孔子の論語 泰伯第八の三 深淵に臨むが如く、薄冰を履むが如し

孔子の論語の翻訳190回目、泰伯第八の三でござる。

漢文
曾子有疾、召門弟子曰、啓予足、啓予手、詩云、戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰、而今而後、吾知免夫、小子。

書き下し文
曾子(そうし)、疾(やまい)あり。門弟(もんてい)子を召(よ)びて曰わく、予(わ)が足を啓(ひら)け、予が手を啓け。詩に云(い)う、戦戦兢兢(せんせんきょうきょう)として、深淵(しんえん)に臨(のぞ)むが如(ごと)く、薄冰(はくひょう)を履(ふ)むが如しと。而今(いま)よりして後(のち)、吾免(まぬが)るることを知るかな、小子(しょうし)。

英訳文
Zeng Zi had got a illness. He gathered his pupils and said, “Look over my arms and legs. Shi Jing says, ‘You must take good care of your body like you are looking at an abyss and walking on a thin ice.’ Now, I don’t need to worry about my body like that anymore, do I?”

現代語訳
曾子(そうし)が病になられました。そして弟子達を集めておっしゃいました、
「私の手を見てくれ、足を見てくれ。詩経にこういう言葉がある、”おそるおそる慎重に、深い淵を覗き込む時のように、薄い氷の上を歩く時のように (父母から授かった自分の体を大切にしなさい)”。 しかし今となってはその様な心配をする必要が無くなったのかも知れないな、お前たち。」

Translated by へいはちろう

曾子(Zeng Zi, 姓は曾、名は参、字は子與。詳細は里仁第四の十五に。)

孝経の著者である曾子ならではのお言葉でござるな、父母から授かった自分の体を今まで大事にしては来たが、死の床にあってようやくその体の役目も終わりになるのだなぁ、と感慨深くおっしゃったのでござろう。

孝経の中で孔子は曾子に対して、
「身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く、敢て毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」
(父母から授かった体を大事にする事は親孝行の第一歩である)
とおっしゃっているでござる。

別段難しい事を考える必要はなく、心配をする人がいるのだから「事故には気をつけましょう」と至極当たり前な事を敢えて言わせていただくでござる。それ以上の事を言う人はこの言葉の本質を見失っているかもしれないでござるな。

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孔子の論語 泰伯第八の二 恭にして礼なければ則ち労す

孔子の論語の翻訳189回目、泰伯第八の二でござる。

漢文
子曰、恭而無禮則勞、愼而無禮則子葸、勇而無禮則亂、直而無禮則絞、君子篤於親、則民興於仁、故舊不遺、則民不偸。

書き下し文
子曰わく、恭(きょう)にして礼なければ則(すなわ)ち労(ろう)す。慎(しん)にして礼なければ則ち葸(し)す。勇にして礼なければ則ち乱る。直(ちょく)にして礼なければ則ち絞(こう)す。君子、親(しん)に篤(あつ)ければ、則ち民(たみ)仁(じん)に興こる。故旧遺(こきゅうわす)れざれば、則ち民(たみ)偸(うす)からず。

英訳文
Confucius said, “Without manners: you will be tired even if you want to be reverent, you will be perverse even if you want to be prudent, you will be rough even if you want to be brave, and you will be incisive even if you want to be honest. If a monarch take good care of his relatives, people will be benevolent. If a monarch are kind to his old friends, people will be kind.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「もし恭しく振舞おうという気持ちがあっても礼儀作法を心得なければ骨が折れるだろう。もし慎重に行動しようとしても礼儀作法を心得なければ卑屈だと思われるだろう。もし勇気があっても礼儀作法を心得なければ乱暴者と呼ばれるだろう。もし正直たろうとしても礼儀作法を心得なければ辛辣な物言いになるだろう。もし君主が親戚に対して手厚く対すれば人々の心に仁が芽生えるだろう。もし君主が旧友を大切にすれば人々は親切になるだろう。」

Translated by へいはちろう

前半はなんのために礼儀作法があるのか、という根本的なお話でござるな。現代に生きる我々にしてみれば、「それが当たり前の礼儀だから」という感覚でしかなかったりするのでござるが、その当たり前とされる礼儀が無かったら一体どの様に相手に接して良いのか解らなくなってしまうでござるな。解り易くいえば外国にいったときに、その国の風習をまったく知らなければ思いがけず相手を不快にさせてしまうのと同じでござる。

つまり礼儀作法というのは相手に対する敬意を表すための共通のフォーマットなのでござる。英語学習ブログ的にいえば、言葉に拠らないコミュニケーションの手法でござるな。

しかし本来は自分の真心を誤解されずに伝えるための礼儀作法を、手段と目的を取り違えて用いる方が多いのは悲しいでござるな。英語をコミュニケーション手段としてではなく、進学や就職のために学ばされるのと同じでござる。これらが教養として求められる以上致し方ない事なのでござるが。いや礼儀作法も英語も学ぶきっかけは問わなくてもよいでござるな。しかし学び得たものをどう使うかはまた別の話になると思うのでござる。

老子はこの様に厳しく批判されているでござる。

「礼を重んじる人間は、自分がしている善い事を他人にも無理やりやらせようとする。~略~ とくに礼などというものは、人々から真心や信義が失われた後に作られたものであって、これこそが社会を乱すもとなのだ。 – 老子 第三十八章

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孔子の論語 泰伯第八の一 泰伯は其れ至徳と謂うべきのみ

孔子の論語の翻訳188回目、泰伯第八の一でござる。

漢文
子曰、泰伯其可謂至徳也已矣、三以天下譲、民無得而稱焉。

書き下し文
子曰わく、泰伯(たいはく)は其(そ)れ至徳(しとく)と謂(い)うべきのみ。三たび天下を以(もっ)て譲(ゆず)る。民(たみ)得(え)て称(しょう)すること無し。

英訳文
Confucius said, “Tai Bo had a great virtue. He refused the throne three times. But people didn’t know that and could not praise him.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「泰伯(たいはく)は至高の美徳を持っておられた。三度君位を辞退したが、人々がその事を知りその徳を称えることすらなかったのだ。」

Translated by へいはちろう

泰伯(たいはく:太伯とも書く、周の公子、呉の始祖。周の武王の曽祖父である古公亶父(ここうたんぽ)には泰伯をはじめ三人の子があったが、末弟の季歴の子(姫昌、後の文王)の時代に周は栄えると易に出たため、季歴に跡を継がせようと次弟の虞仲と共に荊蛮の地へ移って呉を興した。三度譲るとは以下の通り、古公亶父の葬儀に参列せず喪主を季歴に務めさせた、季歴が迎えに来たが固辞した、喪が明けて正式に季歴が位を継ぐと荊蛮の地の風習にあわせて髪を短く切り刺青を入れて二度と帰らぬ証明とした。)

まだこの時代には長子相続の風習はなくて(そもそも長子相続は儒学の影響が強い)、弟が跡を継ぐことなどは普通の事でござった。例えばほぼ同時代の殷の紂王も末弟で微子啓、微仲衍という二人の兄がいるのでござる。この二人の兄も殷滅亡後に宋に封じられてその始祖となっている点が泰伯に似ているでござるな。

孔子が泰伯を称賛するのは逆説的に孔子の時代の諸侯が跡継ぎ問題でお家騒動が絶えなかったからでござろう。それ故に孔子は君臣長幼の別を説いて身分秩序を定めようとなされたわけでござろうが、ここでも大切なのは譲り合いの精神だということでござるな。

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孔子の論語 述而第七の三十七 温にして厲し、威にして猛からず、恭にして安し

孔子の論語の翻訳187回目、述而第七の三十七でござる。

漢文
子温而厲、威而不猛、恭而安。

書き下し文
子は温(おだやか)にして厲(はげ)し、威(い)にして猛(たけ)からず。恭(きょう)にして安(やす)し。

英訳文
Confucius was mild and passionate, dignified but not rough, respectful and peaceful.

現代語訳
孔子は穏やかでありながら情熱的で、威厳がありながら粗暴な所が無く、恭しくありながら安らかであった。

Translated by へいはちろう

孔子の人柄についての評でござるな。

今回で述而第七は終了し、明日からは泰伯第八でござる。

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孔子の論語 述而第七の三十六 君子は坦かに蕩蕩(とうとう)たり

孔子の論語の翻訳186回目、述而第七の三十六でござる。

漢文
子曰、君子坦蕩蕩、小人長戚戚。

書き下し文
子曰わく、君子は坦(たいら)かに蕩蕩(とうとう)たり。小人は長(とこしな)えに戚戚(せきせき)たり。

英訳文
Confucius said, “Gentlemen are calm and peaceful. Worthless men are restless and nervous.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「人格者は穏やかでのんびりしている。取るに足らない人物は落ち着きが無く心配事が絶えない。」

Translated by へいはちろう

少し解釈を発展させると、人格者は要点を押さえて細かいことには拘らない、という事でござろうか。細かいことに拘って要点をないがしろにするより何倍もマシでござるな。

同じ様な感じで他人の細かい欠点を見つけてはお怒りになられる御仁が居られるようでござるが、いかがなものでござろうか?

真面目な人ほど他人にも真面目さを要求し、潔癖な人ほど他人にも潔癖さを要求する。要求がかなえられないと失望したり怒ったりもする。努力家の人はぐうたらな人を軽蔑し、勤勉な人は勉強嫌いな人を軽蔑する。

しかし人にとって最も大切な美徳は何でござろうか?別に人それぞれで良いのでござるが、孔子は仁(他人を思いやる気持ち)とおっしゃっているでござる。

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