論語」カテゴリーアーカイブ

孔子の論語 述而第七の三十七 温にして厲し、威にして猛からず、恭にして安し

孔子の論語の翻訳187回目、述而第七の三十七でござる。

漢文
子温而厲、威而不猛、恭而安。

書き下し文
子は温(おだやか)にして厲(はげ)し、威(い)にして猛(たけ)からず。恭(きょう)にして安(やす)し。

英訳文
Confucius was mild and passionate, dignified but not rough, respectful and peaceful.

現代語訳
孔子は穏やかでありながら情熱的で、威厳がありながら粗暴な所が無く、恭しくありながら安らかであった。

Translated by へいはちろう

孔子の人柄についての評でござるな。

今回で述而第七は終了し、明日からは泰伯第八でござる。

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孔子の論語 述而第七の三十六 君子は坦かに蕩蕩(とうとう)たり

孔子の論語の翻訳186回目、述而第七の三十六でござる。

漢文
子曰、君子坦蕩蕩、小人長戚戚。

書き下し文
子曰わく、君子は坦(たいら)かに蕩蕩(とうとう)たり。小人は長(とこしな)えに戚戚(せきせき)たり。

英訳文
Confucius said, “Gentlemen are calm and peaceful. Worthless men are restless and nervous.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「人格者は穏やかでのんびりしている。取るに足らない人物は落ち着きが無く心配事が絶えない。」

Translated by へいはちろう

少し解釈を発展させると、人格者は要点を押さえて細かいことには拘らない、という事でござろうか。細かいことに拘って要点をないがしろにするより何倍もマシでござるな。

同じ様な感じで他人の細かい欠点を見つけてはお怒りになられる御仁が居られるようでござるが、いかがなものでござろうか?

真面目な人ほど他人にも真面目さを要求し、潔癖な人ほど他人にも潔癖さを要求する。要求がかなえられないと失望したり怒ったりもする。努力家の人はぐうたらな人を軽蔑し、勤勉な人は勉強嫌いな人を軽蔑する。

しかし人にとって最も大切な美徳は何でござろうか?別に人それぞれで良いのでござるが、孔子は仁(他人を思いやる気持ち)とおっしゃっているでござる。

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孔子の論語 述而第七の三十五 其の不孫ならんよりは寧ろ固しかれ

孔子の論語の翻訳185回目、述而第七の三十五でござる。

漢文
子曰、奢則不孫、儉則固、與其不孫也寧固。

書き下し文
子曰わく、奢(おご)れば則ち不孫(ふそん)、倹(けん)なれば則ち固(いや)し。其の不孫ならんよりは寧(むし)ろ固しかれ。

英訳文
Confucius said, “You will be arrogant if you live in luxury. You will be stubborn if you live frugally. I prefer being stubborn to being arrogant.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「贅沢に暮らすと傲慢になる。質素に暮らすと頑固になる。傲慢になるより頑固になる方が良い。」

Translated by へいはちろう

贅沢しすぎても倹約しすぎてもいけない、人並みのほどほどの生活を営むべきであるが、特に贅沢しすぎないように注意すべきである。という感じでござろうか。中庸の徳を重んじる孔子ならではのご意見でござるな。

質素に暮らすと頑固になる、というのは中々奥深い言葉でござる。拙者自身は物欲が人より少ないのか質素倹約の暮らしを守りたいと思っているのでござるが、言われてみれば頑固で意固地でござる。

自分の考えを守るのは良いと思うのでござるが、他者の考えも尊重する気持ちを忘れては危険でござるな、自戒自戒。

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孔子の論語 述而第七の三十四 丘の祷ること久し

孔子の論語の翻訳184回目、述而第七の三十四でござる。

漢文
子疾病、子路請祷、子曰、有諸、子路對曰、有之、誄曰、祷爾于上下神祇、子曰、丘之祷之久矣。

書き下し文
子の疾(やまい)、病(へい)なり。子路(しろ)、祷(いの)らんと請(こ)う。子曰わく、諸(こ)れ有りや。子路対(こた)えて曰わく、これ有り、誄(るい)に曰わく、爾(なんじ)を上下の神祇(しんぎ)に祷ると。子曰わく、丘(きゅう)の祷ること久し。

英訳文
Confucius had got a illness. Zi Lu wanted to pray for Confucius. Confucius asked, “Do you have any grounds?” Zi Lu replied, “Yes, master. The ancient prayers say – ‘I pray to gods of heaven and earth for you.'” Confucius said, “Then, it is no need. I have been praying to gods for a long time.”

現代語訳
孔子が病になられました。子路(しろ)が孔子のために祈祷をしたいというと孔子は、
「祈祷をする根拠があるのかね?」
と子路に尋ねられ、子路は、
「はい、いにしえの追悼文にこういうのがあります。”君がため、天地の神に祈りを捧げん”」
と答え、これを聞いて孔子は、
「それならば祈祷の必要などない、私は普段から天地の神に祈りを捧げてきた。」
とおっしゃいました。

Translated by へいはちろう

子路(しろ:孔門十哲の一人。詳細は公冶長第五の七に。)

無骨な子路が師のために祈祷文などを調べている姿を想像すると微笑ましいエピソードでござるが、孔子の神という存在に対する考え方がよく表れているでござるな。

天地の神々や先祖の霊を軽んじ、行いに悪い点があったならば天の罰ともいえるだろうが、そうでないならば別の理由で病になったのだから祈っても無駄である、という訳でござる。

人の力の及ばない世界で神々は天地を司っているだろうが、だからといって人間社会の細々としたことにまで作為を及ぼしているわけでは無いということでござろうか。

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孔子の論語 述而第七の三十三 聖と仁との若きは、則ち吾豈に敢えてせんや

孔子の論語の翻訳183回目、述而第七の三十三でござる。

漢文
子曰、若聖與仁、則吾豈敢、抑爲之不厭、誨人不倦、則可謂云爾已矣、公西華曰、正唯弟子不能學也。

書き下し文
子曰わく、聖と仁との若(ごと)きは、則ち吾豈(あ)に敢えてせんや。抑々(そもそも)これを為して厭(いと)わず、人を誨(おし)えて倦(う)まずとは、則ち謂うべきのみ。公西華(こうせいか)が曰わく、正に唯だ弟子学ぶこと能わざるなり。

英訳文
Confucius said, “I myself also cannot be a sage or a benevolent person. I can only aspire after these way and teach people eagerly.” Gong Xi Hua said, “That’s really the thing we cannot.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私自身、聖人や仁者の様なことはとても出来ることでは無い。私に出来るのはせいぜいそれらの道を追い求めて、飽きることなく人々に教えることだけだ。」
すると公西華(こうせいか)が、
「それこそまさに我ら弟子たちにはとても真似できぬことなのです。」
と言いました。

Translated by へいはちろう

公西華(こうせいか:姓は公西、名は赤、字は子華。孔子の弟子の一人。孔子よりも42歳若く、裕福な家の出で礼法などに明るく公冶長第五の八では外交官に相応しいと孔子に評され実際に外交官になった。)

公西華にとって42歳も年が離れ自分の得意分野で時代の頂点に立つ孔子は、尊敬の対象というよりは崇拝の対象になっていたかも知れないでござるな。

孔子が偉人だということには疑いもなく今回のお言葉も立派でござるが、孔子を神聖視しすぎるとかえって孔子が本当に言いたかったことから遠ざかってしまうことになる。才能という言葉は時に人間の努力を軽視するものでござる。

公西華の返答も中々に才幹を感じさせるものでござるが、それだけに「とても真似できぬ」と言われて孔子が喜んだとは拙者には思えないでござるな。

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