

漢文
子曰、仁遠乎哉、我欲仁、斯仁至矣。

書き下し文
子曰わく、仁遠からんや。我仁を欲すれば、斯(ここ)に仁至る。

英訳文
Confucius said, “Is the benevolence in a distant place? No, if we want benevolence, it is next to us.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「仁とはそれほど遠くにあるのだろうか?いいや、我々が仁を欲すればすぐ隣にあるのが仁なのだ。」

Translated by へいはちろう

このブログでは仁を「真心」または「他者を思いやる気持ち」と解釈して書いているのでござるが、もちろん読まれる方にはご自分なりの解釈をしていただいて構わないでござる。

拙者なりの解釈で話をすすめれば、「真心」も「他者を思いやる気持ち」もそれを欲した時には既に心の中にあるはずでござる。自分に正直になり他者を思いやる気持ちを持ちたいと思ったとき、誰の心の中にも既に仁があるのでござる。仁は一時的に忘れる事は出来ても失うことはできないものでござる。

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孔子の論語 述而第七の二十八 人、己を潔くして以て進まば、其の潔きに与みせん

孔子の論語の翻訳178回目、述而第七の二十八でござる。

漢文
互郷難與言、童子見、門人惑、子曰、與其進也、不與其退也、唯何甚、人潔己以進、與其潔也、不保其往也。

書き下し文
互郷(ごきょう)、与(とも)に言い難(が)たし。童子(どうじ)見(まみ)ゆ。門人(もんじん)惑う。子曰わく、其の進むに与(くみ)するなり。其の退くに与せざるなり。唯だ、何ぞ甚(はなは)だしき。人、己を潔くして以て進まば、其の潔きに与みせん。其の往(おう)を保(ほ)せざるなり。

英訳文
It was difficult to communicate with people of Hu Xiang. (they had the reputation of being vulgar.) A boy from Hu Xiang asked to meet Confucius, and pupils frowned. Confucius said, “The boy came to improve himself, not to corrupt. Why can’t I teach him? I do believe in people’s pure heart when they purified their heart. But it depends on his efforts if he can become a good person or not after he goes back.

現代語訳
互郷(ごきょう)というあまり風評の良く無い村があった。道理の通じぬといわれたその村からある時一人の少年が孔子に会いたいとやって来たが、弟子たちは嫌な顔をした。
すると孔子がおっしゃいました、
「その少年は自分を向上させようとしてやって来たのだ、堕落するためでは無い。彼を導くことに何の問題があるだろうか? 私は清く純真な心で尋ねてきた者のその心を信じる。しかし帰ったあとで彼が良い人間となれるかは彼の努力次第だ。」

Translated by へいはちろう

この少年がその後どうなったのか、などと思索をめぐらせるのも一興でござるな。少年が孔子に何を求めて来たのか、何か魔法の様な素晴らしい教えが聞けると思ったのか、それとも立身出世の野心を抱いて来たのか、どちらにせよ孔子がまずおっしゃったのは「家に帰って親孝行しなさい」だったであろうと思うのでござる。

淡い期待を抱いてやってきた少年がそれを聞いて失望したか納得したかは解らないでござるが、それ故に「少年の努力次第」となるのでござる。

しかし一人孔子を訪ねて門を叩くその行動力があるならば、孔子が想像していたのとはまた違った形で村人から頼りにされ、尊敬される人物に成長したかも知れないでござる。

教育はしばしば種を蒔くことに例えられるのでござるが、畑に蒔かれず路傍に落ちた種子がまれにたくましく成長するのも醍醐味のひとつではないでござろうか。

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