孔子の論語の翻訳295回目、顔淵第十二の六でござる。
漢文
子張問明、子曰、浸潤之譖、膚受之愬、不行焉、可謂明也已矣、浸潤之譖、膚受之愬、不行焉、可謂遠也已矣。
書き下し文
子張(しちょう)、明(めい)を問う。子曰わく、浸潤(しんじゅん)の譖(そしり)、膚受(ふじゅ)の愬(うったえ)、行なわれざる、明なりと謂(い)うべきのみ。浸潤の譖、膚受の愬、行なわれざる、遠しと謂うべきのみ。
英訳文
Zi Zhang asked about intelligence. Confucius replied, “If you can ignore a repeated slander and a false accusation against an innocent person, you are intelligent. If you can do that, you can also foresee many things.”
現代語訳
子張(しちょう)が聡明さという事について尋ねました。孔子は、
「繰り返されて心に染み込んでいくような誹謗中傷や真実味があり肌身に感じられるような事実無根の訴えを、敢然として無視できるならば聡明といえるだろう。またそのような人物は多くのものを見通すことができるだろう。」
と答えられました。
Translated by へいはちろう
子張(しちょう:姓は顓孫、名は師、字は子張。詳細は公冶長第五の十九に。)
「嘘も繰り返せば真実となる。」とはナチスドイツの宣伝相ゲッベルスが言った言葉でござるが、残念ながらこれは人間社会の真理でござるな。
歴史を見れば民衆に好かれるような英雄の逸話がいつのまにか真実として人々に信じられるようになったり、逆に悪人とされる人物の悪行が誇張されて人々に信じられるようになったりするように、人々に望まれる虚構は事実として受け入れられ易いものでござる。
またそれらの人々を愚かと決めつけ、虚構に対して単純に理屈でもって対応しているうちは人々の説得は無理でござろう。人々に理屈を理解させることはできても、それだけでは人々の感情を説得できないからでござる。
「理屈は解るが納得はできない」、なんてことは誰にでも身におぼえがあることでござる。
それはさておき、ときどき自分が賢いなどと自惚れがちな拙者のような愚か者にとっては、目と耳と口をふさいでしまうのが一番てっとり早いという単純さ。
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