孔子の論語 顔淵第十二の十二 片言以て獄を折むべき者は、其れ由なるか

孔子の論語の翻訳301回目、顔淵第十二の十二でござる。

漢文
子曰、片言可以折獄者、其由也與、子路無宿諾。

書き下し文
子曰わく、片言(へんげん)以て獄(うったえ)を折(さだ)むべき者は、其(そ)れ由(ゆう)なるか。子路(しろ)、諾(だく)を宿(とど)むること無し。

英訳文
Confucius said, “Only Zi Lu can judge a case by hearing a part of an accusation. He always executes things he undertook immediately.

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「訴訟の一部だけを聞いて正しい判決を下す事ができるのは子路(しろ)ぐらいなものだな。彼は物事を一度引き受ければすぐに実行する。」

Translated by へいはちろう

子路(しろ:季路とも言う。姓は仲、名は由、字は子路。詳細は公冶長第五の七に。)

法治主義が徹底された現代においてはこのような個人の資質に大きく左右されるような裁判システムは言語道断なのでござるが、同時にいつの世でも悪事に対する裁判は即断即決を求めるのが民衆心理であることも事実でござるな。

拙者は時代劇が大好きなのでござるが、時代劇の解り易い勧善懲悪が人々に好まれるのは、正しい事は正しい、悪い事は悪いとバッサリと切り捨てる爽快さにあるのでござろう。

まもなく裁判員制度がはじまって、もしかしたら拙者も人の罪を裁くにあたって意見を言う立場に立たされるやも知れぬでござるが、その時は粛々と自分の思うところを言わせていただくつもりでござる。もちろん人の身で人を裁くことに恐れがないかといえばあるのでござるが、法治国家で刑罰がある以上誰かがやらねばならない事でござるし、この制度は多くの国民が望む裁判の時間短縮に寄与するので是非もないことなのでござる。

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