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孔子の論語 泰伯第八の五 能を以て不能に問い、多きを以て寡なきに問う

孔子の論語の翻訳192回目、泰伯第八の五でござる。

漢文
曾子曰、以能問於不能、以多問於寡、有若無、實若虚、犯而不校、昔者吾友嘗從事於斯矣。

書き下し文
曾子(そうし)曰わく、能(のう)を以て不能に問い、多きを以て寡(すく)なきに問い、有れども無きが若(ごと)く、実(み)つれども虚(むな)しきが若く、犯されて校(むく)いず。昔者(むかし)、吾が友、嘗(かつ)て斯(ここ)に従事(じゅうじ)せり。

英訳文
Zeng Zi said, “I had a friend. He took lessons by talentless people even though he had a talent. He took lessons by ignorant people even though he had a wide knowledge. He behaved humbly even though he had a lot of virtue. He never revenged for damage.”

現代語訳
曾子(そうし)がおっしゃいました、
「才能がありながら非才の人々にも教えを乞い、博識でありながら無知な人々にも教えを乞い、多くの美徳を持ちながら自分はまだ至らぬと謙虚に振舞い、他者から被害を受けても仕返しなどしない。そういう友達がかって私には居た。」

Translated by へいはちろう

曾子(Zeng Zi, 姓は曾、名は参、字は子與。詳細は里仁第四の十五に。)

この友人は顔回(がんかい)を指すと言われているでござる。謙虚さと向学心の高さがまさに顔回のイメージにぴったりなので反論の余地が無いでござるな。

「実るほど、頭(こうべ)の垂れる、稲穂かな」

という言葉があるのでござるが、ぜひともこういう人物になりたいものでござる。

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孔子の論語 泰伯第八の四 君子の道に貴ぶ所の者は三つ

孔子の論語の翻訳191回目、泰伯第八の四でござる。

漢文
曾子有疾、孟敬子問之、曾子言曰、鳥之將死、其鳴也哀、人之將死、其言也善、君子所貴乎道者三、動容貌、斯遠暴慢矣、正顔色、斯近信矣、出辭氣、斯遠鄙倍矣、笾豆之事、則有司存。

書き下し文
曾子(そうし)、疾(やまい)あり。孟敬子(もうけいし)これを問う。曾子言いて曰わく、鳥の将(まさ)に死なんとするや、其の鳴くこと哀し。人の将に死なんとするや、其の言うこと善し。 君子の道に貴(たっと)ぶ所の者は三つ。容貌(ようぼう)を動かしては斯(ここ)に暴慢(ぼうまん)を遠ざく。顔色を正しては斯に信に近づく。辞気を出(い)だしては斯に鄙倍(ひばい)を遠 ざく。笾豆(へんとう)の事は則ち有司(ゆうし)存せり。

英訳文
Zeng Zi had got a illness. Meng Jing Zi visited him. Zeng Zi said, “The proverb says – ‘A bird cries sadly when it  is dying, A person leaves a good will when he is dying.’ (So please listen to my last words carefully.) Gentlemen must keep three teachings – ‘You must watch your behavior to avoid being rough. You must watch your expression to correspond with your words. You must watch your language to avoid being vulgar.’ You can leave manners at the rites to specialists.”

現代語訳
曾子(そうし)が病で倒れました。孟敬子(もうけいし)が見舞いにやってきたので曾子は彼におっしゃいました、
「”鳥が死に行こうとする時、その鳴き声は悲しげである。人が死に行こうとする時、良い言葉を残す” という諺があります (どうか私の言葉を注意してお聞き下さい)。人格者が守らねばならない教えが三つあります。自分の振る舞いに注意し、乱暴にならないようにしなさい。自分の表情に注意し、言葉と違わぬようにしなさい。自分の言動に注意し、下品にならないようにしなさい。(これらさえ守れば)祭祀における些細な礼法などは専門家にまかせてもよいのです。」

Translated by へいはちろう

曾子(Zeng Zi, 姓は曾、名は参、字は子與。詳細は里仁第四の十五に。)

孟敬子(もうけいし:魯の実質的支配者である三桓氏の一つ、孟孫氏の一族。名は捷。)

拙者はこのブログで「自己を律する」と儒学を表現する事が多いのでござるが、その具体的な方法でござるな。

振る舞い、表情、言動。全て自分の心が表れると曾子はおっしゃっているのでござる。これは「うわべをとりつくろえ」とおっしゃっているのではもちろん無くて、その様な形で表れてしまう自分の内心を恥じて正しなさい。ということでござるな。

拙者自身、恥じることは多々あるのでござるが正すまではなかなか手が回らないこの現実。

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孔子の論語 泰伯第八の三 深淵に臨むが如く、薄冰を履むが如し

孔子の論語の翻訳190回目、泰伯第八の三でござる。

漢文
曾子有疾、召門弟子曰、啓予足、啓予手、詩云、戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰、而今而後、吾知免夫、小子。

書き下し文
曾子(そうし)、疾(やまい)あり。門弟(もんてい)子を召(よ)びて曰わく、予(わ)が足を啓(ひら)け、予が手を啓け。詩に云(い)う、戦戦兢兢(せんせんきょうきょう)として、深淵(しんえん)に臨(のぞ)むが如(ごと)く、薄冰(はくひょう)を履(ふ)むが如しと。而今(いま)よりして後(のち)、吾免(まぬが)るることを知るかな、小子(しょうし)。

英訳文
Zeng Zi had got a illness. He gathered his pupils and said, “Look over my arms and legs. Shi Jing says, ‘You must take good care of your body like you are looking at an abyss and walking on a thin ice.’ Now, I don’t need to worry about my body like that anymore, do I?”

現代語訳
曾子(そうし)が病になられました。そして弟子達を集めておっしゃいました、
「私の手を見てくれ、足を見てくれ。詩経にこういう言葉がある、”おそるおそる慎重に、深い淵を覗き込む時のように、薄い氷の上を歩く時のように (父母から授かった自分の体を大切にしなさい)”。 しかし今となってはその様な心配をする必要が無くなったのかも知れないな、お前たち。」

Translated by へいはちろう

曾子(Zeng Zi, 姓は曾、名は参、字は子與。詳細は里仁第四の十五に。)

孝経の著者である曾子ならではのお言葉でござるな、父母から授かった自分の体を今まで大事にしては来たが、死の床にあってようやくその体の役目も終わりになるのだなぁ、と感慨深くおっしゃったのでござろう。

孝経の中で孔子は曾子に対して、
「身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く、敢て毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」
(父母から授かった体を大事にする事は親孝行の第一歩である)
とおっしゃっているでござる。

別段難しい事を考える必要はなく、心配をする人がいるのだから「事故には気をつけましょう」と至極当たり前な事を敢えて言わせていただくでござる。それ以上の事を言う人はこの言葉の本質を見失っているかもしれないでござるな。

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孔子の論語 泰伯第八の二 恭にして礼なければ則ち労す

孔子の論語の翻訳189回目、泰伯第八の二でござる。

漢文
子曰、恭而無禮則勞、愼而無禮則子葸、勇而無禮則亂、直而無禮則絞、君子篤於親、則民興於仁、故舊不遺、則民不偸。

書き下し文
子曰わく、恭(きょう)にして礼なければ則(すなわ)ち労(ろう)す。慎(しん)にして礼なければ則ち葸(し)す。勇にして礼なければ則ち乱る。直(ちょく)にして礼なければ則ち絞(こう)す。君子、親(しん)に篤(あつ)ければ、則ち民(たみ)仁(じん)に興こる。故旧遺(こきゅうわす)れざれば、則ち民(たみ)偸(うす)からず。

英訳文
Confucius said, “Without manners: you will be tired even if you want to be reverent, you will be perverse even if you want to be prudent, you will be rough even if you want to be brave, and you will be incisive even if you want to be honest. If a monarch take good care of his relatives, people will be benevolent. If a monarch are kind to his old friends, people will be kind.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「もし恭しく振舞おうという気持ちがあっても礼儀作法を心得なければ骨が折れるだろう。もし慎重に行動しようとしても礼儀作法を心得なければ卑屈だと思われるだろう。もし勇気があっても礼儀作法を心得なければ乱暴者と呼ばれるだろう。もし正直たろうとしても礼儀作法を心得なければ辛辣な物言いになるだろう。もし君主が親戚に対して手厚く対すれば人々の心に仁が芽生えるだろう。もし君主が旧友を大切にすれば人々は親切になるだろう。」

Translated by へいはちろう

前半はなんのために礼儀作法があるのか、という根本的なお話でござるな。現代に生きる我々にしてみれば、「それが当たり前の礼儀だから」という感覚でしかなかったりするのでござるが、その当たり前とされる礼儀が無かったら一体どの様に相手に接して良いのか解らなくなってしまうでござるな。解り易くいえば外国にいったときに、その国の風習をまったく知らなければ思いがけず相手を不快にさせてしまうのと同じでござる。

つまり礼儀作法というのは相手に対する敬意を表すための共通のフォーマットなのでござる。英語学習ブログ的にいえば、言葉に拠らないコミュニケーションの手法でござるな。

しかし本来は自分の真心を誤解されずに伝えるための礼儀作法を、手段と目的を取り違えて用いる方が多いのは悲しいでござるな。英語をコミュニケーション手段としてではなく、進学や就職のために学ばされるのと同じでござる。これらが教養として求められる以上致し方ない事なのでござるが。いや礼儀作法も英語も学ぶきっかけは問わなくてもよいでござるな。しかし学び得たものをどう使うかはまた別の話になると思うのでござる。

老子はこの様に厳しく批判されているでござる。

「礼を重んじる人間は、自分がしている善い事を他人にも無理やりやらせようとする。~略~ とくに礼などというものは、人々から真心や信義が失われた後に作られたものであって、これこそが社会を乱すもとなのだ。 – 老子 第三十八章

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孔子の論語 泰伯第八の一 泰伯は其れ至徳と謂うべきのみ

孔子の論語の翻訳188回目、泰伯第八の一でござる。

漢文
子曰、泰伯其可謂至徳也已矣、三以天下譲、民無得而稱焉。

書き下し文
子曰わく、泰伯(たいはく)は其(そ)れ至徳(しとく)と謂(い)うべきのみ。三たび天下を以(もっ)て譲(ゆず)る。民(たみ)得(え)て称(しょう)すること無し。

英訳文
Confucius said, “Tai Bo had a great virtue. He refused the throne three times. But people didn’t know that and could not praise him.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「泰伯(たいはく)は至高の美徳を持っておられた。三度君位を辞退したが、人々がその事を知りその徳を称えることすらなかったのだ。」

Translated by へいはちろう

泰伯(たいはく:太伯とも書く、周の公子、呉の始祖。周の武王の曽祖父である古公亶父(ここうたんぽ)には泰伯をはじめ三人の子があったが、末弟の季歴の子(姫昌、後の文王)の時代に周は栄えると易に出たため、季歴に跡を継がせようと次弟の虞仲と共に荊蛮の地へ移って呉を興した。三度譲るとは以下の通り、古公亶父の葬儀に参列せず喪主を季歴に務めさせた、季歴が迎えに来たが固辞した、喪が明けて正式に季歴が位を継ぐと荊蛮の地の風習にあわせて髪を短く切り刺青を入れて二度と帰らぬ証明とした。)

まだこの時代には長子相続の風習はなくて(そもそも長子相続は儒学の影響が強い)、弟が跡を継ぐことなどは普通の事でござった。例えばほぼ同時代の殷の紂王も末弟で微子啓、微仲衍という二人の兄がいるのでござる。この二人の兄も殷滅亡後に宋に封じられてその始祖となっている点が泰伯に似ているでござるな。

孔子が泰伯を称賛するのは逆説的に孔子の時代の諸侯が跡継ぎ問題でお家騒動が絶えなかったからでござろう。それ故に孔子は君臣長幼の別を説いて身分秩序を定めようとなされたわけでござろうが、ここでも大切なのは譲り合いの精神だということでござるな。

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