論語」カテゴリーアーカイブ

孔子の論語 郷党第十の二 朝にして下大夫と言えば、侃々如たり

孔子の論語の翻訳242回目、郷党第十の二でござる。

漢文
朝與下大夫言侃侃如也、與上大夫言誾誾如也、君在踧踖如也、與與如也。

書き下し文
朝(ちょう)にして下大夫(かたいふ)と言えば、侃々如(かんかんじょ)たり。上大夫(じょうたいふ)と言えば、誾々如(ぎんぎんじょ)たり。君在(いま)せば踧踖如(しゅくせきじょ)たり、與與如(よよじょ)たり。

英訳文
In the Court, Confucius behaved friendly toward lower ministers, behaved modestly toward higher ministers, and behaved respectfully and calmly toward his lord.

現代語訳
朝廷に出仕した時の孔子は、下位の大臣に対しては和やかに振舞われ、上位の大臣に対しては慎み深く振舞われ、主君がおわす時には恭しい態度でありながらも余裕を失わずに振舞われた。

Translated by へいはちろう

どことなく詩文のような雰囲気のある原文でござるが、文字数にバラつきがあるから特に詩文を意識した訳では無いのでござるかな?

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孔子の論語 郷党第十の一 孔子、郷党に於て恂々如たり

孔子の論語の翻訳241回目、郷党第十の一でござる。

漢文
孔子於郷黨恂恂如也、似不能言者、其在宗廟朝廷、便便言唯謹爾。

書き下し文
孔子、郷黨(きょうとう)に於(おい)て恂々如(じゅんじゅんじょ)たり。言うこと能(あた)わざる者に似たり。其の宗廟(そうびょう)、朝廷(ちょうてい)に在(いま)すや、便々(べんべん)として言い、唯(た)だ謹(つつ)しめり。

英訳文
Confucius spoke a little in his hometown modestly, like he could not speak. But at the ancestral temple of the country and the Court, he spoke fluently. He behaved modestly in that case, too.

現代語訳
孔子は故郷に帰った時はまるで口がきけなくなったかの様にあまりお話にならず、謙虚な態度をとっておられた。しかし先祖を祀る社や朝廷に居る時には流暢にお話をされた、その場合でも謙虚な態度は失われなかった。

Translated by へいはちろう

キリスト教の聖書には「預言者は故郷では敬われない」という一節があるのでござるが、それが思い出されるでござるな。

孔子がいくら勉学に励み、修身して偉大な人物となっても若い頃の失敗や「若気のいたり」を知る故郷の人々の前では謙虚な態度にならざるを得ないのが人情と言うものでござる。

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孔子の論語 子罕第九の三十二 未だこれを思わざるなり、夫れ何の遠きことかこれ有らん

孔子の論語の翻訳240回目、子罕第九の三十二でござる。

漢文
唐棣之華、偏其反而、豈不爾思、室是遠而、子曰、未之思也、夫何遠之有哉。

書き下し文
唐棣(とうてい)の華(はな)、偏(へん)として其(そ)れ反(はん)せり。豈(あ)に爾(なんじ)を思わざらんや、室(しつ)是(これ)遠ければなり。子曰わく、未(いま)だこれを思わざるなり。夫(そ)れ何の遠きことかこれ有らん。

英訳文
“Petals are fluttering in the garden. I miss you so much. But your house is too far to go.” Confucius talked about this poem, “The man does not miss her much. If he missed her that much, he would go to anywhere.”

現代語訳
”庭桜(にわざくら)の花がひらひらと舞っている。君の事を恋しく思わないわけではないが、家路が少し遠いのだ。”
孔子がこの詩についておっしゃいました、
「この男はそれほど恋人を思っていないな。もし言うほど恋しく思っていれば、距離なんて問題にもならぬはずだ。」

Translated by へいはちろう

八佾第三の二十でも孔子は恋の詩を批評しているのでござるが、孔子は意外と男女の恋愛の詩が好きだったのかも知れないでござるな。

今回で子罕第九は終了し、明日からは郷党第十でござる。

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孔子の論語 子罕第九の三十一 与に学ぶべし、未だ与に道に適くべからず

孔子の論語の翻訳239回目、子罕第九の三十一でござる。

漢文
子曰、可與共學、未可與適道、可與適道、未可與立、可與立、未可與權。

書き下し文
子曰わく、与(とも)に学ぶべし、未(いま)だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。

英訳文
Confucius said, “A fellow student does not always have the same aspiration as yours. A friend who has the same aspiration does not always have the same values as yours. A friend who has the same values does not always cast in his lot with you.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「共に学ぶ友人と同じ目標を共有できるとは限らない。同じ目標を持つ友人と同じ価値観を共有できるとは限らない。同じ価値観を持つ友人と同じ志を抱いて共に人生を歩めるとは限らない。」

Translated by へいはちろう

小学校の一年生になった時に友達を100人作るのは少子化が進んだ現代では難しいのかも知れないのでござるがそれはさておき、学生の時に大勢いた友達も卒業する度に疎遠になり、年月が過ぎるほどに減っていって最終的には数人に落ち着くものでござる。

最近ではお年寄りでも活動的な方は友人が多いかも知れないでござるが、やはり同じ価値観を共有できる友人というのは少ないものでござる。

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孔子の論語 子罕第九の三十 知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず

孔子の論語の翻訳238回目、子罕第九の三十でござる。

漢文
子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。

書き下し文
子曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。

英訳文
Confucius said, “The wise have no delusion. The benevolent have no worry. The brave have no fear.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「知者は(正しい知識を備えているので)判断に迷う事はない。仁者は(正しい行いを心がけているので)悩む事はない。勇者は(正しい時にのみ力を用いるので)恐れる事はない。」

Translated by へいはちろう

今回の文は書き下し文そのままで解釈される事が多いのでござるが、もう少しだけ解り易く解釈させていただいたでござる。知者の知者たるゆえん、仁者の仁者たるゆえん、勇者の勇者たるゆえんを身につける事ができれば、迷わず・悩まず・恐れず (惑わず・憂えず・懼れず) の人生を送ることができるでござろう。

そして何をもって「正しい」とするか正邪善悪の判断が何よりも重要で、様々な価値観が共有され対立もする現代においてはとても難しい問題でござる。逆説的に自分なりの「正しさ」を見つける事が出来れば、既に知仁勇を手に入れたと考えても良いのではないでござろうか?

なお憲問第十四の三十では、子貢がほぼ同じ言葉を聞いて「それはまさに先生(孔子)の事だ」と言ってるでござる。

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