学問のすすめの翻訳、三編 段落三 そのニでござる。
現代語訳
一つの国家に人々を支配するほどの才徳を備えた者は、千人の内に一人しかいない。もし仮に人口百万人の国があったとして、この内の千人が智者で、残りのおよそ九十九万人が無知な民衆だったとする。智者の才徳をもって民衆を支配し、時に我が子のように愛し、時に羊のように養い、時には脅し、時にはなだめて、恩威共に行われて、その行く先を示せば民衆もよく解らないまま上の命令に従い、盗賊や人殺しなども起きず、国内が無事に治まるかも知れない。
しかしこれは結果として国家の人民を主人と客の二種類に分けてしまう。主人は千人の智者であり、自分の良いように国を支配しているが、残りの者たちは国の事など何も知らない客人である。客人という立場ならばもとより心配事も少なく、ただ主人に頼り切って身に背負う責任もないので、国を思う気持ちも主人ほど真剣にはならないのも当然で、まるで他人事である。
国内だけの事ならそれでも良いかも知れないが、もし外国との戦争などの大事が起きたら、それがどんなに不都合な事であるか想像してみると良い。無知にして無力な民衆は、裏切って敵となる事はないだろうけれども、自分たちは所詮客だからと、命を懸けてまで戦う事は無いと逃げ出す者が多く出るだろう。そうなったらたとえ人口が百万人いたとしても、国を守るために戦う人数ははなはだ少なく、とても一国の独立を維持する事など出来はしない。
英訳文
In a thousand people, there is only one person who has ability and virtue to rule a country. If there were a country with a million people, a thousand would be wise people and the other about nine hundred and ninety thousand would be ignorant people. If the wise people ruled the ignorant people with ability and virtue, loved them as if they were children, shepherd them as if they were sheep, threatened and tamed them, and led them; the ignorant people would obey the wise people without thinking, would not commit a crime and the country might be kept in peace.
But in this way, the people would be separated into hosts and guests. The hosts were the wise people and they would rule the country as they wished. The others were the guests who knew nothing. As guests, they would rely on hosts, would not take responsibility and would not care about the country’s matter as if it were none of their business.
Within the country, this might not be a problem. But If a war with a foreign country occurred, this should be a big problem. Although those ignorant people would not turn traitors, a lot of them would think guests didn’t need sacrifice their lives to the country and they would run away. If so, even though the country had a million people, there were a very few people who fought for the country and it could not maintain its independence.
Translated by へいはちろう
当時の日本の政治の最大の関心事はおおまかに言って、「迫りくる欧米列強の脅威に対して日本が独立を維持できるか否か」という事でござった。江戸時代末期は朱子学の影響を受けた人々が尊皇攘夷を声高に主張して主流派を形成していたものの、薩英戦争などを経て次第に現実路線へと傾き、明治維新後は文明開化と富国強兵が政府の二大路線となるのでござる。
しかし科学文明や統治制度などといったハードウェアの部分で西洋の手法を取り入れても、長年培った儒学的な精神文化というソフトウェアの部分を西洋化する事に抵抗を感じる人はまだ多く、福沢諭吉が最も苦労したのがこの点でござった。
もちろん何でもかんでも西洋化すれば良いという事ではないのでござるが、福沢が主張しているのは封建国家から国民国家へと生まれ変わるために避けて通れない部分についてでござるな。
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