孔子の論語 公冶長第五の二十八 丘の学を好むに如かざるなり

孔子の論語の翻訳120回目、公冶長第五の二十八でござる。

漢文
子曰、十室十邑、必有忠信如丘者焉、不如丘之好學也。

書き下し文
子曰わく、十室の邑(ゆう)、必ず忠信(ちゅうしん)、丘(きゅう)が如(ごと)き者あらん。丘の学を好むに如(し)かざるなり。

英訳文
Confucius said, “I think there is a person as faithful as me, even in a small village of ten households. But there must not be a person who likes learning as much as me.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「たとえ10軒しか無い村の中にも私くらい忠実な人物がいるだろう。しかし私くらい学問を好む人間はそうはいない。」

Translated by へいはちろう

孔子をして言わしめる、という感じでござるな。

「小賢しい知識など捨ててしまえ」、と文明を否定的に捉えた老子とは大違いでござる。老子はどちらかというと、そのどこにでもいるであろう人々の真心と素直さをありのまま大切にする事を主張して、孔子は真心を形として表現する手段を学ぶ事によって社会全体を良くして行こうとしたのでござる。

これはもうどちらが正しいと言えるものでは無く、人それぞれの人生において判断する事でござるな。

さて今回で公冶長第五は終了し、明日からは雍也第六でござる。

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孔子の論語 公冶長第五の二十七 吾未だ能く其の過ちを見て内に自ら訟むる者を見ざるなり

孔子の論語の翻訳119回目、公冶長第五の二十七でござる。

漢文
子曰、已矣乎、吾未見能見其過、而内自訟者也。

書き下し文
子曰わく、已矣乎(やんぬるかな)。吾(われ)未(いま)だ能(よ)く其の過(あやま)ちを見て内(うち)に自ら訟(せ)むる者を見ざるなり。

英訳文
Confucius said, “How incurable! I have never seen a person who admits his fault and regrets it.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「どうしようもないな。私は自分の過ちを素直に認めて心から反省をする人間に出会った事が無い。」

Translated by へいはちろう

あまりにシンプルでコメントのしようが無いでござるな。あえて言うなら人間そんなに捨てたもんじゃないよと拙者などは思うのでござる。

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孔子の論語 公冶長第五の二十六 老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐けん

孔子の論語の翻訳118回目、公冶長第五の二十六でござる。

漢文
顔淵季路侍、子曰、盍各言爾志。子路曰、願車馬衣輕裘、與朋友共、敝之而無憾、顔淵曰、願無伐善、無施勞、子路曰、願聞子之志、子曰、老者安之、朋友信之、少者懐之。

書き下し文
顔淵(がんえん)・季路(きろ)侍(じ)す。子曰わく、盍(なん)ぞ各々(おのおの)爾(なんじ)の志(こころざし)を言わざる。子路(しろ)が曰わく、願わくは車馬(しゃば)衣裘(いきゅう)、朋友(ほうゆう)と共にし、これを 敝(やぶ)るとも憾(うら)み無けん。顔淵曰わく、願わくは善に伐(ほこ)ること無く、労(ろう)を施(ほどこ)すこと無けん。子路が曰わく、願わくは子の志を聞かん。 子曰わく、老者(ろうしゃ)はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐(なつ)けん。

英訳文
Yan Yuan and Zi Lu were attending on Confucius. Confucius said, “Why don’t you tell me your ambition?” Zi Lu said, “I wish to share my horses, vehicles and clothes with my friends. And I don’t want to get angry even if they got damaged.” Yan Yuan said, “I wish I would not be arrogant about my good deeds. And I don’t want to give people troubles.” Zi Lu asked, “Would you tell me your ambition, master?” Confucius replied, “I wish to be a person who makes the old people comfort, friends trust him and the young follow him.”

現代語訳
顔淵(がんえん:顔回)と季路(きろ:子路)が孔子の側に仕えていました。
孔子が、
「お前たちの志を聞かせてくれないか?」
と言われ、子路(しろ)は、
「馬車でも馬でも衣服でも何でも友人と分かち合い、例えそれらを駄目にされても怒らない人間になりたいです。」
と答え、顔淵は、
「自分の善い行いに自惚れる事無く、人に苦労を押し付けない人間になりたいです。」
と答えました。
そして子路が孔子に、
「どうか先生の志を聞かせていただけませんか?」
と聞いたので、孔子は、
「お年寄りから安心され、友人から信頼され、年少者から慕われる人物になりたいものだ。」
とおっしゃいました。

Translated by へいはちろう

顔淵(がんえん:顔回とも言う。孔門十哲の一人、詳細は公冶長第五の九に。)

季路(きろ:子路とも言う。孔門十哲の一人、詳細は公冶長第五の七に。)

ほのぼのとした師と弟子の一幕でござるな。それぞれの人柄がよく表れていて和んでしまう文でござる。

ちなみに拙者は「若い間は時間を惜しんで良く学び、年老いてそれらを全て忘れ去る様な人間」になりたいでござる。

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孔子の論語 公冶長第五の二十五 巧言令色足恭なるは、左丘明これを恥ず

孔子の論語の翻訳117回目、公冶長第五の二十五でござる。

漢文
子曰、巧言令色足恭、左丘明恥之、丘亦恥之、匿怨而友其人、左丘明恥之、丘亦恥之。

書き下し文
子曰わく、巧言(こうげん)、令色(れいしょく)、足恭(すうきょう)なるは、左丘明(さきゅうめい)これを恥ず、丘(きゅう)も亦(また)これを恥ず。怨みを匿(かく)して其の人を友とするは、左丘明これを恥ず、丘も亦これを恥ず。

英訳文
Confucius said, “Zuo Qiu Ming regarded being a flatterer as disgrace. I agree with him. And he regarded keeping surface relations with people whom he hated as disgrace. I agree with him.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「左丘明(さきゅうめい)は言葉巧みで愛想笑いが上手くてへつらいの上手い事を恥とした。私もそう思う。そして嫌いな人間とうわべだけの交際をする事を恥とした。私もそう思う。」

Translated by へいはちろう

左丘明(さきゅうめい:孔子の同時代の魯の家臣で、孔子の作と言われる春秋の現存する注釈書の一つである春秋左氏伝の作者と言われるが事実は不明。)

孔子は社交辞令を嫌ったという事でござるな。どちらかと言えば礼儀=社交辞令と思われがちなのでござるが全然違うのでござる。相手に真心と敬意を持って接する事が孔子の言う礼であって、自分の利益のためのおべっかは礼では無いのでござる。

では嫌いな人間に対しては無礼であっても良いのかと言うと、それも違うのでござるな。誰に対しても真心と敬意を持つ事が仁なのではないかと思う次第。

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孔子の論語 公冶長第五の二十四 孰か微生高を直なりと謂う

孔子の論語の翻訳116回目、公冶長第五の二十四でござる。

漢文
子曰、孰謂微生高直、或乞醯焉、乞諸其鄰而與之。

書き下し文
子曰わく、孰(たれ)か微生高(びせいこう)を直(ちょく)なりと謂(い)う。或(あ)るひと醯(す)を乞う(こ)。諸(こ)れを其(そ)の鄰(となり)に乞いてこれを与う。

英訳文
Confucius said, “Some people call Wei Sheng Gao an excessively honest person. But I don’t think so. When some person asked him for vinegar, he got it from a neighbor and gave it.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「微生高(びせいこう)を馬鹿正直などという者がいるが、私はそうは思わない。ある人が酢をもらいに彼の元へ行った時、隣人に借りてそれを与えたのだから。」

Translated by へいはちろう

微生高(びせいこう:尾生(びせい)とも言う。馬鹿正直の代名詞として荘子・戦国策・史記などに登場する。尾生は橋の下で女と会う約束をした。ところが女が来ない。河の水かさが増してきたが尾生はその場を立ち去らなかった。そして橋げたを抱いたまま死んでしまった。この事から命を懸けて約束を守ることや、馬鹿正直で融通が利かない事を「尾生の信」という。)

この人物は荘子の雑篇の中で盗跖(とうせき:こちらも盗賊の代名詞として数々の寓話に登場する)が孔子を非難する寓話に出てくるのでござるが、その非難の仕方が中々どうして見事なので一度機会があれば読んでいただきたいでござる。もちろん寓話なので作り話なのでござるが、わざわざ盗賊に言わせる所が老荘家の儒家に対する嫌悪感が如実に感じられる文でござる。その中で尾生は伯夷・叔齊らと並んで「名誉を重んじて大切な命を粗末にした愚か者」と断じられているのでござる。

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