孔子の論語 子路第十三の十八 父は子の為めに隠し、子は父の為に隠す、直きこと其の内に在り

孔子の論語の翻訳331回目、子路第十三の十八でござる。

漢文
葉公語孔子曰、吾黨有直躬者、其父攘羊、而子證之、孔子曰、吾黨之直者異於是、父爲子隱、子爲父隱、直在其中矣。

書き下し文
葉公(しょうこう)、孔子に語りて曰わく、吾(わ)が党に直躬(ちょくきゅう)なる者あり。其の父、羊を攘(ぬす)みて。子これを証す。孔子曰わく、吾が党の直(なお)き者は是れに異なり。父は子の為めに隠し、子は父の為に隠す。直きこと其の内に在り。

英訳文
Magistrate of She said to Confucius, “There is a very honest person in our village. When his father stole sheep, he prosecuted his own father.” Confucius said, “In our village, honesty is different from yours. A father defends his children and Children defend their father. I think this is honesty.”

現代語訳
葉県(しょうけん)の長官が孔子に言いました、
「私の村にはとても正直な者がいます。彼の父親が羊を盗んだとき、自らの父親を訴えたのです。」
孔子はこれを聞いて、
「私の村の正直というのはそれとは違います。父は子のために罪を隠し、子は父のために罪を隠します。本当の正直とはその心の中にあるものです。」
とおっしゃいました。

Translated by へいはちろう

葉公(しょうこう:葉公子高とも言う。氏は沈、名は諸梁、字は子高。楚の葉県の長官。「葉公好龍(しょうこうりゅうをこのむ)」の故事でも知られ小人という評価をされがちではあるが、春秋左氏伝によると白公の乱を平定した功績により楚恵王から令尹(宰相)と司馬(軍事長官)に任じられて文武の大権を得ながらも、それらの役職を他者に譲りわたして葉公の地位にとどまるなど仁義に厚く民衆に慕われる名将としての逸話も残っている。)

今回の文については賛否両論あるのではないでござろうか、人の物を盗んではいけないというのは人類普遍の社会正義の一つでござる。親孝行や家族愛も人類普遍の倫理徳目だとはいえ、家族のために犯罪を見過ごしてもよいというのは中々すぐには納得できないものでござる。

しかし儒学の倫理観の根本は孝(家族愛)であり、その孝をもって家族が正しく生きられるように支えあうのが基本なのでござる。現代の個人主義とは違って自分だけが正直者になろうとしても許されないのでござるな。

これに対し法家の韓非子は五蠹篇でこれと同じ直躬のエピソードを挙げ、孔子の考えを寓話によって否定した後で、「公」と「私」の概念はその文字の成立から相反しており決して両立しないという様な趣旨の意見を述べているでござる。

ちなみに現代日本の法律では刑法第105条に「前2条の罪(第103条:犯人蔵匿等、第104条:証拠隠滅等) については、犯人又は逃走した者の親族がこれらの者の利益のために犯したときは、その刑を免除することができる。」とあり、親族による犯人蔵匿や証拠隠滅の罪に対しては裁判所の裁量によって刑が免除されうるという規定があるでござる。さらに昭和22年に行われた刑法改正以前だとこれらは不可罰、解りやすく言い換えれば戦前戦中の刑法では、親族が犯人を匿ったりその証拠を隠滅してもその行為が罪に問われる事はなかったみたいでござるな。

子路第十三の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 子路第十三を英訳を見て下され。