論語」カテゴリーアーカイブ

孔子の論語 憲問第十四の四十四 己を脩めて以て百姓を安すんずるは、尭舜も其れ猶お諸れを病めり

孔子の論語の翻訳387回目、憲問第十四の四十四でござる。

漢文
子路問君子、子曰、脩己以敬、曰如斯而已乎、曰脩己以安人、曰如斯而已乎、曰脩己以安百姓、脩己以安百姓、尭舜其猶病諸。

書き下し文
子路(しろ)、君子を問う。子曰わく、己を脩(おさ)めて以(もっ)て敬す。曰わく、斯(か)くの如きのみか。曰わく、己を脩めて以て人を安んず。曰わく、斯くの如きのみか。曰わく、己を脩めて以て百姓(ひゃくせい)を安すんず。己を脩めて以て百姓を安すんずるは、尭舜(ぎょうしゅん)も其れ猶(な)お諸(こ)れを病(や)めり。

英訳文
Zi Lu asked about gentlemen. Confucius replied, “They improve themselves respect the others.” Zi Lu said, “Is that enough?” Confucius replied, “They improve themselves and make the others be at ease.” Zi Lu said, “Is that enough?” Confucius replied, “They improve themselves and make all the people be at ease. To make all the people be at ease, even Yao and Shun struggled to do that.”

現代語訳
子路(しろ)が人の上にたつべき人格者について尋ねました、孔子は、
「自ら修養して人々を敬う事だ。」
と答えられました。子路が、
「それだけで良いのですか?」
と尋ねると、孔子は、
「自ら修養して人々を安らかにする事だ。」
と答えられました。子路がさらに、
「それだけで良いのですか?」
と尋ねると、孔子は、
「自ら修養して万人を安らかにする事だ。万人を安らかにする事は聖帝の尭舜(ぎょう・しゅん)でさえ苦労された程だ。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

子路(しろ:季路とも言う。姓は仲、名は由、字は子路。詳細は公冶長第五の七に。)

尭舜(ぎょうしゅん:伝説上の聖帝、詳細は雍也第六の三十に。)

雍也第六の三十では君子どころか聖人の域だとおっしゃっているのでござるが、高い向上心を持つ子路に対して敢えておっしゃったのでござろう。

そして常に自らを修養する事こそが重要な君子の条件である事も忘れてはならないでござる。

憲問第十四の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 憲問第十四を英訳を見て下され。

孔子の論語 憲問第十四の四十三 上礼を好めば、則ち民使い易し

孔子の論語の翻訳386回目、憲問第十四の四十三でござる。

漢文
子曰、上好禮、則民易使也。

書き下し文
子曰わく、上(かみ)、礼を好めば、則(すなわ)ち民使い易し。

英訳文
Confucius said, “If the government officials value the courtesy, the people become obedient to rule easily.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「もし上に立つものが礼儀を重んじれば、人々は従順で従わせ易くなる。」

Translated by へいはちろう

顔淵第十二の十九でも同じような事をおっしゃっておられるでござるな。

憲問第十四の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 憲問第十四を英訳を見て下され。

孔子の論語 憲問第十四の四十二 君薨ずれば、百官己を総べて以て冢宰に聴くこと三年なり

孔子の論語の翻訳385回目、憲問第十四の四十二でござる。

漢文
子張曰、書云、高宗諒陰三年不言、何謂也、子曰、何必高宗、古之人皆然、君薨、百官總己以聽於冢宰三年。

書き下し文
子張(しちょう)が曰わく、書に云う、高宗(こうそう)、諒陰(りょうあん)三年言(ものい)わずとは、何の謂(い)いぞや。子曰わく、何ぞ必ずしも高宗のみならん。古(いにしえ)の人皆然(しか)り。君薨(こう)ずれば、百官、己を総(す)べて以て冢宰(ちょうさい)に聴くこと三年なり。

英訳文
Zi Zhang asked, “In the Shu Jing, ‘Gao Zhong never spoke for three years in mourning’ Why did not he speak?” Confucius replied, “Not only Gao Zhong. All of the ancient people never spoke in mourning. When a monarch passed away, all officers finished their work and obeyed the regent’s order for three years.”

現代語訳
子張(しちょう)が尋ねました、
「書経には、”殷の高宗(こうそう)は喪に服して三年間言葉を話さなかった。” とあります。どうしてでしょうか?」
孔子は、
「高宗だけではない、昔の人は皆そうしていたのだ。君主が亡くなった時は、すべての家臣は仕事をやり終えて跡継ぎの君が三年喪に服している間は摂政の命に従ったのだ。」

Translated by へいはちろう

子張(しちょう:姓は顓孫、名は師、字は子張。詳細は公冶長第五の十九に。)

殷の高宗(こうそう:武丁とも呼ばれる、殷の22代の帝。高宗は衰えた殷を復興させようと考えていたが、補佐する者がいなかったので、即位してから3年間は自ら政治に口を出さなかった。ある夜に説という名の聖人を夢に見たが、群臣の中にはこのような人物はいなかった。そこで方々に人を遣わしてこの人物を探させると、道を作る労役者の中にこの人物がいた。武丁が話してみると、まことに聖人であったために、傅という姓を与え、傅説と呼んだ。傅説の補佐で殷はまた復興した。)

書経(しょきょう, Shu Jing:政治史・政教を記した中国最古の歴史書。堯舜から夏・殷・周の帝王の言行録を整理した演説集。儒学における五経の一つ。)

現代社会では三年の喪など不可能だと考えがちでござるが、墨子のように当時の人々にとっても非合理的だと思われていたようでござる。

しかし孔子の考えが単純に倫理観からくるものだとしても、君主の代替わりは多くの家臣達にとっても代替わりとなるのでござる(隠居するか隠居させられるのが普通)。そこから生じる利害関係の対立を緩和するためにも3年の移行期間は必要だったのかも知れないでござるな。

憲問第十四の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 憲問第十四を英訳を見て下され。

孔子の論語 憲問第十四の四十一 果なるかな、難きこと末きなり

孔子の論語の翻訳384回目、憲問第十四の四十一でござる。

漢文
子撃磬於衛、有荷蕢而過孔氏之門者、曰、有心哉撃磬乎、既而曰、鄙哉、硜硜乎、莫己知也斯己而已矣、深則厲、淺則掲、子曰、果哉、末之難矣。

書き下し文
子、磬(けい)を衛に撃(う)つ。蕢(あじか)を荷(にな)いて孔氏の門を過ぐる者あり。曰わく、心あるかな、磬を撃つこと。既にして曰わく、鄙(いやし)きかな、硜硜乎(こ)たり。己を知ること莫(な)くんば、斯れ已(や)まんのみ、深ければ厲(れい)し、浅ければ掲(けい)す。子曰わく、果なるかな。難 (かた)きこと末(な)きなり。

英訳文
Confucius played the Qing (a stone drum) in Wei. Someone with a burden happened to pass by Confucius’ house and said, “You are playing the drum with your feelings.” He said again, “It sounds boring. You must be stubborn. The poem says, ‘Undress before entering the deep river. Roll up the bottom of clothes before entering the shallow river.'” Confucius replied, “It sounds decisive. But I’m playing it easily.”

現代語訳
衛での滞在中、孔子が磬(けい:石製の打楽器)を鳴らしていた。
荷物を担いだ人が家の前を通りがかって言いました、
「音色にあなたの心が表れていますね。」
そしてしばらく聞いた後で言いました、
「つまらない音色だ、音が固くなりすぎている。”深い川では着物を脱ぎ、浅い川では裾をまくる” と詩でも言うでしょう。」
孔子は、
「思い切りの善い考え方ですね。でも私は気楽にやっていますよ。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

この荷物を担いだ人物は隠者でござるな。庶民にまざって暮らす隠者が孔子に詩文を用いて忠告しに来たのでござろう。

「こんな乱れたご時世に、頑固に礼楽を広めようとするのは頭が固くなってるからです。もっと柔軟に生きたらどうですか?」と言われて、

「あなたみたいに世を捨て去るには勇気がいりますね、しかし私は結構気楽にやってますよ。」と答えたのでござる。

隠者をやってるような人に柔軟に生きろと言われても説得力が無いのでござるが、孔子の返答も見事でござるな。拙者としては(史実ではなく、後世の創作と言われているが)老子と孔子の会見をぜひ見てみたかったと思う次第でござる。

憲問第十四の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 憲問第十四を英訳を見て下され。

孔子の論語 憲問第十四の四十 是其の不可なることを知りて而もこれを為す者か

孔子の論語の翻訳383回目、憲問第十四の四十でござる。

漢文
子路宿於石門、晨門曰、奚自、子路曰、自孔氏、是知其不可而爲之者與。

書き下し文
子路(しろ)、石門(せきもん)に宿る。晨門(しんもん)曰わく、奚(いず)れよりぞ。子路が曰わく、孔氏よりす。曰わく、是(これ)其の不可なることを知りて而(しか)もこれを為す者か。

英訳文
Zi Lu spent a night at the Stone Gate. A gatekeeper asked, “Where are you from?” Zi Lu replied, “I’m Confucius’ disciple.” The gatekeeper said, “A disciple of the person who is doing wasted efforts with knowing his ideal is impossible?”

現代語訳
子路(しろ)が石門で一夜を過ごしました。門番が子路に、
「どちらからおいでですか?」
と尋ねたので、子路は、
「孔先生の弟子だ。」
と答えました。すると門番は、
「あの無理と知りながら理想を追ってる人の弟子ですか。」
と言いました。

Translated by へいはちろう

この門番の言葉はなかなかに痛烈でござるな。老子も伝説では周の書庫の管理人をしていたということだし、当時の下役人には権門に近づいて理想を達成しようとする孔子のような人物には批判的な人間も多かったのかも知れないでござるな。

憲問第十四の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 憲問第十四を英訳を見て下され。