孔子の論語 里仁第四の六 我未だ仁を好む者、不仁を悪くむ者を見ず

孔子の論語の翻訳72回目、里仁第四の六でござる。

漢文
子曰、我未見好仁者惡不仁者、好仁者無以尚之、惡不仁者其爲仁矣、不使不仁者加乎其身、有能一日用其力於仁矣乎、我未見力不足者、蓋有之乎、我未之見也。

書き出し文
子曰わく、我未(いま)だ仁を好む者、不仁を悪(に)くむ者を見ず。仁を好む者は、以(もっ)てこれに尚(くわ)うること無し。不仁を悪くむ者は、其(そ)れ仁を為す、不仁者をし て其の身に加(くわ)えしめず。能(よ)く一日も其の力を仁に用(もち)いること有らんか、我未だ力の足らざる者を見ず。蓋(けだ)しこれ有らん、我未だこれを見ざるなり。

英訳文
Confucius said, “I have never seen a person who loves benevolence or a person who hates immorality. A person who loves benevolence is almost ideal. A person who hates immorality goes with the benevolence, and keeps away from the immoral people. If a person does his utmost to accord the benevolence, he necessarily accords the benevolence. Perhaps, someone will say that it is too difficult. But I never think so.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私は今まで本当に仁徳を愛し、不徳を憎む者を見たことが無い。仁徳を愛する者はそれだけで人として十分と言える。不徳を憎む人は仁徳に務めようと考え、不徳な行いをする人たちから遠ざかろうとする。もし人が仁徳にかなう様に努力を尽くすならば、必ず仁徳に適う事が出来るはずだ。それを非常に困難だと言う者があるかもしれないが、私はそうは思わない。」

Translated by へいはちろう

今回の文章からは孔子の嘆きが聞こえてきそうでござるな。我々現代人が論語を読んだ時に多くの人が感心すると共に実行の困難さを感じると思うのでござるが、孔子当時の人々にも同様に孔子の説く「仁」への到達が困難だと思う人々が多くいて、それに対する孔子の感想が今回の文章なのでござる。

簡単に孔子の気持ちを代弁すると、
「君たちは人格者になろうとしているのでは無いのか?ならば実現の可能性を考える前に努力をすべきである。」
といった所でござろうか。

しかし曲がりなりにも儒学の教えを実行しようとするからこそ困難に思うのであって、論語をただ知識として読み自らは実行する訳でも無く、他者の行動を批判する時にだけ利用する様な人は一番いただけないでござるな。

つまり単純に学問的欲求から儒学を学んでいる拙者の様な人間が一番タチが悪い。自らを律して戒めるのみ、でござる。

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