worried about nothing 取り越し苦労をする

春が来るのが待ち遠しい、いつか使ってみたい英語表現シリーズ。

worried about nothing
取り越し苦労をする(している) / 無用の心配をする(している)

直訳すると「何でも無い事について心配をする(している)」という事で、日本語でいえば取り越し苦労や無用の心配をするという意味ござるな。

細かい話をすると worried は受動態なので、be動詞 + worried about nothing で「取り越し苦労をしている」、get + worried about nothing で「取り越し苦労をする」と微妙にニュアンスの違う表現をする事ができるでござる。

「余計な心配するなよ」と言いたいなら “Don’t be worried about nothing.” でござるな。

あと名詞として「取り越し苦労」「無用の心配」、あるいは「杞憂」と言いたい場合には worry about nothing とすればOKでござるよ。

Google Apps (無償版) の代替サービス、Windows Live アドミンセンター

少し前に、独自ドメインで作ったオリジナルメールアドレスをPCやスマホや携帯で使う というページを作成して、「独自ドメインを取れば、Google Apps と併せて自分だけのメールアドレスが無料で作れてウハウハ♪」なんて言っていたら、Googleから 12月6日をもって Google Apps 無償版 の新規アカウント作成を終了する とのメールが来たでござる。

拙者を含め、すでに Google Apps の無料アカウントを取得している御仁はこれまで通り無料で利用できるみたいなので、拙者自身はこれによって何も困らないのでござるが、「お先に失礼」とばかりに自分だけ良い目を見るのはなんとも具合が悪い。そこで何か代替となるサービスが無いか探してみたら、同じく無料で独自ドメインを利用したメールアドレスを作成できるサービスを見つけたので以下に解説ページを作ったでござる。

Windows Live + 独自ドメインで自分だけのメールアドレス

名前から推測できる通り、Google Apps のメールが Gmail をベースにしたサービスであるのに対して、OSで有名な Microsoft社が展開するWEBメールサービスの Hotmail を独自ドメインにて利用できるという訳でござる。

もちろん細かな部分で両者のサービス内容や使い勝手は違うのでござるが、現在 Microsoft はクラウドサービス分野に注力しており、先行する Google を猛追撃中という事らしく、以前と比べて大幅な機能アップが図られているみたいでござるな。

正直な話をすると自分で実際に長く使っている訳では無いので、Google Apps の時と違って自信を持っておすすめはできないのでござるが、Google Apps の無料版がもう新規では利用できない以上、代替サービスとして考えるなら遜色はあまり無いと感じる次第でござる。

このブログで英語とあまり関係の無い話をするのもどうかと思っているのでござるが、独自ドメインを使った自分専用のメールアドレスがあると本当に便利なので、興味のある方はお試しいただければ幸いでござる。

荘子 斉物論篇 胡蝶の夢

さて老子の全訳を終えて以来のひさびさの翻訳でござるが、今回翻訳するのは荘子の斉物論篇より「胡蝶の夢 (こちょうのゆめ)」の一節でござる。

原文
昔者、荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。自喩適志与。不知周也。俄然覚、則蘧蘧然周也。不知、周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。周与胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。

書き下し文
昔者(むかし)、荘周(そうしゅう)は夢に胡蝶(こちょう)と為(な)る。栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。自ら喩(たの)しみて志に適するかな。周たるを知らざるなり。俄然(がぜん)として覚むれば、則(すなわ)ち蘧蘧然(きょきょぜん)として周なり。知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。周と胡蝶とは、則ち必ず分有り。此(こ)れを之(これ)物化(ぶっか)と謂(い)う。

英訳文
Once I, Zhuang Zhou, was a butterfly in my dream. I enjoyed being a butterfly all that time. I was flying around as I pleased, and never noticed that I was Zhuang Zhou. After abrupt awakening, I was Zhuang Zhou definitely. Now I do not know whether Zhuang Zhou was a butterfly in his dream, or the butterfly is being Zhuang Zhou in its dream. But there must be a difference between Zhuang Zhou and a butterfly. The difference is made up of the transformation of things.

現代語訳
いつだったか私こと荘周(そうしゅう)は、夢の中で蝶になっていた。喜々として蝶そのものであった。思うがままにひらひらと飛び回る事を楽しみ、自分が荘周である事など考えもしなかった。ところが突如として目覚めてみれば、まぎれもなく私は荘周であった。そこで考えてみると、人である荘周が夢の中で蝶になっていたのか、それとも自分は実は蝶で、その蝶が夢を見る時に人である荘周になっているのか、果たしてどちらであるか解らなくなってしまった。だが荘周と蝶は、形の上では確かに別のものと区別をつける事ができる。この違いを物化と言う。

Translated by へいはちろう

さて荘子の中でも特に有名なこの「胡蝶の夢」のお話。荘子を読んだことはなくてもこの話だけは知っているという方も多いでござろう。ただそれだけにこの話を知ってはいても、結局荘子が何を言いたかったのかはよく解ってはいないという方も多いのではないでござろうか。まあ荘子の思想の性質からいうとこれはあまり大きな問題ではないのでござるが、蛇足ながら拙者なりの解説をさせていただくでござる。

胡蝶の夢は荘子の斉物論篇の最後にでてくるお話で、荘子の思想の根本原理の一つである「万物斉同 (ばんぶつせいどう)」の理を端的に表した名文とされているでござる。万物斉同とは「万物は斉(ひと)しく同じ」という意味で、「この世の全ての物事は人間の視点からは別に見えても、天地自然の道から見ればまったく同じものである」と大体こんな意味だと思ってくれればよろしい。当時、孔子をはじめとする主に儒学者が、君臣親子・長幼貴賎などありとあらゆる事に区別をつけ、「これは正しい、あれは正しくない」と言動のひとつひとつにまで善悪の判断を下す事に対して異論を唱えているわけでござる。

この万物斉同の立場に立てば、親と子も同じ人間であり、人間と蝶も同じ生物であり、現実と夢も同じことであり、生と死も同じことである。全てが同じであれば対立など起こらないはずであるが、実際には対立は起きている。この対立を生み出す原因が「物化」であり、客観的には万物の表層的な変化でござるが、主観的には「道」と「個」を分けて見る視点そのものという事でござろう。だから儒学をはじめとする他の学者たちのように、物事を秩序だてようとして区別すればかえって対立と混乱を生み出す原因となる。そうではなく物事をいちいち区別する事を止めて、万物に本来備わっているはずの「道」へと還れ、というのが荘子の主張であると拙者はこのように理解している次第でござる。

この説明で納得がいかない御仁は、斉物論篇だけでも良いので荘子の解説書などをお読みくださればよろしい。特に「物化」という聞きなれぬ語を始めとして、この話が有名であるだけに古今様々な解釈がなされているようでござる。

ただ上ですでに述べた通り、こうして荘子の思想を頭で理解する事が重要という訳でもなくて、「人生が夢と何ら変わらない」という示唆を得た時点で、ほとんどの人は人生の様々な問題が些細な事に思えてしまうでござろう。そしてそれこそがこの胡蝶の夢が名文たるゆえんであると思うので、このお話によって最初に受けた衝撃というか驚きの様なものを忘れずにいる事の方が大切だと拙者は考える次第でござる。

また「道」というと荘子と共に老子が並び称される事が多いと思うのでござるが、荘子の方が老子よりもさらに形而上的というか俗世に対する興味がなくなっている感じがあるでござるな。これらの事もあって荘子は後に伝わる仏教との親和性が高く、特に禅宗に少なからぬ影響を与えたと言われているでござる。老子についてはすでにこちらに全文の翻訳を掲載しているので、興味のある方は読んでみてくだされ。拙者の蛇足的な解説も併せて読みたい御仁はこちらでござる

Learning is Fun! 論語で英語スピーチ

何かを学ぶという事はただそれだけで楽しいものでござるが。その楽しみ方にも色々と種類があるでござる。

新しい知識を得る喜び、新しい物の見方を発見をする喜び。
志を同じくする友と語らい、切磋琢磨する喜び。

などなど人それぞれの楽しみ方があると思うのでござるが、「学び得たものを生かして自己を表現する楽しみ」というのも中々どうして深い味わいがあるものでござる。そしてそれが拙者がWEBサイトをいくつか運営している理由の一つでもあるわけなのでござるが、今回紹介する御仁はより大胆な手法を取られておられる。

なんと論語を英文にて読み上げ、そして自分なりの見解や考えをこれまた英語にて語り、それを動画に撮影してインターネットにアップロードしておられるのでござる。この御仁からご丁寧にも拙者の翻訳した論語の英訳文の使用許可を申し出られた時には、正直なところ「その手があったか!」と驚きとともにある種の敗北感を感じてしまった自分がいたでござるよ。

ちょんまげのカツラを被っておられるのもまたお茶目でござるよな。拙者はこういう形から入る御仁は嫌いではないでござる、むしろとても大事。孔子も「文質彬彬として然る後に君子なり」と言っておられる。さすがに論語全512節の動画をアップロードするわけではないみたいでござるが、今後もしばらく論語を読み上げる動画をアップロードされるみたいなので、興味のある御仁は閲覧してあげてくだされ。

いやあ、ひさびさに良い刺激を受けて上機嫌の拙者でござるが、またぞろなにか書物の翻訳でもはじめようかと思っている次第でござる。以前のように書物一冊まるごとというのはさすがに無理でござるが、鉄は熱いうちに打てとも言うでござるし、近いうちになんらかの翻訳をするつもりでござる。

lie on one’s stomach 腹ばいになる

味覚の秋にも関わらず近頃はジャンクフードばかり食べている、いつか使ってみたい英語表現シリーズ。

lie on one’s stomach [belly]
腹ばいになる

ムーミンの小説から英語表現を紹介するのは今回がおそらく最後でござる。そして今回はシリーズ第8作目の「ムーミンパパ海へ行く(邦題) / Moominpappa at Sea(英題) / Pappan och havet(原題)」の63ページ目の冒頭の文からでござる。

MOOMINTROLL and Little My lay on their stomachs in the sun looking into the thicket. It was low and tangled; tiny angry-looking spruce trees and even smaller birches battling with the wind all their lives. They grew very close together for protection. The tops of the trees had stopped growing, but the branches held on tight to the ground wherever they could reach it.

Tove Jansson / Moominpappa at Sea 第3章より

直訳すると「お腹の上に横たわる」という事で特に説明は不要でござろうな。また同じ系統の似たような表現としては以下のようなものがあるでござるよ。

lie on one’s face
うつ伏せになる

lie on one’s back
仰向けになる

lie on one’s side
横向きに寝る

こうして英語表現と日本語表現を比べてみると、日本語の方は「うつむく → うつ伏せ」「仰ぎ見る → 仰向け」「横を向く → 横向き」などと動作をする人間の視線を中心に表現されているのに対し、英語の方は前置詞の on によって地面と身体の接地点を中心に表現されているようでござるな。この事が解ればこれを応用して色々と細かな表現も可能でござろう。

なお本サイトの 家の中でする動作の英語 というページでは、他にも様々な動作に関する表現を紹介しているので、よければこちらも見ていただければ幸いでござる。