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孔子の論語 憲問第十四の三十九 賢者は世を避く

孔子の論語の翻訳382回目、憲問第十四の三十九でござる。

漢文
子曰、賢者避世、其次避地、其次避色、其次避言、子曰、作者七人矣。

書き下し文
子曰わく、賢者は世を避(さ)く。其の次は地を避く。其の次は色を避く。其の次は言を避く。子の曰わく、作す者七人。

英訳文
Confucius said, “The wise renounce the world. The next best renounce the chaotic land. The next best avoid danger by reading people’s expression. The next best avoid danger by listening to people’s words. There were seven people who did these things.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「賢者は俗世を避ける。次善は乱れた土地を避け、その次善は人の顔色を見て危険を避け、その次善は人の言葉を聞いて危険を避ける。これらを行った人物は7人いる。」

Translated by へいはちろう

この7人は微子第十八の八に登場する「伯夷・叔斉・虞仲・夷逸・朱張・柳下恵・少連」だと言われているでござる。

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孔子の論語 憲問第十四の三十八 道の将に行なわんとするや、命なり。道の将に廃せんとするや、命なり

孔子の論語の翻訳381回目、憲問第十四の三十八でござる。

漢文
公伯寮愬子路於季孫、子服景伯以告曰、夫子固有惑志於公伯寮也、吾力猶能肆諸市朝、子曰、道之將行也與、命也、道之將廢也與、命也、公伯寮其如命何。

書き下し文
公伯寮(こうはくりょう)、子路(しろ)を季孫(きそん)に愬(うった)う。子服景伯(しふくけいはく)以て告(もう)して曰わく、夫子(ふうし)固(もと)より公伯寮に惑(まど)える志し有り。吾(わ)が力猶(な)お能(よ)く諸(こ)れを市朝(しちょう)に肆(さら)さん。子曰わく、道の将(まさ)に行なわんとするや、命なり。道の将に廃せんとす るや、命なり。公伯寮、其れ命を如何。

英訳文
Gong Bo Liao slandered Zi Lu to the Ji Sun. Zi Fu Jing Bo reported this and said, “Ji Sun tends to favor Gong Bo Liao. I can execute him if you want.” Confucius replied, “It is destiny, whether it is reasonable or not. Gong Bo Liao can never change destiny.”

現代語訳
公伯寮(こうはくりょう)が子路(しろ)の事を主人である季孫氏(きそんし)に訴えた。
子服景伯(しふくけいはく)がこのことを孔子に報告して言いました、
「季孫の殿は公伯寮の言葉を鵜呑みにしております。お望みならば私の権限で公伯寮を死刑にできますが。」
孔子は、
「人生が道理に適うのも適わないのも天命というものです。公伯寮ごときが天命をどうにかできるはずはありません。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

公伯寮(こうはくりょう:孔子の弟子の一人であったと言われるが詳細は不明。)

子路(しろ:季路とも言う。姓は仲、名は由、字は子路。詳細は公冶長第五の七に。)

季孫氏(きそんし:魯の実質的支配者である三桓氏の筆頭、子路は孔子の推薦でこの家の家宰を努めていた。)

子服景伯(しふくけいはく:魯の大臣。三桓氏の一つの孟孫氏の一門。孔子に好意的だった。)

行動力があるが軽率な面がある子路は多くの人から好かれる反面、人の怨みを買う面もあったのでござろう。季孫氏も直言をする子路をその正しさ故にうとましく思うこともあったのでござろうな。

しかし孔子はいかに公伯寮がうまく誘導したとしても、季孫氏が子路の正しさを無視して更迭などしたりできないと確信していたのでござろう。

正論とはその正しさゆえに人から疎まれるが、同時に正しさ故に無視する事など誰にもできないものでござる。他者の正論を敢然と無視できるのは、歴史上英雄と呼ばれるような新たな正義を打ち立てる人種のみでござるな。

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孔子の論語 憲問第十四の三十七 我を知る者は其れ天か

孔子の論語の翻訳380回目、憲問第十四の三十七でござる。

漢文
子曰、莫我知也夫、子貢曰、何爲其莫知子也、子曰、不怨天、不尤人、下學而上達、知我者其天乎。

書き下し文
子曰わく、我知ること莫(な)きかな。子貢(しこう)が曰わく、何爲(なんす)れぞ其れ子を知ること莫からん。子曰わく、天を怨(うら)みず、人を尤(とが)めず、下学(かがく)して上達す。我を知る者は其れ天か。

英訳文
Confucius said, “Nobody understands me.” Zi Gong asked, “Why does nobody understand you, master?” Confucius replied, “I don’t have grudge to the heaven. I don’t blame anyone. I have been learning from trivial to lofty things. Only the heaven understands me.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私の事を理解してくれる者が誰もいない。」
子貢(しこう)がこれを聞いて、
「どうして先生を理解できない者がおりましょうか。」
と尋ねると、孔子は、
「天に怨みを持たず、人を非難せず、これまで身近な事から高尚な事に至るまで学んできた。天のみが私を理解してくれる。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

子貢(しこう:姓は端木、名は賜、字は子貢。詳細は公冶長第五の九に。)

学而第一の十六憲問第十四の三十二で「人に理解されない事など気にするな」とおっしゃっている孔子でござるが、人の身である孔子も時には弱気になる事があったのでござろう。

前にも言ったでござるが、(初期の)論語は生きてる間についに報われなかった孔子に対する弟子たちからのせめてもの温情であったでござろう。

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孔子の論語 憲問第十四の三十六 直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ

孔子の論語の翻訳379回目、憲問第十四の三十六でござる。

漢文
或曰、以徳報怨、何如、子曰、何以報徳、以直報怨、以徳報徳。

書き下し文
或(あ)るひとの曰わく、徳を以(もっ)て怨(うら)みに報いば、何如(いかん)。子曰わく、何を以てか徳に報いん。直(なお)きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。

英訳文
Someone asked, “How about repaying virtue to the grudge?” Confucius replied, “What will you repay to the virtue? I repay honesty to the grudge, and virtue to the virtue.”

現代語訳
ある人が尋ねました、
「人から受けた怨みに対して人徳をもって報いるのはいかがでしょう?」
孔子は、
「それでは人から受けた徳には何をもって報いるというのかね?私は怨みに対しては誠実さで報い、徳に対しては徳で報いる。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

「怨(うら)みに報ゆるに徳をもってす」は老子の第六十三章にもある言葉でござるな。ただし孔子の言う「徳」と老子の言う「徳」は別物なので注意が必要でござる。

※補足
メールにて「孔子の徳と老子の徳はどう違うのか?」というご質問を頂いたので、手短に補足説明をさせていただくでござる。

まず孔子をはじめとする儒学における徳とは、学問や教養によって身に付けたいわゆる美徳を指し、特に仁義礼智信の五つの徳を身につけ人々の手本となって教え導く事が君子の道とされているでござるな。

それに対して老子の思想における徳とは 老子の第三十八章 で「上徳は無為にして、而して以って為にする無し」と述べている通り、学問などで人為的に身につける美徳を否定し、欲望や自尊心を抑えて人間本来の素直な心を取り戻す事が老子にとっての徳でござる。

これらを踏まえたうえで老子の「怨みに報ゆるに徳を以ってす」を拙者なりに解釈すると、”そもそも「怨み」の気持ちが生じるのは必要以上に物事に執着するからであり、「徳」を備えた人間は怨みなど抱かない” という老子ならではの逆説的な表現だと考える次第でござる。第六十三章をもう一度読んでいただくと、他の言葉もほとんどこの様な逆説的な表現がされている事に気づくはずでござる。

これが孔子の立場だと「直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ」となるのは、儒学の理念を考えれば自明となるでござろう。例えば自分の親が害された時に仇を討たないのは「不孝」でござる。自分の名誉が貶められた時に恥を雪がないのも一族や先祖に対する不孝でござるな。仁の心があり義の心があればこそ怨みを簡単に水に流すなどありえない事でござる。ゆえに怨みに対しては誠実さをもって正々堂々と報復をする訳でござるな。後半部分については、”礼には礼を、恩には恩を返す” という様な意味でござろう。

と言ったところではなはだ簡単ではあるものの孔子と老子の徳の説明は以上でござる。

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孔子の論語 憲問第十四の三十五 驥は其の力を称せず、其の徳を称す

孔子の論語の翻訳378回目、憲問第十四の三十五でござる。

漢文
子曰、驥不称其力、称其徳也。

書き下し文
子曰わく、驥(き)は其の力を称(しょう)せず。其の徳を称す。

英訳文
Confucius said, “A good horse is praised for its virtue, not praised for its strength.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「名馬はその力を称賛されるのではなく、その徳質を称賛されるのだ。」

Translated by へいはちろう

馬に例えて、人間にとって大切なのは才能や能力よりも人格だとおっしゃっているのでござるな。

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