論語」カテゴリーアーカイブ

孔子の論語 雍也第六の二十七 博く文を学びて、これを約するに礼を以てせば、亦以て畔かざるべきか

孔子の論語の翻訳147回目、雍也第六の二十七でござる。

漢文
子曰、君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫。

書き下し文
子曰わく、君子、博(ひろ)く文を学びて、これを約(やく)するに礼を以てせば、亦(また)以て畔(そむ)かざるべきか。

英訳文
Confucius said, “If gentlemen learned extensively and behave with due courtesy, they never stray from the right path.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「もしも人々が博く学び、行動するにあたって礼に配慮すれば、彼らは決して正道を踏み外すことは無い。」

Translated by へいはちろう

今回の文では何をもって「正道」と呼ぶかが問題になるでござるな。良く学んで礼儀正しくすると正道に適うという事は、「学ぶ事」と「礼儀を正す事」は手段であって目的では無いという事でござるな。

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孔子の論語 雍也第六の二十六 仁者はこれに告げて、井に仁ありと曰うと雖も、其れこれに従わんや

孔子の論語の翻訳146回目、雍也第六の二十六でござる。

漢文
宰我問曰、仁者雖告之曰井有仁者焉、其從之也、子曰、何爲其然也、君子可逝也、不可陥也、可欺也、不可罔也。

書き下し文
宰我(さいが)、問うて曰わく、仁者はこれに告げて、井(せい)に仁ありと曰(い)うと雖(いえど)も、其(そ)れこれに従わんや。子曰わく、なんすれぞ其れ然らん。君子は逝かしむべきも、陥(おとしい)れるべからざるなり。欺くべきも、罔(し)うべからざるなり。

英訳文
Zai Wo asked, “If a benevolent man was taught that there is a benevolent person in a well, should he follow the person?” Confucius replied, “Why should he do that? A benevolent man is not caught in a snare even if he approached the well. A benevolent man is not deceived even if he listened to wicked person’s words.”

現代語訳
宰我(さいが)が、
「もし仁の人、つまり人格者が井戸の中に偉い人格者がいると教えられたら、彼はその人に従うでしょうか?」
と尋ね、孔子は、
「何故そんな事をせねばならんのだ? 人格者ならば井戸に近づいたとしても、井戸の中まで落ちていくはずがない。騙そうとする人の言葉を聞いていも、騙される訳では無い。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

宰我(さいが:姓は宰、名は予、字は子我。詳細は八佾第三の二十一に。)

論語内で何度も孔子に怒られているからか、どうも詭弁を弄する人という印象がぬぐえない宰我でござる。今回の質問も好意的に解釈すれば「他者にとってどんなに馬鹿らしくとも、そこに仁の真理があれば仁者はそれを求めますか?」と尋ねたと考えられなくもないのでござるが、

孔子からは「馬鹿な事いうな。」と一蹴されているのでござる。顔回が同じ事を聞いたら(聞く訳ないでござるが)、孔子はどう答えていたのでござろうか?

日ごろの行いや印象って大事だなぁ、と思う次第。

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孔子の論語 雍也第六の二十五 觚、觚ならず

孔子の論語の翻訳145回目、雍也第六の二十五でござる。

漢文
子曰、觚不觚、觚哉、觚哉。

書き下し文
子曰わく、觚(こ)觚ならず。觚ならんや、觚ならんや。

英訳文
Confucius said, “A Gu, a small cup used at the rites to control drinking, cannot control drinking nowadays. Is this really a Gu? Is this really a Gu?”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「觚(こ)というのは儀式の中で儀礼的に飲酒をするための小さな盃であるのに、最近では飲酒するために使われている。そんなものが觚と呼べるだろうか?そんなものが觚と呼べるだろうか?」

Translated by へいはちろう

ちょっとややこしいのでござるが、要するに「觚(こ)=お酒の飲めない人でも儀式の中で儀礼的に飲酒出来るように小さく作られた盃」であるのに、「お酒の好きな人がきどって飲むのに日常的に使われている」事を嘆いているのでござる。

転じて儀礼の本当の意味を理解せず、形式的な部分だけを重んじる風潮を批判しているとも受け取れるでござるな。

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孔子の論語 雍也第六の二十四 魯、一変せば道に至らん

孔子の論語の翻訳144回目、雍也第六の二十四でござる。

漢文
子曰、齊一變至於魯、魯一變至於道。

書き下し文
子曰わく、斉、一変(いっぺん)せば魯に至らん。魯、一変せば道に至らん。

英訳文
Confucius said, “Qi can become a civilized country like Lu. Lu can become an ideal country of moral politics.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「斉の国はちょっと変われば魯の様な文化国家となる事が出来る。魯の国はちょっと変われば道徳政治の理想国家となることが出来る。」

Translated by へいはちろう

(せい:孔子の時代の大国、春秋五覇の一つ。始祖は太公望呂尚(周建国の功労者、名軍師として名高い)、爵位は侯爵。海水から塩を作ったり鉄を生産して大いに栄えた。15代の桓公の時代に名宰相、管仲を得て春秋最初の覇者となるが、桓公の死後は後継者争いが絶えず国力が衰微する。孔子の時代に斉のもう一人の名宰相、晏嬰を得てようやく安定を取り戻す。春秋時代を通して大国でありつづけるが、主君である斉公の権威は衰え続け、家臣の田和によって政治の実権を奪われ、BC386年にはとうとう周王朝が田氏を斉公と認めて名実共に斉の君主は田氏となる。これ以後の斉を区別して田斉とも呼ぶ。)

(ろ:孔子の生国。始祖は周公旦(周の開祖である武王の弟、姫旦)、爵位は侯爵。何よりも孔子の出現によって中国の文化・思想史に果たした役割は大きいが、軍事的には周囲の斉・晋・楚などの強国に翻弄される小国であった。国内的には15代の桓公(斉の桓公とは別人)から分家した三桓氏と呼ばれる御三家によって実質的に支配されており、魯公の権威は低かった。春秋時代にはまだ諸侯が周王朝を重んじていたため魯は細々と生きながらえていたが、戦国時代に入ってBC256年に周が秦によって滅ぼされると、BC249年に楚によって魯は滅ぼされた。)

周王朝の名族で周公の礼制などを受け継ぐ魯は確かに当時随一の文化国家であった事は確かでござる。しかし逆を返せば戦乱の風が吹き始めていた当時の中国大陸における魯は文化国家として以外に生き残る道は無く、孔子も君臣の身分秩序を正す事によって平和は保たれると説いているでござる。諸侯が周王朝を敬えば周の名族である魯は安泰でござるからな。

春秋・戦国時代を通して、家臣にいつ謀反を起こされるかと不安に駆られていた中原の諸侯達は、孔子の言う身分秩序を一部受け入れる事によって国権を保とうとするのでござるが、当時の新興国であり周辺蛮族とみなされていた秦や楚は当然その身分秩序に対しては反発し、孔子の言う古代の聖王の様な道徳政治では無く、当時はまだ新しい政治思想であった法家の思想(君主による中央集権制)によって国権を保とうとしたのでござる。

結果として呉起による政治改革が失敗した楚を最後に、その他の諸侯も法家の怪物的実践者であった始皇帝によってことごとく滅ぼされ、中国大陸は初の統一を成し遂げるのでござる。

しかし「君主こそが法であり、法こそが道徳である」という極端な独裁的政治を民衆が受け入れるはずがなく、秦はわずか15年で滅んで漢が次に中国大陸を統一するのでござる。

漢は建国当初は周の様な封建制を布いていたものの、呂后の専横や呉楚七国の乱などを経て次第に秦の様な中央集権制が確立される。しかし秦の様な極端な政治は行わず、7代皇帝の武帝の時代になって五経博士が置かれ、儒学が漢の官学となると秦の時代に徹底的に弾圧された儒学が一気に隆盛を極めるのでござる。

後は儒学が隆盛したり腐敗したりを繰り返して、時代によって批判されたり見直されたりしているでござる。諸行無常でござるな。

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孔子の論語 雍也第六の二十三 知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ

孔子の論語の翻訳143回目、雍也第六の二十三でござる。

漢文
子曰、知者樂水、仁者樂山、知者動、仁者静、知者樂、仁者壽。

書き下し文
子曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。

英訳文
Confucius said, “A wise person enjoys water, a benevolent person enjoys mountains. A wise person moves quickly, a benevolent person stays calm. A wise person enjoys changes, a benevolent person enjoys a long life.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「知者は(流動的な)水を楽しみ、仁者は(不動の)山を楽しむ。知者は行動的で、仁者はゆったりと落ち着いている。知者は変化を楽しみ、仁者は人生を楽しむ。」

Translated by へいはちろう

知者は行動力がある有能な人物のイメージでござるな、人の上に率先して立ってリーダーシップを発揮する様なイメージでござる。仁者は落ち着いた優しい人物のイメージでござるな、物事に対して受動的でありながら臨機応変に対処して自らが揺るがない様なイメージでござる。

ちなみに似たような言葉で、

「上善如水(じょうぜんみずのごとし) – 老子 第八章

というのがあり、こちらは水の流動性と生命にとっての普遍性に例えて、他者に恵みを与えながら低きへ流れる謙虚さを説いているのでござるな。

同じ水を使って表現しても違いが出るというのは面白いでござる。

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