孔子の論語 雍也第六の五 毋かれ、以て爾が隣里郷党に与えんか

孔子の論語の翻訳125回目、雍也第六の五でござる。

漢文
原思爲之宰、與之粟九百、辭、子曰、毋、以與爾隣里郷黨乎。

書き下し文
原思(げんし)、これが宰(さい)たり、これに粟(ぞく)九百を与う。辞(じ)す。子曰わく、毋(な)かれ、以て爾(なんじ)が隣里郷党(りんりきょうとう)に与えんか。

英訳文
Confucius appointed Yuan Si as a magistrate of his manor. Confucius tried to give Yuan Si 2t rice. But Yuan Si declined. Confucius said, “Don’t be reserved. If it is too much, you can give the rest to your neighbors.”

現代語訳
孔子が魯の司冠(司法長官)であった時、原思(げんし)を封地(荘園)の代官に任命しました。その俸禄(給料)として900斗(約2t)の米を与えようとしたところ、原思は多すぎると受け取りを辞退しました。そこで孔子は、
「遠慮するな。余ったら隣近所の人々に分け与えれば良いのだ。」
とおっしゃいました。

Translated by へいはちろう

原思(げんし:姓は原、名は憲、字は子思。孔子の弟子の一人。孔子の死後は隠者となった。ある時、出世して衛の宰相となった子貢が貧しい原憲の住まいを訪ねた。原憲はくたびれた衣冠を整えて子貢に会った。子貢はこの姿を見て軽蔑したように 「先生は何かのご病気ですか?」と言った。原憲は「私は”財産のない者を貧といい、道を学んで行えない者を病いという”と聞いております。私は貧ではあるが、病いではありません。」と答えた。子貢は自らの過ちに気づき、やりきれぬ気持ちで去り、生涯自分の失言を恥じたという。)

清廉な人物でござるな。しかし孔子は清廉ではあるが融通の利かない原思に、発想を変えて物事を見る事を教えたのではないでござろうか?

雍也第六の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 雍也第六を英訳を見て下され。

孔子の論語 雍也第六の四 君子は急を周うて富めるに継がず

孔子の論語の翻訳124回目、雍也第六の四でござる。

漢文
子華使於齊、冉子爲其母請粟、子曰、與之釜、請益、曰與之庾、冉子與之粟五秉、子曰、赤之適齊也、乘肥馬、衣輕裘、吾聞之也、君子周急不繼富。

書き下し文
子華(しか)、斉(せい)に使いす。冉子(ぜんし)、其の母の為(た)めに粟(ぞく)を請(こ)う。子曰わく、これに釜(ふ)を与えよ。益(えき)さんことを請う。曰わく、これに庾(ゆ)を与えよ。冉子、これに五秉(へい)を与う。子曰わく、赤(せき)の斉に適(ゆ)くや、肥馬(ひば)に乗りて軽裘(けいきゅう)を衣(き)たり。吾これを聞く、君子 は急を周(すく)うて富めるに継がずと。

英訳文
Zi Hua had gone on a mission to Qi. Ran Zi requested a pension for Zi Hua’s mother. Confucius replied, “Give her 10kg rice.” Ran Zi demanded an increase. Confucius replied, “Then, give her 100kg rice.” But Ran Zi gave her 1t rice.” Confucius said, “At the time of departure, Zi Hua rode on a good horse and wore luxurious clothes. They say – ‘Gentlemen support the poor not the rich.'”

現代語訳
子華(しか)が孔子の用事で斉に使いに行きました。
冉子(ぜんし)が子華の母親の生活費を出して欲しいと孔子に頼まれ、孔子は、
「米を10kgあげなさい。」
とおっしゃいました。冉子は増量を求められ、孔子は、
「ならば米を100kgあげなさい。」
とおっしゃいました。しかし冉子は米1tを子華の母親に与えられました。
孔子はこれを知って、
「子華は肥えた馬に乗り、豪華な衣服を着て斉にでかけた。貧しい者に施しするならともかく金持ちに施しをするなど聞いた事も無い。」
とおっしゃいました。

Translated by へいはちろう

子華(しか:姓は公西、名は赤、字は子華。孔子の弟子の一人。裕福な家柄の出身)

冉子(ぜんし:姓は冉、名は求、字は子有。孔門十哲の一人。詳細は八佾第三の六に。)

さて何やら現代日本の微妙な問題に関わって来そうな今回の文章、気分を害される御仁が居らねば良いのでござるが。

ご存知の通り儒学において両親を大切にし年長者を敬うのは基本中の基本でござる。そこで冉求は当たり前の様に同門の弟子の母親のために米を贈るのでござるが、孔子は裕福な老母に施しは必要無いと諭すのでござる。

為政第二の七で孔子は
「最近は両親を物質的に満たす事を孝と言うが、敬意を伴わなければ家畜に対するのと変わらない。」
とおっしゃっているでござる。

つまり孝の要点は物質の多寡では無く、敬意の在り様なのでござる。もし冉求が米を贈るのでは無く、子華の母親を訪ねて老母の寂しさを慰めていたら、孔子は冉求を褒めたのでは無いかと拙者は思う次第。

雍也第六の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 雍也第六を英訳を見て下され。

孔子の論語 雍也第六の三 顔回なる者あり、学を好む

孔子の論語の翻訳123回目、雍也第六の三でござる。

漢文
哀公問曰、弟子孰爲好學、孔子對曰、有顔囘、好學、不遷怒、不貳過、不幸短命死矣、今也則亡、未聞好學者也。

書き下し文
哀公(あいこう)問う、弟子、孰(たれ)か学を好むと為(な)す。孔子対(こた)えて曰わく、顔回(がんかい)なる者あり、学を好む。怒りを遷(うつ)さず、過ちを弐(ふた)たびせず。不幸、短命にして死せり。今や則(すわ)ち亡(な)し。未だ学を好む者を聞かざるなり。

英訳文
Marquis Ai asked, “In your pupils, who likes learning?” Confucius replied, “There was Yan Hui who learned eagerly. He never vented his anger on the other people. He never made the same mistake again. But unfortunately, he passed away in his youth. No one likes learning truly except him.”

現代語訳
魯の哀公(あいこう)が、
「あなたの弟子のうちで学問を好むのは誰ですか?」
と尋ねられ、孔子は、
「顔回(がんかい)という者がおりました。本当に学問が好きで、他人に八つ当たりなどせず、同じ過ちを二度しませんでした。しかし残念ながら若くして亡くなっており、今はもう居りません。彼の他に真の意味で学問を好むというのは居りません。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

哀公(あいこう:魯の侯爵(今の感覚だと王様)在位 BC494-BC468。)

顔回(がんかい:姓は顔、名は回、字は子淵。孔門十哲の一人。詳細は公冶長第五の九へ)

ここでいう学問とは知識の追求としての学問では無く、学んだ事をいかに実践しようとしたか、という事でござるな。

雍也第六の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 雍也第六を英訳を見て下され。

孔子の論語 雍也第六の二 簡に居て簡を行う、乃わち大簡なること無からんや

孔子の論語の翻訳122回目、雍也第六の二でござる。

漢文
仲弓問子桑伯子、子曰、可也、簡、仲弓曰、居敬而行簡、以臨其民、不亦可乎、居簡而行簡、無乃大簡乎、子曰、雍之言然。

書き下し文
仲弓(ちゅうきゅう)、子桑伯子(しそうはくし)を問う。子曰わく、可なり、簡(かん)なり。仲弓が曰わく、敬(けい)に居(い)て簡を行い、以(もっ)て其の民に臨(のぞ)まば、亦(また)可ならずや。簡に居て簡を行う、乃(すな)わち大簡(たいかん)なること無からんや。子曰わく、雍(よう)の言、然(しか)り。

英訳文
Zhong Gong asked about Zi Sang Bo Zi. Confucius replied, “Not bad. He is generous.” Then Zhong Gong said, “If he is both prudent and generous, and he associates with the people with prudence, he is quite good. But if he is only generous, he is too generous.” Confucius said, “I agree with you.”

現代語訳
仲弓(ちゅうきゅう)が子桑伯子(しそうはくし)の人柄について尋ねました、孔子は、
「悪くないな、彼は鷹揚だ。」
と答えられました。すると仲弓が、
「もし彼が慎重に考えた上で鷹揚に事を行って人々に接するならば、確かに良い人物ですね。しかし彼がただ鷹揚であるだけならば、単に大雑把なだけでしょう。」
と言い、孔子は、
「お前の言うとおりだ。」
とおっしゃいました。

Translated by へいはちろう

仲弓(ちゅうきゅう:姓は冉、名は雍、字は仲弓。孔門十哲の一人。前回の雍也第六の一では孔子に君主にふさわしいと評されている。)

子桑伯子(しそうはくし:孔子と同時代の隠者。荘子の中の寓話に子桑戸(しそうこ)と言う名前で登場する。)

気前が良い人物は多くの人々から好かれるものでござる。日本の偉い(と一般に言われる身分の)人々は伝統的に気前の良さで人々の好意や尊敬を買う傾向があるでござるな。それが善いか悪いかは別として、それが一番早道だからでござる。

しかし人々に対して気前がいいからと言って、自分もそれに甘えていい加減になってはいけないという事でござろうか。

雍也第六の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 雍也第六を英訳を見て下され。

孔子の論語 雍也第六の一 雍や南面せしむべし

孔子の論語の翻訳121回目、雍也第六の一でござる。

漢文
子曰、雍也可使南面。

書き下し文
子曰わく、雍(よう)や南面せしむべし。

英訳文
Confucius said, “Ran Yong is capable of governing a country.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「雍(よう)は南面させてもよい(一国を統治するに足る器量がある)。」

Translated by へいはちろう

(よう:冉雍(ぜんよう)の事、姓は冉、名は雍、字は仲弓。孔門十哲の一人。身分の低い出自で口下手であったが孔子にその人柄を愛された。)

南面(なんめん)とは王侯が部屋の北側に南を向いて座る事から「君主に相応しい器量の持ち主」と言う意味でござる。

雍也第六の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 雍也第六を英訳を見て下され。