論語」カテゴリーアーカイブ

孔子の論語 述而第七の二十七 蓋し知らずしてこれを作る者あらん

孔子の論語の翻訳177回目、述而第七の二十七でござる。

漢文
子曰、蓋有不知而作之者、我無是也、多聞擇其善者而從之、多見而識之、知之次也。

書き下し文
子曰わく、蓋(けだ)し知らずしてこれを作る者あらん。我は是れ無きなり。多く聞きて其の善き者を択(えら)びてこれに従い、多く見てこれを識(しる)すは、知るの次なり。

英訳文
Confucius said, “Some people invent their opinion without sufficient knowledge. But I never do so. I listen to many stories, and choose useful points from them. I read many books and memorize them. This is another style of knowledge.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「十分な知識も無く自説を創作するものも中にはいるようだが、私は決してその様な事はしない。色々な話を聞いてその中から有益なものを選んで従う、多くの書物を読んで記憶しておく、これらは知識のまた別の形の一つなのだ。」

Translated by へいはちろう

最後の部分は「物知りといえないまでも、その次くらいと言えるだろう」という解釈をされる事が多いのでござるが、体験によって得られる知識と読書などによって得られる知識の対比という意味でこの様に訳した次第でござる。

現代の我々にとって知識とは当然上記の両方を指すのでござるが、当時は紙もまだ発明されていない時代でござる。政治や祭祀など非常に重要な事を竹簡や木簡などに書き記すことはあっても、個人的な意見などを記録して残すなどというのはそれまであまりなかったのではないでござろうか?

思えば孔子とほぼ同時代に諸子百家がたち、様々な意見や思想を議論したのはそういった文字や記録文化の黎明期ならではの輝きだったのかも知れないでござるな。

文字の発明、紙の発明、活版印刷の発明、とこれらの発明が人類史にとても大きな影響を与えたのはわざわざ説明するまでも無いとして、インターネットの発明によって知識の共有はさらに深まったといえるでござろう。

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孔子の論語 述而第七の二十六 釣して綱せず、弋して宿を射ず

孔子の論語の翻訳176回目、述而第七の二十六でござる。

漢文
子釣而不綱、弋不射宿。

書き下し文
子、釣(つり)して綱(こう)せず。弋(よく)して宿を射ず。

英訳文
Confucius enjoyed fishing, but not used a net. He enjoyed hunting, but not shot birds in a nest.

現代語訳
孔子は釣りを楽しまれたが、網を用いる事はなかった。狩りを楽しまれたが、巣の中の鳥を射る事はなかった。

Translated by へいはちろう

今回の文の解釈はなかなか難しいでござるな。単純に解釈すれば必要以上に求めたり、不必要な殺生を避けたという意味なのでござるが、そもそも魚を取るのに網を用いるのは生活のためにするのであって娯楽のために釣りをするのとは訳が違う。猟師ならば罠をしかけて獣を捕らえることもあるかも知れないが、教養人のたしなみとしての弓術とはまた訳が違う。

もちろん孔子はその辺を弁えておられたからこそ、この様になさっていたのでござるが、この様な文が論語にある事で論語の編纂者の視点が民衆の方向を向いていなかったのでは無いかと今更ながらに思うのは考えすぎでござろうか?

ただ単に拙者があまのじゃくなだけでござるな。

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孔子の論語 述而第七の二十五 恒ある者を見るを得ば、斯れ可なり

孔子の論語の翻訳175回目、述而第七の二十五でござる。

漢文
子曰、聖人吾不得而見之矣、得見君子者、斯可矣、子曰、善人不得而見之矣、得見有恆者、斯可矣、亡而爲有、虚而爲盈、約而爲泰、難乎有恆矣。

書き下し文
子曰わく、聖人は吾得てこれを見ず。君子者(くんししゃ)を見るを得ば、斯れ可(か)なり。子曰わく、善人は吾得てこれを見ず。恒(つね)ある者を見るを 得ば、斯れ可なり。亡(な)くして有りと為し、虚(むなし)くして盈(み)てりと為し、約にして泰(ゆたか)なりと為す。難(かた)いかな、恒あること。

英訳文
Confucius said, “I’ve never seen a sage. But I will be content if I can see a gentleman.” Confucius said, “I’ve never seen a born good person. But I will be content if I can see a person who knows contentment. He can be rich without money, fulfilled without substances and calm if he is poor. There are few people like that.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私は聖人に会ったことはないが、人格者に会うことが出来ればそれで十分だ。」
孔子はまたおっしゃいました、
「私は生まれつきの善人に会ったことはないが、満足する事を知っている人物に会うことが出来ればそれで十分だ。その人物は物が無くても有る様に豊かで、財産が空っぽでも心が満たされていて、貧しくてものびやかに暮らす。しかしその様な人物に会うのは難しい。」

Translated by へいはちろう

「武士は食わねど高楊枝」という言葉が一瞬頭に浮かんだのでござるが、これは違うでござるな。

武士は~の言葉は忍耐や自制を表しているのでござるが、今回の文章は「足るを知る」を表しているのでござる。忍耐と満足では大分違う解釈でござる。忍耐することによって得られる満足、という解釈も出来るでござるが、やはり満足の方に重きを置きたいところでござるな。

しかし孔子のお言葉の大半は良しとして、最後のこの様な人物が少ない。という言葉には皮肉を感じざるを得ないでござる。何故なら足るを知る事や素朴な暮らしを重んじて孔子の儒学と対立していた老荘思想家、特に荘子の中の寓話ではまさにこの様な暮らしを守る人々によって孔子が批判されているからでござる。(但し、荘子は孔子を批判しつつも一定の評価もしている)

孔子の周りには立身出世や向学の志高い若者が集まり、名誉欲の強い王侯貴族と交わっていたのでござるから、その様な人物が少ないのは当然の事でござる。

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孔子の論語 述而第七の二十四 子、四つを以て教う。文、行、忠、信。

孔子の論語の翻訳174回目、述而第七の二十四でござる。

漢文
子以四教、文行忠信。

書き下し文
子、四つを以て教う。文、行、忠、信。

英訳文
Confucius taught us four teachings. Reading, practice, loyalty and faithfulness.

現代語訳
孔子は四つの大切な事を教えてくださいました。すなわち読書、実践、誠実、信義です。

Translated by へいはちろう

学び、行い、誠実に尽くし、信義を守る、まさに儒学の理想とするところでござるな。

これ以上の解説はかえって野暮というものでござろう。しかし拙者自身のことをいえば「学び」までは自信があるものの、それ以降が全くダメでござるな。耳が痛い・・・

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孔子の論語 述而第七の二十三 吾行うとして二三子と与にせざる者なし

孔子の論語の翻訳173回目、述而第七の二十三でござる。

漢文
子曰、二三子以我爲隱乎、吾無隱乎爾、吾無所行而不與二三子者、是丘也。

書き下し文
子曰わく、二三子(にさんし)、我を以て隠(かく)せりと為すか。吾は爾(なんじ)に隠すこと無し。吾行うとして二三子と与(とも)にせざる者なし。是(これ)丘(きゅう)なり。

英訳文
Confucius said, “Do you think I have the secrets from you? I never have any secrets. I always share everything with you. This is my way.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「お前たちは私が何か隠し事をしていると思うのか?私はお前たちに秘密など持たない、常に知識を分かち合っている。それが私なのだ。」

Translated by へいはちろう

これは弟子たちがまだ教えてもらっていない儒学の奥義があるのでは無いかと疑っていたためにおっしゃった言葉でござる。礼法や儀式の奥義などといえば何だか呪術じみていて、そんな奥義があるわけないと思うのでござるが、どんな奥義があると思っていたのか興味が尽きないところでござる。

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