孔子の論語 述而第七の十八 老いの将に至らんとするを知らざるのみ

孔子の論語の翻訳168回目、述而第七の十八でござる。

漢文
葉公問孔子於子路、子路不對、子曰、女奚不曰、其爲人也、發憤忘食、樂以忘憂、不知老之將至也云爾。

書き下し文
葉公(しょうこう)、孔子を子路(しろ)に問う。子路対(こたえ)ず。子曰わく、女(なんじ)奚(なんぞ)曰わざる、其の人と為(な)りや、憤りを発して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らざるのみと。

英訳文
Magistrate of She asked Zi Lu about Confucius, but Zi Lu didn’t reply. Confucius said, “Why didn’t you reply? You could reply – ‘He forgets to eat when he is absorbed in his study, forgets having hard time when he solves his problem. And he forgets his age because he likes studying.'”

現代語訳
葉県(しょうけん)の長官が子路(しろ)に孔子の人となりについて尋ねましたが、子路は返答しませんでした。
これを聞いた孔子はおっしゃいました、
「どうして返答しなかったのだ?こう言ってやればよかったのだ “先生は学問に熱中するあまり食事も忘れ、疑問が解決すればそれまでの苦労も忘れられます。何より学問を好むあまりにご自分の年齢を忘れられてる程です” と。」

Translated by へいはちろう

葉公(しょうこう:氏は沈、名は諸梁、字は子高。楚の葉県の長官。詳細は子路第十三の十八に。)

子路(しろ:季路とも言う。姓は仲、名は由、字は子路。詳細は公冶長第五の七に。)

理想的な人生だと言えるでござるな、里仁第四の二十一で孔子は「父母の年は知らざるべからず」とおっしゃっているのでござるが、さらにいえば両親に自分の年齢を忘れさせてあげるのも孝行ではないかと思う次第でござる。

現代の生活で自分の年を忘れるなどというのは難しいことかも知れないでござるが、できれば自分の年など忘れて日々の生活に充足感を感じてもらいたいと思う次第、それなのにお年寄りに対してお年寄りであることを思い知らせるような情報があふれかえっているのは悲しい事実でござる。

お年寄りに対して敬意を抱くのは当然として、「お年寄り」という型にあてはめようとする事こそ問題なのかも知れないでござるな。儒学はどちらかといえば型にはまった考え方をしがちの哲学でござるが、その根本に仁(他者を思いやる気持ち)があれば現代なりの敬老というのが見つけられるかも知れないと思う次第。

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