ちょんまげ翻訳 和英」カテゴリーアーカイブ

孔子の論語 里仁第四の九 悪衣悪食を恥ずる者は、未だ与に議るに足らず

 孔子の論語の翻訳75回目、里仁第四の九でござる。

漢文
子曰、士志於道、而恥惡衣惡食者、未足與議也。

書き下し文
子曰わく、士、道に志(こころざ)して、悪衣悪食(あくいあくしょく)を恥ずる者は、未(いま)だ与(とも)に議(はか)るに足らず。

英訳文
Confucius said, “Even a person who aspires to pursue his studies, if he feels shame at poor clothes and meals, is not worthy to discuss.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「学問の道を志しながら粗末な衣服や食事に甘んじる事を恥じる様な人間は、学問を語り合うのに値しない。」

Translated by へいはちろう

学問を志す者は粗衣粗食を恥じるべからず、まったく持って然りでござる。しかし体裁を重んじる儒学の他の主張とは若干矛盾しているでござるな。

まず自らを律するべきであるのに他者を扱う時、いわんや他者から扱われる時には礼に適った衣食で無いと「無礼」だとする。徹底した節約を奨励した墨家などが儒学におけるこれらの矛盾を突いているでござる。

そこで仁でござるな、他者への思いやりの気持ちがあれば何の矛盾も無くなるのでござる。逆に仁が無ければ粗衣粗食も学問も自己満足で終わってしまう。という事でござるな。

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孔子の論語 里仁第四の八 朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり

 孔子の論語の翻訳74回目、里仁第四の八でござる。

漢文
子曰、朝聞道、夕死可矣。

書き下し文
子曰わく、朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可(か)なり。

英訳文
Confucius said, “If I could know how to realize my ideal in the morning, I would accept my death in the evening gladly.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「もし朝の内に理想を実現する正しい道を知る事が出来たなら、その日の晩の内に死んでも構わない。」

Translated by へいはちろう

これまた有名な文でござるな、孔子の理想を追い求める激情が伝わって来るようでござる。 学ぶ事の大切さ、困難さを表す言葉として多くの人に感銘を与えた文でござる。

シンプルにして明快な文章であるだけに、細かい部分で解釈が別れる事もしばしば。しかし大意としては動かし様の無い文なので、拙者なりの解釈で訳したでござる。

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孔子の論語 里仁第四の七 過ちを観て斯に仁を知る

 孔子の論語の翻訳73回目、里仁第四の七でござる。

漢文
子曰、人之過也、各於其黨、觀過斯知仁矣。

書き下し文
子曰わく、人の過(あやま)つや、各々(おのおの)其(そ)の党(たぐい)に於(お)いてす。過ちを観て斯(ここ)に仁を知る。

英訳文
Confucius said, “People often make errors at the similar scenes. If we observe his error, we can understand his personality.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「人はよく同じ様な場面で間違いを犯す、その間違いを観察すればその人柄が理解できる。」

Translated by へいはちろう

「わかっちゃいるけどやめられない」という歌が昔あったでござるな、拙者はこの世代じゃないのでござるが植木等さんはかっこいいでござる。

確かに人はいつも何度でも同じ様な間違いを犯すし、その間違いには人間性が色濃く表れるものでござる。しかしこの様な見方で人を観ていると、いつも我と彼の人間性を比べて観る事になり、それが自らを律する糧となっている内は良いのでござるが、驕りになってしまうと非常に危険でござる。

そこで「わかっちゃいるけどやめられない」と開き直ったフリをして笑い飛ばす豪快さ。これは十分に哲学でござる。

江戸時代にも厳しく律する侍階級が居た反面、洒脱で奔放な庶民文化があった様に厳しさと大らかさが両立しない世の中は住みにくいものでござるな。

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孔子の論語 里仁第四の六 我未だ仁を好む者、不仁を悪くむ者を見ず

孔子の論語の翻訳72回目、里仁第四の六でござる。

漢文
子曰、我未見好仁者惡不仁者、好仁者無以尚之、惡不仁者其爲仁矣、不使不仁者加乎其身、有能一日用其力於仁矣乎、我未見力不足者、蓋有之乎、我未之見也。

書き出し文
子曰わく、我未(いま)だ仁を好む者、不仁を悪(に)くむ者を見ず。仁を好む者は、以(もっ)てこれに尚(くわ)うること無し。不仁を悪くむ者は、其(そ)れ仁を為す、不仁者をし て其の身に加(くわ)えしめず。能(よ)く一日も其の力を仁に用(もち)いること有らんか、我未だ力の足らざる者を見ず。蓋(けだ)しこれ有らん、我未だこれを見ざるなり。

英訳文
Confucius said, “I have never seen a person who loves benevolence or a person who hates immorality. A person who loves benevolence is almost ideal. A person who hates immorality goes with the benevolence, and keeps away from the immoral people. If a person does his utmost to accord the benevolence, he necessarily accords the benevolence. Perhaps, someone will say that it is too difficult. But I never think so.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私は今まで本当に仁徳を愛し、不徳を憎む者を見たことが無い。仁徳を愛する者はそれだけで人として十分と言える。不徳を憎む人は仁徳に務めようと考え、不徳な行いをする人たちから遠ざかろうとする。もし人が仁徳にかなう様に努力を尽くすならば、必ず仁徳に適う事が出来るはずだ。それを非常に困難だと言う者があるかもしれないが、私はそうは思わない。」

Translated by へいはちろう

今回の文章からは孔子の嘆きが聞こえてきそうでござるな。我々現代人が論語を読んだ時に多くの人が感心すると共に実行の困難さを感じると思うのでござるが、孔子当時の人々にも同様に孔子の説く「仁」への到達が困難だと思う人々が多くいて、それに対する孔子の感想が今回の文章なのでござる。

簡単に孔子の気持ちを代弁すると、
「君たちは人格者になろうとしているのでは無いのか?ならば実現の可能性を考える前に努力をすべきである。」
といった所でござろうか。

しかし曲がりなりにも儒学の教えを実行しようとするからこそ困難に思うのであって、論語をただ知識として読み自らは実行する訳でも無く、他者の行動を批判する時にだけ利用する様な人は一番いただけないでござるな。

つまり単純に学問的欲求から儒学を学んでいる拙者の様な人間が一番タチが悪い。自らを律して戒めるのみ、でござる。

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孔子の論語 里仁第四の五 君子は食を終うる間も仁に違うことなし

孔子の論語の翻訳71回目、里仁第四の五でござる。

漢文
子曰、富與貴、是人之所欲也、不以其道得之、不處也、貧與賎、是人之所惡也、不以其道得之、不去也、君子去仁、惡乎成名、君子無終食之間違仁、造次必於是、巓沛必於是。

書き下し文
子曰わく、富と貴(たっと)きとは、是(これ)人の欲(ほっ)する所なり。其の道を以てこれを得ざれば、処(お)らざるなり。貧しきと賎(いや)しきとは、是人の悪(に)くむ所な り。其の道を以てこれを得ざれば、去らざるなり。君子、仁を去りて悪(いずく)にか名を成さん。君子は食を終うる間も仁に違(たが)うことなし。造次(ぞうじ)に も必ず是(ここ)に於(おい)てし、巓沛(てんはい)にも必ず是に於てす。

英訳文
Confucius said, “People want wealth and honor. But we should not accept these things if we got them unfairly. People dislike poverty and contempt. But we should accept these things if we got them reasonably. How on earth can gentlemen without benevolence build a reputation? Gentlemen must behave with benevolence always, even when they eat meals or they got an accident.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「富と名誉は人々が求めるものだ。しかし不正によってこれらを得たならばそれらを受け入れてはならない。貧困と蔑みは人々が嫌うものだ。しかし自らの過失によってこれらを得たならばそれらを受け入れなければならない。仁愛の心を持たぬ者が名声を得られる筈が無い。人格者という者は食事中でも不測の事態においても仁愛を持って行動するものだ。」

Translated by へいはちろう

この文からも解る通り儒学は富や名誉を求める事それ自体は悪い事としてはいないのでござる。必要以上に富を持ったり名誉を心配したりする事を批判した老荘思想とは決定的に違う点の一つでござるな。一概に断言する事はとても出来ないのでござるが、「儒学=富裕層 道教(老荘思想)=庶民」という構図の理由の一端がここにあると思うのでござる。

仁とは他者を思いやる気持ちや行動の事でござる。
「仁の心を持ち仁にかなった行動を常に心がけていれば自然と名声が集まり、富を得る事が出来る。そして得た富や権力を使う時にも仁の心を持ってすれば世の人々は幸福になる。」
これが孔子の目指した徳治政治の概要でござる。

反して老荘家の目指す「無為」の政治は
「すぐれた君主はことさら余計な事はしない、余計な事をしないからこそ家臣や民衆が力を併せて努力する。人々は君主に対して感謝をしないが、君主の方でも人々からの感謝や尊敬を求めない。」
というものでござる。

どちらが良いとか正しいとかでは無く、思考する事が重要でござるよ。ここに墨家や法家などの思想を加えると10年は考え事に困らないでござろうな。それが良いかはまたともかく。

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