孔子の論語 述而第七の二十 子、怪・力・乱・神を語らず

孔子の論語の翻訳170回目、述而第七の二十でござる。

漢文
子不語怪力亂神。

書き下し文
子、怪(かい)・力(りき)・乱(らん)・神(しん)を語らず。

英訳文
Confucius didn’t talk about occult, violent, obscene and spiritual matters.

現代語訳
孔子は怪異的な、暴力的な、猥褻な、霊的な事柄に関して語られる事はありませんでした。

Translated by へいはちろう

今回の文もまた儒学を哲学たらしめている孔子のエピソードでござるが、これらの話が好きな人々は現代にも大勢おられるでござるな。その辺の趣味はとりあえずおいておくとして、

孔子はよく現実主義者だったといわれるのでござるが、あくまで当時の感覚でいう現実主義だった点を忘れてはならないでござる。例えば孔子は易(えき)に通暁していたのでござるが、当時の中国では易は単なる占いではなく、世の仕組みを解き明かす科学的な思考と信じられていたのでござる。日本の平安時代などもそうでござるが、占いといえども国家を挙げて行えば、なかなか「たかが占い」とは言いがたいものでござる。

また特定の神を信じなかったとはいえ先祖供養という点においては精神主義的な側面をもっていて、霊魂や死後の世界などを語らなかった代わりに儀式や礼式、または古人の逸話などの権威をもって人々をなんとなく納得させてしまったと言えなくも無いでござるな。敬うのが先祖か神かが違うだけで、やり方は他の宗教とほぼ同じでござる。

まあ孔子が現実主義であろうが精神主義であろうが、おっしゃることに有用な点があれば素直に納得しておきたいでござるな。

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