孔子の論語 雍也第六の十 これを亡ぼせり、命なるかな、斯の人にして斯の疾あること

孔子の論語の翻訳130回目、雍也第六の十でござる。

漢文
伯牛有疾、子問之、自牖執其手、曰、亡之、命矣夫、斯人也而有斯疾也、斯人也而有斯疾也。

書き下し文
伯牛(はくぎゅう)、疾(やまい)あり。子、これを問う。牖(まど)より其の手を執(と)りて曰わく、これを亡(ほろ)ぼせり、命(めい)なるかな。斯(こ)の人にして斯の疾あること、斯の人にして斯の疾あること。

英訳文
Bo Niu had got a leprosy. Confucius visited him. Confucius clasped Bo Niu’s hand beyond the window and said, “How merciless heaven’s will is! Why on earth have you got such a deadly disease? Why on earth have you got such a deadly disease?”

現代語訳
伯牛(はくぎゅう)が癩病(らいびょう)にかかって倒れた。孔子は彼を見舞い、窓の外から彼の手を取っておっしゃいました、
「天命の何と無情なることか!お前の様な立派な人間がこの様な病にかかるとは、お前の様な立派な人間がこの様な病にかからねばならないとは!」

Translated by へいはちろう

伯牛(はくぎゅう:姓は冉、名は耕、字は伯牛。孔門十哲の一人。)

癩病(らいびょう:現在はハンセン病と呼ばれる。癩菌の感染によって起こる慢性伝染病。伝染力は弱い。皮膚に結節・斑紋ができ、その部分に知覚麻痺がある。また、まゆ毛・まつ毛の脱毛、手足や顔面の変形、視力障害などがみられる。現在では投薬により治癒が可能だが19世紀頃まで不治の病とされていた。)

伯牛は先進第十一で顔回、閔子騫、仲弓らと共に徳行(行いの立派な)の人物と孔子から褒められているでござる。そんな立派な人間であるのに、当時の人々から差別的な扱いを受ける様な病で倒れる運命の理不尽さを嘆いたのでござろうか。もちろん現代の我らにとっては病気と人格は全く関係の無い事なのは当たり前なのでござるが、むしろここは弟子を思いやる孔子の情の深さを思うべきでござろうか。

雍也第六の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 雍也第六を英訳を見て下され。

孔子の論語 雍也第六の九 如し我を復する者あらば、則ち吾は必ず汶の上に在あらん

孔子の論語の翻訳129回目、雍也第六の九でござる。

漢文
季氏使閔子騫爲費宰、閔子騫曰、善爲我辭焉、如有復我者、則吾必在汶上矣。

書き下し文
季氏(きし)、閔子騫(びんしけん)をして費(ひ)の宰(さい)たらしむ。閔子騫が曰わく、善く我が為に辞せよ。如(も)し我を復(また)する者あらば、則ち吾は必ず汶(ぶん)の上(ほとり)に在あらん。

英訳文
Ji Shi send a messenger to appoint Min Zi Qian as a magistrate of Fei. Ming Zi Qian said to the messenger, “I’m sorry, but I shall reject the offer. If the minister insists again, I have to move to River Wen.”

現代語訳
魯の大臣である季氏(きし)が閔子騫(びんしけん)を費(ひ)の長官に任命しようとして使者を送ってきた。閔子騫は使者に、
「申し訳ありませんが辞退させていただきます。もし大臣がさらに求められるようならば、私は斉との国境の汶(ぶん)の川沿いに引っ越します。」
と答えました。

Translated by へいはちろう

季氏(きし:魯の大夫。)

閔子騫(びんしけん:姓は閔、名は損、字は子騫。孔門十哲の一人。幼い時に実母を亡くし、父が再婚して継母との間に二人の子が出来た。継母は実子二人を愛し閔子騫を憎んで、自分の子には冬には綿入りの着物を与えたが、閔子騫 には蘆の穂を入れた着物を与えた。閔子騫が寒さに凍えているのを見て、父が継母と離縁しようと言うと閔子騫は「母上が去られては、三人の子供は凍えます。 私一人が凍えていれば、弟二人は暖かいのでどうか離縁しないで下さい」と言った。継母はこれに感激し、以後は実母の様に閔子騫を可愛がったという。先進第十一で孔子に孝行者として賞賛されている。現在の中国の山東省沂水県に閔公山というのがあり、閔子騫が登用を避けるために逃げた場所として伝えられている。)

顔回らとともにに徳行を持って孔子に讃えられる閔子騫でござるが、やはり顔回と同じく実社会へ適応し出世の道を行くよりは学問の道を突き進むタイプなのでござろうか。しかし引越しまでするとは極端でござるな。

雍也第六の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 雍也第六を英訳を見て下され。

孔子の論語 雍也第六の八 政に従うに於てか何か有らん

孔子の論語の翻訳128回目、雍也第六の八でござる。

漢文
季康子問、仲由可使從政也與、子曰、由也果、於從政乎何有、曰、賜也可使從政也與、子曰、賜也逹、於從政乎何有、曰、求也可使從政也與、子曰、求也藝、於從政乎何有。

書き下し文
季康子(きこうし)、問う、仲由(ちゅうゆう)は政(まつりごと)に従(したが)わしむべきか。子曰わく、由(ゆう)や果(か)、政に従うに於(おい)てか何か有らん。曰わく、賜(し)は政に従わしむべきか。賜や達(た つ)、政に従うに於てか何か有らん。曰わく、求(きゅう)は政に従わしむべきか。曰わく、求や芸あり、政に従うに於てか何か有らん。

英訳文
Ji Kang Zi asked, “Can I leave government affairs to Zhong You?” Confucius replied, “He is decisive. He can manage them easily.” Ji Kang Zi asked, “Can I leave government affairs to Zi Gong?” Confucius replied, “He is clever. He can manage them easily.” Ji Kang Zi asked, “Can I leave government affairs to Ran Qiu?” Confucius replied, “He is versatile. He can manage them easily.”

現代語訳
季康子(きこうし)が孔子に、
「仲由(ちゅうゆう)に政務を任せても良いだろうか?」
と尋ねられ、孔子は、
「彼には決断力があります。政務くらい易々とこなすでしょう。」
と答えられました。次に季康子は、
「子貢(しこう)に政務を任せても良いだろうか?」
と尋ねられ、孔子は、
「彼は道理を弁えています。政務くらい易々とこなすでしょう。」
と答えられました。次に季康子は、
「冉求(ぜんきゅう)に政務を任せても良いだろうか?」
と尋ねられ、孔子は、
「彼は多芸の持ち主です。政務くらい易々とこなすでしょう。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

季康子(きこうし:魯の宰相、姓は季孫、名は肥、康子は諡(おくりな)。魯の実質的支配者である三桓氏の筆頭。)

仲由(ちゅうゆう:姓は仲、名は由、字は子路。孔門十哲の一人。詳細は公冶長第五の七に。)

子貢(しこう:姓は端木、名は賜、字は子貢。孔門十哲の一人。詳細は公冶長第五の九に。)

冉求(ぜんきゅう:姓は冉、名は求、字は子有。孔門十哲の一人。詳細は八佾第三の六に。)

今回も登場人物が多かったでござるが、孔子の弟子に対する愛情を感じる文章でござるな。論語内でしばしば弟子達をたしなめる孔子でござるが、その才能を認めていたという事でござるな。

雍也第六の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 雍也第六を英訳を見て下され。

孔子の論語 雍也第六の七 回や其の心三月仁に違わず

孔子の論語の翻訳127回目、雍也第六の七でござる。

漢文
子曰、囘也、其心三月不違仁、其餘則日月至焉而已矣。

書き下し文
子曰わく、回(かい)や其の心三月(さんがつ)仁に違(たが)わず。其の余(よ)は則(すなわ)ち日月(ひびつきづき)に至(いた)るのみ。

英訳文
Confucius said, “Yan Hui can maintain his mind with benevolence for three months. Others can do it only for a day or a month.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「顔回(がんかい)は3ヶ月も仁の心を忘れずにいられる。他の者ではせいぜい1日か長くても1ヶ月くらいだろう。」

Translated by へいはちろう

顔回(がんかい:姓は顔、名は回、字は子淵。孔門十哲の一人。詳細は公冶長第五の九に。)

拙者はこのブログで仁を「真心」と解釈しているのでござるが、顔回は常に真心を持って他人に接する事が出来たという事でござるな。拙者もそうでござるが凡人は、悪気は無くともつい自分の気持ちを優先させて他者への真心を忘れてしまいがちでござる。

「ちょっと言い過ぎちゃったなぁ。」 とか 「あの時こうしてあげればよかったなぁ。」

なんて事はしょっちゅうでござる、やれやれ。

雍也第六の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 雍也第六を英訳を見て下され。

孔子の論語 雍也第六の六 用いること勿からんと欲すと雖ども、山川其れ舎てんや

孔子の論語の翻訳126回目、雍也第六の六でござる。

漢文
子謂仲弓曰、犂牛之子、騂且角、雖欲勿用、山川其舎諸。

書き下し文
子、仲弓(ちゅうきゅう)を謂(い)いて曰(わく)、犂牛(りぎゅう)の子、騂(あか)くして且(か)つ角(つの)あらば、用いること勿(な)からんと欲すと雖(いえど)も、山川(さんせん)其れ舎(す)てんや。

英訳文
Confucius talked about Zhong Gong, “If a crossbred bull have a red body and good horns, gods must bless it even if people never offer it as a sacrifice.”

現代語訳
孔子が仲弓(ちゅうきゅう)を評しておっしゃいました、
「例え雑種のまだら牛であろうとも赤い体と立派な角さえあれば、例え人々が生贄に捧げようとしなくとも山河の神々が見棄てておくはずがない。」

Translated by へいはちろう

仲弓(ちゅうきゅう:姓は冉、名は雍、字は仲弓。孔門十哲の一人。詳細は雍也第六の一に。)

身分の低い家の出でも学問を十分に修めて人格正しければ立派な人間と言える、という事でござるな。

雍也第六の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 雍也第六を英訳を見て下され。