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孔子の論語 雍也第六の十七 誰か能く出ずるに戸に由らざらん、何ぞ斯の道に由ること莫きや

孔子の論語の翻訳137回目、雍也第六の十七でござる。

漢文
子曰、誰能出不由戸者、何莫由斯道也。

書き下し文
子曰わく、誰か能く出ずるに戸(こ)に由(よ)らざらん。何ぞ斯の道に由ること莫(な)きや。

英訳文
Confucius said, “People must pass through a door when they go out. Why don’t they go along the Way when they live?”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「部屋から出るには誰しも戸口を通らねばならない、しかし生きるにあたって私の “道” を通らないのは何故だろうか?」

Translated by へいはちろう

孔子の「道」というのは狭義においては仁と礼に基づく学問と実践の道の事でござるが、広義に捉えれば “よく生きること” とも言えるでござるな。

ほぼ同世代のギリシャの哲学者であるソクラテスは、

大事なのは生きることではなく、”よく生きること” だ。そして “よく生きること” とは、”立派に生きること” と “正しく生きること” だ。 – クリトン

とおっしゃっており、孔子との共通点が見出せるでござるな。

しかし “無為自然に生きること” を「道」とした老子は孔子の言う様な道に対して、

大道は甚だ夷らかなるも、而も民は径を好む – 老子 第五十三章

と批判的でござる。

どちらの道を好むかは人それぞれでござるが、自分の歩く道がどんな道なのか漠然と考えてみるのも良い事でござるよ。

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孔子の論語 雍也第六の十六 祝鮀の佞あらずして宋朝の美あるは、難いかな、今の世に免がれんこと

孔子の論語の翻訳136回目、雍也第六の十六でござる。

漢文
子曰、不有祝鮀之佞、而有宋朝之美、難乎、免於今之世矣。

書き下し文
子曰わく、祝鮀(しゅくだ)の佞(ねい)あらずして宋朝(そうちょう)の美あるは、難(かた)いかな、今の世に免がれんこと。

英訳文
Confucius said, “If you were charming like Song Chao and didn’t have eloquence like Zhu Tuo, you couldn’t escape a disaster.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「もしも祝鮀(しゅくだ)の様な弁舌の才が無いのにも関わらず、宋朝(そうちょう)の様な美貌を持っていたとしたら、今の世の中を上手く渡っていくのは難しいだろう。」

Translated by へいはちろう

祝鮀(しゅくだ:祝は衛の祭祀を司る官名、鮀は名、字は子魚。衛の大夫で、雄弁をもってよく衛の霊公を補佐した。)

宋朝(そうちょう:宋の公子にして衛の大夫、名は朝。大変な美男子で衛の霊公の夫人である南子(宋出身)と密通していたとされる。)

この二人は孔子と同時代の人物で、BC497年(孔子56歳)に魯を去り諸国を遊説して回った孔子が一番最初に訪れたのが衛の国でござる。おそらくそこで実際に会った感想を述べたのでござろう。

なお孔子の諸国遍歴は14年に及び、衛→曹→宋→鄭→陳→衛→陳→蔡→楚→衛の順で回った後、BC484年(孔子69歳)に魯に帰国しBC479年(孔子74歳)で亡くなられているのでござる。

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孔子の論語 雍也第六の十五 敢て後れたるに非ず、馬進まざるなり

孔子の論語の翻訳135回目、雍也第六の十五でござる。

漢文
子曰、孟之反不伐、奔而殿、將入門、策其馬曰、非敢後也、馬不進也。

書き下し文
子曰わく、孟之反(もうしはん)、伐(ほこ)らず。奔(はし)って殿(しんがり)たり。将(まさ)に門に入らんとす。其の馬に策(むちう)って曰わく、敢(あえ)て後(おく)れたるに非ず、馬進まざるなり。

英訳文
Confucius said, “Meng Zi Fan doesn’t boast of his service. When our country lost the war, he brought up the rear to protect other corps. He said later, ‘I didn’t do it on purpose, my horse just didn’t run.'”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「孟之反(もうしはん)は自分の手柄を自慢しない。我らが戦に負けたとき、殿(しんがり)を務めて味方の退却を援護したが、見事城に戻ってから言ったものだ。”殿を引き受けたのではない、馬が進まなかっただけなのだ” と。」

Translated by へいはちろう

孟之反(もうしはん:魯の大夫。)

なかなかの好人物でござるな。ちなみにこの戦はBC484年に大国の斉に攻め込まれたもので、魯は南方の呉と協力してこれを撃退しているでござる。そしてBC482年に呉は覇者となるのでござるが、BC473年には越に滅ぼされるのでござる。この有名な呉越の戦いに孔子の弟子である子貢が重大な役割を担っている事は公冶長第五の九で既に述べたのでござるが、それにしても周囲の大国に翻弄される魯国のあり様は何やら色々と考えさせられてしまうでござるな。

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孔子の論語 雍也第六の十四 行くに径に由らず、公事に非ざれば未だ嘗て偃の室に至らざるなり

孔子の論語の翻訳134回目、雍也第六の十四でござる。

漢文
子游爲武城宰、子曰、女得人焉耳乎、曰、有澹薹滅明者、行不由徑、非公事、未嘗至於偃之室也。

書き下し文
子游(しゆう)、武城(ぶじょう)の宰(さい)たり。子曰わく、女(なんじ)、人を得たりや。曰わく、澹台滅明(たんだいめつめい)なる者あり、行くに径(こみち)に由(よ)らず、公事(こうじ)に非(あら)ざれば未(いまだ)だ嘗(かつ)て偃(えん)の室(しつ)に至(いた)らざるなり。

英訳文
Zi You became a magistrate of Wu Cheng. Confucius asked Zi You, “Did you find any good person?” Zi You replied, “There is a person called ‘Dan Tai Mie Ming’. He never goes through byways when he walks. He never comes to my office without official duties.”

現代語訳
子游(しゆう)が武城(ぶじょう)の街の長官になりました。孔子が子游に、
「誰か良い人物は見つかったかね?」
と尋ねられ、子游は、
「澹台滅明(たんだいめつめい)という者がおります。道を歩くのに脇道に入って楽をしようとせず。公の用事以外で私の部屋を訪れる事はありません。」
と答えました。

Translated by へいはちろう

子游(しゆう:孔門十哲の一人、姓は言、名は偃、字は子游。文学(学問)に優れていた。)

澹台滅明(たんだいめつめい:孔子の弟子の一人。姓は澹台、名は滅明、字は子羽。 容貌ははなはだ醜く、孔子に師事しようとしたとき、孔子は彼を愚鈍で才能に乏しいものと思った。しかし学問を始めてからは地道に学び、 後に弟子300人を従え、南方に遊んで長江にいたり、名が諸侯の間に伝わるまでになる。孔子は「私は言論で人を判断して、実行の伴わない宰予を買いかぶり、容貌で人を判断して、醜い子羽を見誤った」と述懐している。)

清廉な人物でござるな。脇道を歩かないとは、ずるをしない事の比喩表現で、公務以外で部屋に訪れないとは、上役に媚びて自己の利益を求めないという事でござる。

中国の故事逸話集である蒙求にこの澹台滅明が登場する「澹台毀璧(たんだいきへき)」という逸話があるのでそれを紹介させていただくでござる。

澹台滅明が千金の価値のある玉璧を持って黄河を渡ろうとしたところ、河伯(黄河の神)がそれをよこせと大波を起こし、二匹の竜に澹台滅明の船を挟ませた。澹台滅明はいくら黄河の神でもけしからんと思い、二匹の竜を剣で斬り殺して無事に黄河を渡りきったが、考え直して玉壁を黄河の神に捧げようと川に投げ入れた。しかし黄河の神は怒ってその玉壁を澹台滅明に投げ返す。澹台滅明も意地になって黄河に玉壁を投げ入れ、黄河の神はまた投げ返す。それを三回繰り返した後、それならばと澹台滅明は玉壁を打ち壊して黄河を去った。

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孔子の論語 雍也第六の十三 君子の儒と為れ、小人の儒と為ること無かれ

孔子の論語の翻訳133回目、雍也第六の十三でござる。

漢文
子謂子夏曰、女爲君子儒、無爲小人儒。

書き下し文
子、子夏(しか)に謂(い)いて曰わく、女(なんじ)、君子(くんし)の儒(じゅ)と為(な)れ。小人(しょうじん)の儒と為ること無かれ。

英訳文
Confucius said to Zi Xia, “You should be a Confucian as a gentleman. Do not be a Confucian as a mere scholar.”

現代語訳
孔子が子夏(しか)におっしゃいました、
「(人の為となる)人格者としての儒学者になりなさい。ただの儒学者となってはいけない。」

Translated by へいはちろう

子夏(しか:姓は卜、名は商。字は子夏。孔門十哲の一人。文学(学問)に優れていた。後に魏の文侯の師となり、弟子に李克・呉起・西門豹がいる。この三人のおかげで魏は戦国最初の強国となった。先進第十一では孔子に”過ぎたるはなお及ばざる如し”の’及ばない方’と評されている。)

簡単に言えば知識だけ溜め込む頭でっかちになるな、という事でござろうか。もちろん子夏が人一倍博識な人物だったから孔子はその様におっしゃったのでござるな。

耳が痛いでござるなぁ・・・人の役に立つのが「喜び」だとしたら、知識を得る事が「悦び」だという人間は意外と多いもので、拙者もその一人なのでござるが、人のお役に立てる自信など皆無でござるな、やれやれ。

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