孔子の論語の翻訳188回目、泰伯第八の一でござる。
漢文
子曰、泰伯其可謂至徳也已矣、三以天下譲、民無得而稱焉。
書き下し文
子曰わく、泰伯(たいはく)は其(そ)れ至徳(しとく)と謂(い)うべきのみ。三たび天下を以(もっ)て譲(ゆず)る。民(たみ)得(え)て称(しょう)すること無し。
英訳文
Confucius said, “Tai Bo had a great virtue. He refused the throne three times. But people didn’t know that and could not praise him.”
現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「泰伯(たいはく)は至高の美徳を持っておられた。三度君位を辞退したが、人々がその事を知りその徳を称えることすらなかったのだ。」
Translated by へいはちろう
泰伯(たいはく:太伯とも書く、周の公子、呉の始祖。周の武王の曽祖父である古公亶父(ここうたんぽ)には泰伯をはじめ三人の子があったが、末弟の季歴の子(姫昌、後の文王)の時代に周は栄えると易に出たため、季歴に跡を継がせようと次弟の虞仲と共に荊蛮の地へ移って呉を興した。三度譲るとは以下の通り、古公亶父の葬儀に参列せず喪主を季歴に務めさせた、季歴が迎えに来たが固辞した、喪が明けて正式に季歴が位を継ぐと荊蛮の地の風習にあわせて髪を短く切り刺青を入れて二度と帰らぬ証明とした。)
まだこの時代には長子相続の風習はなくて(そもそも長子相続は儒学の影響が強い)、弟が跡を継ぐことなどは普通の事でござった。例えばほぼ同時代の殷の紂王も末弟で微子啓、微仲衍という二人の兄がいるのでござる。この二人の兄も殷滅亡後に宋に封じられてその始祖となっている点が泰伯に似ているでござるな。
孔子が泰伯を称賛するのは逆説的に孔子の時代の諸侯が跡継ぎ問題でお家騒動が絶えなかったからでござろう。それ故に孔子は君臣長幼の別を説いて身分秩序を定めようとなされたわけでござろうが、ここでも大切なのは譲り合いの精神だということでござるな。
泰伯第八の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 泰伯第八を英訳を見て下され。