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孔子の論語 八佾第三の二十五 武を謂わく、美を尽せり、未だ善を尽くさず

 孔子の論語の翻訳65回目、八佾第三の二十五でござる。

漢文
子謂韶、盡美矣、叉盡善也、謂武、盡美矣、未盡善也。

書き下し文
子、韶(しょう)を謂(のたま)わく、美を尽くせり、又た善を尽せり。武を謂わく、美を尽せり、未だ善を尽くさず。

英訳文
Confucius talked about Shao music played during Shun reign, “It is extremely beautiful and good.” then talked about a music played during Wu reign, “It is also extremely beautiful, but goodness is not enough.”

現代語訳
孔子が舜の時代に演奏された韶(しょう)という曲についておっしゃいました、
「とても美しい旋律を持ち、深い感動を呼び起こす曲だ。」
次に武王の時代に演奏された曲についておっしゃいました、
「とても美しい旋律を持ってはいるが、感動という点においては今ひとつだ。」

Translated by へいはちろう

この文は単なる音楽批評ではなく、暗に王朝成立の仕方を批評したものと解釈されているでござる。

舜(しゅん)というのは中国の伝説上の聖帝で、これまた聖帝である堯(ぎょう)に仕えてその徳と功績が認められ、帝の位を譲られた(禅譲)。その後舜は黄河の治水に功績のあった禹(う:夏王朝の始祖といわれる)に帝の位を禅譲したと伝えられる。孔子は徳のある者に位を譲る禅譲を王朝交代の理想とした。

武王(ぶおう)というのは周王朝の建国者で、軍師の太公望呂尚(たいこうぼうりょしょう:斉の始祖)や弟で政治的補佐役の周公旦(しゅうこうたん:孔子の出身国である魯の始祖)の力を得て殷の紂王を倒して周を建国した。この様に武力を用いて天子の位に就くことを放伐といい、孔子は禅譲よりも劣る行為とした。

後に孟子(もうし)は天命によって王者が選ばれるとし、放伐は天に代わって人々が命を革(あらた)める行為として当然の事とした、革命の語源がこれである(中国の王朝交代は氏族を主体に行われるので易姓革命と呼ばれる)。

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孔子の論語 八佾第三の二十四 天、将に夫子を以て木鐸と為さんとす

孔子の論語の翻訳64回目、八佾第三の二十四でござる。

漢文
儀封人請見、曰、君子之至於斯也、吾未嘗不得見也、從者見之、出曰、二三子何患者於喪乎、天下之無道也久矣、天將以夫子爲木鐸。

書き下し文
儀(ぎ)の封人(ふうじん)、見(まみ)えんことを請(こ)う。曰わく、君子の斯(ここ)に至るや、吾未だ嘗(かつ)て見ることを得ずんばあらざるなり。従者これを見えしむ。出でて曰わく、二三子(にさんし)、何ぞ喪(そう)することを患(うれ)えんや。天下の道なきや久し。天、将(まさ)に夫子(ふうし)を以て木鐸(ぼくたく)と為さんとす。

英訳文
When Confucius and his pupils were at the border of Wei, the warden of the barrier asked to meet Confucius. He said, “I meet every sage who pass this barrier.” Pupils made him meet Confucius. After meeting Confucius, he said to pupils, “Don’t regret that Confucius lost his official post. The earth has lost morals and justice for a long time. So the Heaven uses Confucius as a wood bell (rung to announce decrees to the people).”

現代語訳
孔子一行が衛の国境にある儀の関所を通過する時、関所の役人が孔子に会いたいと申し出てきた。彼は「私はこの関所を通過する全ての賢人にお会いしています。」と言い、弟子達は彼を孔子に会わせました。役人は孔子に会った後、弟子達にこう言いました、
「孔子が官職を失った事をどうぞ嘆かないで下さい。天下の人々から道徳や信義が失われてから随分とたちます、だからこそ天は孔子を木鐸(ぼくたく:役人が人々に御触れを告げる時に人を集めるために鳴らした)として各地にお遣わしなさっているのです。」

Translated by へいはちろう

「この名も解らぬ役人こそ賢人と呼ぶのではござらんか?」と思ってしまうほど見事な物の例えでござるな。なお世の人々を教化する人の事を「社会の木鐸 (例:新聞は社会の木鐸)」などと言うのは今回の文が出典でござる、最近はとんと聞かないでござるけど。

この文は素直に読むのが一番良いと思うのでござるが、あえて自分が孔子の弟子になったつもりで流浪を続ける孔子の身の上をどう思うか考えて見るのも良いかも知れないでござるな。 生きてついに理想適わず、死して聖人になった孔子。論語が編纂されたのは弟子たちの孔子への哀悼からでは無いかと思う次第。

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孔子の論語 八佾第三の二十三 始めて作すに翕如たり。これを従ちて純如たり、皎如たり、繹如たり

 孔子の論語の翻訳63回目、八佾第三の二十三でござる。

漢文
子語魯大師樂曰、樂其可知已、始作翕如也、從之純如也、皎如也、繹如也、以成。

書き下し文
子、魯の大師(たいし)に楽(がく)を語りて曰わく、楽は其れ知るべきのみ、始めて作(おこ)すに翕如(きゅうじょ)たり。これを従(はな)ちて純如(じゅんじょ)たり、皎如(きょうじょ)たり、繹如(えきじょ)たり。以て成る。

英訳文
Confucius said to the Grand music master of the Lu about the music, “I understand how to play music. It begins in unison loudly. Then sounds are harmonized. And each instrument is played characteristically. At last, all sounds conclude as if they are in a row.”

現代語訳
孔子が魯国の楽官長に音楽についておっしゃいました、
「私も音楽については理解しています。まず一斉に大きな音で始まり、次に静かに調和する。そして各楽器の特徴を生かした演奏がなされ、最後に全ての音が連なるように終わる。」

Translated by へいはちろう

儒学は教養としての音楽を非常に大切にするのでござるが、それとは別に孔子は非常に音楽や歌を愛した人物で。人が歌っているのを聞いて気に入ると、もう一度歌ってもらい一緒に歌った(述而第七)そうでござる。拙者自身は元々孔子に対して厳格なイメージを重ねた事は無いのでござるが、こういったエピソードを知ると好々爺のイメージさえ抱いてしまうでござるな。

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孔子の論語 八佾第三の二十二 管氏にして礼を知らば、孰か礼を知らざらん

孔子の論語の翻訳62回目、八佾第三の二十二でござる。

漢文
子曰、管仲之器小哉、或曰、管仲儉乎、曰、管氏有三歸、官事不攝、焉得儉乎、曰然則管仲知禮乎、曰、邦君樹塞門、管氏亦樹塞門、邦君爲兩君之好、有反坫、管氏亦有反坫、管氏而知禮、孰不知禮。

書き下し文
子曰わく、管仲(かんちゅう)の器は小なるかな。或(あ)るひとの曰わく、管仲は倹(けん)なるか、曰わく、管氏(かんし)に三帰(さんき)あり、官の事は摂(か)ねず、焉(いずく)んぞ 倹なるを得ん。然らば則(すなわ)ち管仲は礼を知るか。曰わく、邦君(ほうくん)、樹(じゅ)して門を塞(ふさ)ぐ、管氏も亦(また)樹して門を塞ぐ。邦君、両君の好(よ しみ)を為すに反坫(はんてん)あり、管氏も亦反坫あり。管氏にして礼を知らば、孰(たれ)か礼を知らざらん。

英訳文
Confucius said, “Guan Zhong was a petty man.” Someone asked, “Was he stingy?” Confucius replied, “He had three mansions and each mansion had many specialized servants. We cannot call him stingy.” Someone asked again, “Did he know the courtesy well?” Confucius replied, “Feudal lords put a hedge as a screen at the gate. He ,a mere vassal, did the same thing. Feudal lords used a goblets stand at the meeting, he also used it. If he had known the courtesy, everyone would know the courtesy.”

現代語訳
孔子が、
「管仲(かんちゅう)は器の小さい人間だ。」
とおっしゃり、ある人が
「ケチな人間と言う事ですか?」と尋ねた。
孔子は、
「彼は3つの邸宅を持ち、それぞれの邸宅には役割ごとに使用人が居た。どうして彼をケチと言えるだろう。」
と答えられました。
ある人が再び「それでは彼は礼を良く弁えていたのですか?」と尋ね、
孔子は、
「諸侯は門に目隠しのための生け垣を立てるが、彼は陪臣の身でありながら同じ事をした。諸侯同士が会う時には盃を載せる台を用いるが、彼もそれを使用していた。彼が礼を弁えていたと言えるなら、みんな礼を弁えているだろうよ。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

管仲(かんちゅう:姓は管、名は夷吾、字は仲、諡は敬。春秋時代に斉の桓公に仕えた政治家、桓公を最初の覇者にした。三国時代の諸葛亮孔明は自らを管仲に比していた。有名な言葉に「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る。」というのがある。管子は管仲の政治思想や言行をまとめたもの。)

この文の意味を理解するには管仲の事を良く知らねばならないでござるな、上記の通り中国史上に輝く大政治家の一人でござる。決して礼を知らない人間では無くて、信義に厚く、周王室にも主君にも礼節をもって対応しているエピソードが残されているでござる。

では何故孔子はそんな管仲を批判したのかというと、徳目によらず武力を持って桓公を覇者にしたからでござる。ついでに言えば孔子の出身国である魯は管仲の時代の斉に散々戦争で負けたという経緯がある上、周王室の血筋である魯は太公望の血筋である斉より格が上である(爵位は同じ侯爵、斉の方が大国)という認識が儒学にはあるからでござる。

また上記の有名な言葉のとおり、「民衆を教化するには礼儀よりも生活を豊かにする方が先である。」という考え方は孔子には受け入れられなかったでござろうな。要するに管仲が大政治家であればこそ、孔子の理想と違う手法で成功した管仲を批判したのでござる。

なおこの文を読んで「孔子の方が器が小さいのでは?」というお考えはしばし待たれよ。 上記は史実に基づいた拙者の推測で、憲問第十四には孔子が管仲をベタ褒めしている言葉が収録されているので「どっちやねん」というのが正しい感想でござる。

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孔子の論語 八佾第三の二十一 成事は説かず、遂事は諌めず、既往は咎めず

 孔子の論語の翻訳61回目、八佾第三の二十一でござる。

漢文
哀公問社於宰我、宰我對曰、夏后氏以松、殷人以柏、周人以栗、曰、使民戰栗也、子聞之曰、成事不説、遂事不諌、既徃不咎。

書き下し文
哀公、社を宰我(さいが)に問う。宰我(さいが)、対(こた)えて曰わく、夏后氏(かこうし)は松を以てし、殷人(いんひと)は柏(はく)を以てし、周人(しゅうひと)は栗(りつ)を以てす。曰わく、民をして戦栗(せんりつ)せしむるなり。子これを聞きて曰わく、成事(せいじ)は説かず、遂事(すいじ)は諌(いさ)めず、既往(きおう)は咎めず。

英訳文
Marquis Ai asked Zai Wo about the sacred trees planted at the shrine. Zai Wo replied, “The Xia dynasty planted pine trees. The Yin dynasty planted cypress trees. And the Zhou dynasty plants chestnut trees (栗) to scare (戦栗) the people with punishments at the shrine.” Confucius heard this and said, “I don’t speak about things which already happened. I don’t dissuade things already carried out. I don’t blame past mistakes.”

現代語訳
魯の哀公が宰我に土地の社(やしろ)に植える神木について尋ね、
宰我は「夏の時代には松を植え、殷の時代には柏(はく:イトスギ)を植え、周の時代においては栗を植えています。これは社で行われる刑罰によって人々を戦慄(栗)させるためであります。」と答えました。
これを聞いた孔子は、
「起きた事は語るまい、遂げられた事は止めまい、過去の過ちは咎めまい。」
とおっしゃいました。

Translated by へいはちろう

宰我(さいが:姓は宰、名は予、字は子我、魯国出身で孔門十哲の一人。弁舌が得意だったが論語内で度々孔子に叱責されている。)

孔子は宰我の発言に余程ガックリしたのでござろうな、でなければ殊更に三度も同じことを言わないものでござる。

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