ちょんまげ翻訳 和英」カテゴリーアーカイブ

孔子の論語 顔淵第十二の十六 君子は人の美を成す、人の悪を成さず

孔子の論語の翻訳305回目、顔淵第十二の十六でござる。

漢文
子曰、君子成人之美、不成人之惡、小人反是。

書き下し文
子曰わく、君子は人の美を成す。人の悪を成さず。小人(しょうじん)は是(これ)に反す。

英訳文
Confucius said, “A gentleman should encourage good deeds and discourage bad deeds. A worthless man opposes it.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「人格者たるもの人の善行・美点を励まし、悪行・欠点を正すものだ。取るに足らない人物はこれと反対のことをする。」

Translated by へいはちろう

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孔子の論語 顔淵第十二の十五 博く文を学びて、これを約するに礼を以てせば、亦以て畔かざるべきか

孔子の論語の翻訳304回目、顔淵第十二の十五でござる。

漢文
子曰、君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫。

書き下し文
子曰わく、君子、博(ひろ)く文(ぶん)を学びて、これを約(やく)するに礼を以(もっ)てせば、亦(また)以て畔(そむ)かざるべきか。

英訳文
Confucius said, “If gentlemen learned extensively and behave with due courtesy, they never stray from the right path.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「もしも人々が博く学び、行動するにあたって礼に配慮すれば、彼らは決して正道を踏み外すことは無い。」

Translated by へいはちろう

雍也第六の二十七に同じ文が出ているでござるな。

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孔子の論語 顔淵第十二の十四 これに居りては倦むこと無く、これを行うには忠を以てす

孔子の論語の翻訳303回目、顔淵第十二の十四でござる。

漢文
子張問政、子曰、居之無倦、行之以忠。

書き下し文
子張(しちょう)、政(まつりごと)を問う。子曰わく、これに居(お)りては倦(う)むこと無く、これを行うには忠を以(もっ)てす。

英訳文
Zi Zhang asked about politics. Confucius replied, “If you take part in politics, you must concentrate on your duty tirelessly. You must govern the people faithfully.”

現代語訳
子張(しちょう)が政治について尋ねました。孔子は、
「政治に携わるなら職務に飽きることなく専念せねばならない。人々に対しては誠実さをもって統治せねばならない。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

子張(しちょう:姓は顓孫、名は師、字は子張。詳細は公冶長第五の十九に。)

別に実在の政治家を批判するわけではないのでござるが、人々の上に立つ人間が怠けたり中途で職務を投げ出したりするのは非常に迷惑な話でござる。人間社会が刻々と変化する以上、当初の計画より微調整を行わなければならないにせよ、まずやりきってから後任に評価や判断を委ねるのが筋というもの。

しかし存命中の方はともかくそろそろ昭和期の政治家たちの業績に対して評価が行われても良い頃だと思うのでござるが、2世議員やらなにやら周辺や反対勢力が政治に影響力を持っている間は難しいでござろうな。拙者は政治よりも歴史が好きなので単純に残念でござる。

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孔子の論語 顔淵第十二の十三 訟を聴くは、吾猶お人のごときなり。必ずや訟え無からしめんか

孔子の論語の翻訳302回目、顔淵第十二の十三でござる。

漢文
子曰、聽訟吾猶人也、必也使無訟乎。

書き下し文
子曰わく、訟(うったえ)を聴くは、吾(われ)猶(な)お人のごときなり。必ずや訟え無からしめんか。

英訳文
Confucius said, “I can judge a case as well as others. But I would rather reduce cases.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私とて人並みに訴訟を裁くことができるであろうが、それよりは訴訟自体を減らしたいと思う。」

Translated by へいはちろう

前回は子路の訴訟を裁くさまを褒めていたのでござるが、孔子は魯の司寇(警察・司法責任者)を務めてもいたことから、根本的な治安向上には人々を教化することだと考えていたのでござろう。

学校などのなかった時代には西洋では教会、日本では神社や寺院がその役目が負っていたわけでござるが、要するに信仰を利用して人々にモラルを教えていたわけでござる。

孔子の教えを宗教と捉えるか学問と捉えるかは人それぞれで良いと思うのでござるが、当時の人々に対しては中国古来よりの祖霊信仰を利用して「孝」と「礼」の価値観を人々に植え付けて、その元となる「仁」を人々が実践することによって社会は安定する。というのが孔子の目的でござった。

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孔子の論語 顔淵第十二の十二 片言以て獄を折むべき者は、其れ由なるか

孔子の論語の翻訳301回目、顔淵第十二の十二でござる。

漢文
子曰、片言可以折獄者、其由也與、子路無宿諾。

書き下し文
子曰わく、片言(へんげん)以て獄(うったえ)を折(さだ)むべき者は、其(そ)れ由(ゆう)なるか。子路(しろ)、諾(だく)を宿(とど)むること無し。

英訳文
Confucius said, “Only Zi Lu can judge a case by hearing a part of an accusation. He always executes things he undertook immediately.

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「訴訟の一部だけを聞いて正しい判決を下す事ができるのは子路(しろ)ぐらいなものだな。彼は物事を一度引き受ければすぐに実行する。」

Translated by へいはちろう

子路(しろ:季路とも言う。姓は仲、名は由、字は子路。詳細は公冶長第五の七に。)

法治主義が徹底された現代においてはこのような個人の資質に大きく左右されるような裁判システムは言語道断なのでござるが、同時にいつの世でも悪事に対する裁判は即断即決を求めるのが民衆心理であることも事実でござるな。

拙者は時代劇が大好きなのでござるが、時代劇の解り易い勧善懲悪が人々に好まれるのは、正しい事は正しい、悪い事は悪いとバッサリと切り捨てる爽快さにあるのでござろう。

まもなく裁判員制度がはじまって、もしかしたら拙者も人の罪を裁くにあたって意見を言う立場に立たされるやも知れぬでござるが、その時は粛々と自分の思うところを言わせていただくつもりでござる。もちろん人の身で人を裁くことに恐れがないかといえばあるのでござるが、法治国家で刑罰がある以上誰かがやらねばならない事でござるし、この制度は多くの国民が望む裁判の時間短縮に寄与するので是非もないことなのでござる。

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