学問のすすめ 二編 段落六 その一 日本国中にて明治の年号を奉ずる者は、今の政府の法に従うべしと条約を結びたる人民なり

学問のすすめの翻訳、二編 段落六 その一でござる。

現代語訳

 こういう風に言うとまるで百姓町人の肩を持って、彼らに対して思うがままに振る舞えと言っているように聞こえるかも知れないが、別の方向から見れば他にも言っておかなければならない事がある。

人間を取り扱う時には、その相手の人物次第で自ずからそれに応じた対応というものがある。もともと人民と政府の関係は、同じ権利を持つ者同士が、その役割を区別し、政府は人民の代わりに法律を制定し、人民はその法律を必ず守ると固く約束を交わしたものである。

例えば今、日本国内にいて明治の年号を認める人々は全て、今の政府に法律に従うという契約を結んだ人民である。だから一度国家の法律として定まった事は、例え一個人にとって不都合な事があったとしても、その法律が変わらない限り従わなければならない。注意深く慎んで、法を守るように努めなければならない。これが人民の義務である。

英訳文

This is an argument to support the commoners and encourage them to behave as they want. But I have to tell you one more thing from an alternative perspective.

When the government deal with the people, there are different treatments according to the cultural standard of the people. The government and its people have the same rights by nature. Then they have made the contract that the government makes laws instead of the people and the people must obey the laws.

For instance, the people who accept the name of Meiji period, are the people who have made the contract to obey the laws by the government today. So, after a law has been enacted, all the people must obey it until it is revised, if it is inconvenient for an individual. You must be careful and try hard to follow the laws. This is an obligation of the people.

Translated by へいはちろう

また少しだけ社会契約という考え方に触れているでござる。権利はすべての国民に平等に与えられたものであるが、同時に政府と結んだ社会契約により、法を遵守する義務を負うという事でござる。一応念のために言っておくと、権利と義務は対等の交換関係ではないので注意が必要でござる。まず権利が先にあり、その後に社会契約により義務を負うという順番なので誤解がないように。

例えば重大な罪を犯せば裁判により死刑になる可能性もある。その意味では権利は法の下に制限され得るが、裁判を受ける権利を失う事はないでござるな。裁判を受ける権利を保証するのは政府であり、まず先に政府が国民の権利を擁護する義務を負い、その後に国民が政府の定めた法に従う義務を負うという順番でござる。

この事を理解せずに例えば「権利の行使には義務が伴う」なんて言葉を安易に使うと、まあ確かに短く解りやすい言葉かも知れないでござるが大きな誤解を生じる可能性もあるので注意したいものでござる。

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学問のすすめ 二編 段落五 人たる者は常に同位同等の趣意を忘るべからず

学問のすすめの翻訳、二編 段落五でござる。

現代語訳

 この様な悪い慣習が広まった原因を探ってみると、その大元は人間は皆平等であるという大原則を理解せずに、貧富強弱といった上辺の有様をいいことに、強い政府が弱い人民の権利を妨害してきた事にある。だから人は皆平等の権利を持っているという事を忘れてはならない。これが人間の世界で最も大切な事である。西洋の言葉ではこれを「レシプロシチ (reciprocity)」とか「エクウヲリチ (equality)」と言う。初編の冒頭で私が言った、「全ての人間は平等」とはこの事である。

英訳文

The cause of such bad customs prevailed, was that they didn’t understand the principle that everyone is equal and the government abused its strength to its weak people and violated their rights. So you must not forget that everyone has equal rights. This is the most important thing in the human society. In the western words, it is called “reciprocity” or “equality”. This is what I said, “everyone is equal”, in the beginning of the first chapter.

Translated by へいはちろう

現代人の我々が普通に読むと、何度も同じ言葉を繰り返して少々しつこいくらいに感じるかも知れないでござるが、おそらく福沢諭吉の心境は切実だったのでござろうな。例えるならば地動説を主張したガリレオみたいな心境でござろうか。学問のすすめが書かれたのは明治に入ってからの事でござるが、それでも江戸時代の身分制度の影響が人々の間に色濃く残ってる事は福沢が自伝で言及しているでござる。

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学問のすすめ 二編 段落四 その二 法を設て人民を保護するは、もと政府の商売柄にて当然の職分なり

学問のすすめの翻訳、二編 段落四 その二でござる。

現代語訳

それなのに幕府の治世では、政府の事を「御上様」と呼んで、御上の御用という事であれば、やたらとその威光を振りかざすだけに留まらず、道中の宿屋でもただ食いしたり、渡し場でも渡し賃を払わず、労働者に賃金も与えず、ひどい時には御用を受け持つ侍が労働者をゆすって酒代をたかったりまでしていた。言語道断である。

あるいは殿様の思い付きで建物を建てたり、役人が勝手に余計な事をしたりして、無駄に金を使って資金が不足すれば、いろいろと言葉を飾り立てて年貢を増やし、御用金という名の税金を取り立て、これを「御恩に報いる」などと言う。

だいたい御恩とは何を指して言うのか。百姓や町人が安心して家業を営み、盗賊や人殺しの心配をせずに生活できる事を、政府の御恩と言っているのである。確かに人民が安心して生活できるのは政府が法律を定めているからではあるが、法律を定めて人民を保護する事は、もともと政府の商売であり当然の義務である。これを御恩などと呼んではいけない。

政府がもし人民の生活を守る事を御恩と呼ぶのならば、百姓や町人は政府に対して年貢や税金を払っている事を御恩と呼ぶべきである。政府がもし人民の訴訟を「御上の迷惑」と呼ぶのならば、人民の方でも「十俵作った米のうちから五俵の年貢を取られる事は、百姓にとって大変な迷惑です」と言ってやるべきである。

しかしこのように売り言葉に買い言葉を返していてはキリがない。ともかく、お互いに等しく恩恵を受けているという間柄であれば、一方からだけ礼を言って、もう一方より礼を言わないというのは理屈に合わない事なのだ。

英訳文

However, in the Edo period, the people called the government “the lord”. When it came to the lord’s business, samurais were not only arrogant. They rode river ferries and hired manual workers without paying a penny. Moreover, some samurais sponged on the workers for money to drink. It’s outrageous, isn’t it?

And, when feudal lords built a building on a whim or the government officials did needless things and then they got short of funds senselessly, they imposed more taxes on the people by flowery words. They called this “repaying the debt to the country”.

So, what is “the debt to the country”? They said it was a debt that the people could live peacefully without being worried about robbers and murderers. Of course, the people can live peacefully thanks to the laws by their government. But it is the government’s business to make laws and protect its people. They are obligations of the government, not the people’s debt.

If the government call the protection to its people a “debt”, the people also should call their taxes a debt. If the government call lawsuits by the people its nuisances, the people also should say, “it is a big nuisance for farmers that the government imposes 50 percent tax on our rice crop.”

But this is like “one ill word asks another” and there is no end. Anyhow, if they are in a relationship to help each other, there is no reason that one should thank the other unilaterally.

Translated by へいはちろう

自伝の中で「門閥制度は親の敵」とまで言ってる福沢諭吉は武士に対しても一切の容赦がないでござるな。拙者自身も含め、時代劇や時代小説などが好きな御仁は武士に対して「清廉潔白」だとか「忠義に厚い」とかいったイメージを漠然と持っている方も多いと思うのでござるが、これはある意味では正しく、ある意味では完全に誤りでござる。

時代が違えば価値観も違うと言ってしまえばそれまででござるが、福沢がここで指摘しているような事は慣習として平気で行われていたのでござろう。時代劇では悪者だけが賄賂を受け取っているように描かれるでござるが、当時賄賂は今でいう手数料のような感覚で多くの人々の間でやり取りされていたのでござる。悪いとされるのは法外な額の賄賂を要求したりした場合で、それ以外は賄賂を支払わない事の方がむしろ非常識とさえされていたでござるよ。

そういう事を踏まえたうえで今回の文を読むと、福沢諭吉がまったく新しい価値観を広めるためにいかに苦心したか良く解るような気がするでござるな。

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学問のすすめ 二編 段落四 その一 是即ち政府と人民との約束なり

学問のすすめの翻訳、二編 段落四 その一でござる。

現代語訳

 これは士族と平民を一人づつ見た場合の不公平さなのだが、これを政府と人民との関係で見てみるともっとひどい事がある。かつて幕府はもちろんの事、全ての大名の領地にもそれぞれ小さな政府を立てて、百姓や町人を勝手に取り扱っていた。時には慈悲があるように見える事もするけれども、実際には領民が生まれ持っているはずの権利を認める事はなく、見るに堪えない事も多かった。

そもそも政府と人民との関係は、前にも言った通り、ただ強いか弱いかの違いがあるだけで、権利の観点からはまったく同じである。百姓は米を作って人を養い、町人は物を売買して世の中の役に立っている。これが百姓や町人の商売である。

これに対し政府は法律を作って悪人を罰して善人の生活を守る。これが政府の商売である。この商売をするには莫大な経費が必要となるけれども、政府には米も金もないので、百姓や町人から年貢や税金を払ってもらって政府の財政を賄おうという事で、お互いに相談しあって約束を取り決めたのだ。これが政府と人民との約束である。

だから百姓や町人は年貢や税金を払って法律を守ってさえいれば、その義務を十分に果たしていると言える。政府は集めた年貢や税金を正しく使用し、人民の生活を守りさえすれば、その義務を十分に果たしていると言える。こうしてお互いがそれぞれの義務を果たして約束を破る事がなければ、これ以上何も言う必要もないはずであり、それぞれが自分の権利を主張して、それを妨害する理由もない。

英訳文

These are the unfairness between samurais and commoners. But between the government and the people, there were more ugly things. Needless to say about the shogunate, each feudal lord had his small government and treated its people selfishly. Sometimes, they showed mercy to their people. But actually, they never admitted that the people have their rights, and there were a lot of ugly things.

In the first place, between the government and the people, as I said before, there is only the difference of power and no difference of rights. Farmers feed people by making rice and merchants help people by trading goods. These are their business.

The government protect its people by making laws and punishing criminals. This is the government’s business. Although this business needs a lot of money, it cannot make rice or money by itself. So the government and the people discussed each other and made the agreement that the people pay taxes to support the government finances. This is the contract between the government and the people.

Therefore, if the people pay taxes and obey the law, they are fulfilling their duties enough. If the government uses the taxes properly and protects its people, it is fulfilling its duties enough. Because both of them are fulfilling their own duties, they should not require each other any more. Both of them can assert one’s rights and there is no reason to violate the rights.

Translated by へいはちろう

今回はいわゆる社会契約という考え方のお話でござるな。社会契約的な考え方自体は古くはギリシャ哲学にも垣間見られるのでござるが、もちろんここではホッブスやジョン・ロックやルソーなどに連なる近代的社会契約説を前提としているのでござろう。

ここで重要なのは政府と人民の関係をそれまでの支配・被支配ではなく、対等な契約関係として扱っている事でござる。この事が当時の人々にとってどれほど画期的で衝撃的であったか想像すると感嘆を禁じ得ないでござるが、同時に当時の読者のうちどれほどの人々が正しく理解していたのかについても疑問が生じるでござるな。

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学問のすすめ 二編 段落三 平民の生命は我生命に非ずして借物に異ならず

学問のすすめの翻訳、二編 段落三でござる。

現代語訳

 またこの事を世の中に当てはめてみよう。旧幕府の時代には侍と民衆の区別がはなはだしく、士族はいたずらに権威を振るって、百姓や町人をまるで罪人の様に見下していた。百姓町人から無礼を受けたら切り殺しても良いと言う切捨御免などの法もあった。この法によれば、彼ら平民の生命は自分のものではなく借り物みたいなものと言わざるを得ない。百姓町人は何の所縁もない侍に平身低頭し、外にあっては道を譲り、内にあっては席を譲り、さらにひどい事に自分の家で飼っている馬に乗ることさえ許されないという不便を強いられていた事はけしからぬ事ではないか。

英訳文

And let’s apply this argument to the society. In the Edo period, there were a lot of differences between samurais and commoners. Samurais were arrogant, treated commoners as if they were criminals, and looked them down. There was a law that allowed samurais kill commoners to defend their honor. According to the law, commoners’ lives were not theirs, they were no more than borrowed lives. They had to prostrate themselves to even relationless samurais, give their way outdoors and give up their seats indoors. What’s worse, they were not allowed to ride horses they owned. Such things are unforgivable, aren’t they?

Translated by へいはちろう

武士の特権の一つである切捨御免については時代劇などで知っている御仁も多かろうと思うのでござるが、実際にはそんな安易に切って捨てて良いという様なものでもなかったようでござるな。例えるならば、実際の警察官がTVドラマの刑事の様には銃を撃てないのと同じ様なものでござろうか。

ただしここで江戸時代の平民の立場に立ってみれば、ただ切られる可能性があるというだけでかなりの恐怖である事もまた事実でござろう。武士と一言で言っても様々で、食い詰めた浪人なんかに刀をもって脅されればおいそれとは逆らえない。福沢がここで「平民の命はまるで借り物」と言っているのもあながち的外れな表現ではないのでござろうな。

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