孔子の論語 子路第十三の二十一 狂者は進みて取り、狷者は為さざる所あり

孔子の論語の翻訳334回目、子路第十三の二十一でござる。

漢文
子曰、不得中行而與之、必也狂狷乎、狂者進取、狷者有所不爲也。

書き下し文
子曰わく、中行(ちゅうこう)を得てこれに与(くみ)せずんば、必ずや狂狷(きょうけん)か。狂者(きょうしゃ)は進みて取り、狷者(けんしゃ)は為さざる所あり。

英訳文
Confucius said, “If you cannot make friends with a person of the moderation, make friends with an idealist or a scrupulous person. An idealist adopts good deeds readily. A scrupulous person does not wrong.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「もし中庸の徳を心得た人物と交際ができなければ、狂者(きょうしゃ:理想家)か狷者(けんしゃ:頑固者)と交際すると良い。狂者は進んで善い事を受け入れるし、狷者は悪い事をしないからだ。」

Translated by へいはちろう

狂者は言うことばかり大きくて行動が伴わない人の事で、狷者は失敗をおそれるあまり何もできない人の事でござる。両方とも字にケモノヘンが含まれているとおり、本来は良い意味の言葉ではござらん。どちらも世間一般の感覚から外れた変わり者といった所でござろうか。

しかし孔子は世渡り上手ですぐ他人に迎合する様な人間こそ徳を乱すと考えて (郷原は徳の賊なり – 陽貨第十七の十三) 、それよりは例え世間からは理解されなくとも、大きな理想を追い求める狂者や自分の信念を頑固に守る狷者の方が良いと考えたのでござる。

逆説的に言えば、中庸の徳というのは世の中や他人に迎合するという意味ではないと言う事なのでござるが、自分で両者を区別するとなると難しくなってくるでござるな。

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