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十七条憲法を翻訳 十六に曰く

聖徳太子による十七条憲法の翻訳、第十六条でござる。

原文
十六曰、使民以時、古之良典。故冬月有間、以可使民。從春至秋、農桑之節。不可使民。其不農何食。不桑何服。

書き下し文
十六に曰く、民を使うに時を以(も)ってするは、古(いにしえ)の良き典(のり)なり。故に、冬の月に間(いとま)あらば、以って民を使うべし。春より秋に至るまでは、農桑(のうそう)の節(とき)なり。民を使うべからず。それ農(たつく)らずば何をか食らわん。桑(くわと)らずば何をか服(き)ん。

英訳文
When you employ the people for public duties, you must consider seasons. This is the good rule from ancient times. Therefore you should employ them in winter while they are at leisure. From spring to autumn, they are engaged in agriculture and sericulture. You should not employ the people. If they do not cultivate fields, what can we eat? If they do not raise silkworms, what can we wear?

現代語訳
時節を選んで民衆を使役するのは、古くからの良いしきたりである。だから冬の間の手が空く時に、民衆を使役するようにしなさい。春から秋にかけては、農耕や養蚕をしなければならないから、民衆を使役してはならない。彼らが農耕をしなければ我々は一体何を食べるというのか。養蚕をしなければ我々は一体何を着るというのか。

Translated by へいはちろう

“民を使うに時を以ってす” は論語 学而第一の五にもある言葉でござるな。ただしこれは儒学的というよりは為政者としては当然しなければならない配慮でござろう。

しかしその当然の配慮が実際の政治でちゃんと守られるかどうかといえば別の話であるみたいで、九州沿岸部の防衛のために徴兵された防人(さきもり)など時節を考えぬ農民の使役の例は枚挙にいとまがない。そもそも聖徳太子の時代(602年の春二月)にも新羅征討を理由として太子の弟の来目皇子を将軍として2万5千の兵が筑紫に集められたと日本書紀に書いてあるので、他ならぬ太子自身が守れていないのでござる。十七条憲法の制定は604年でござるから、この時の反省を踏まえて今回の条文を加えたという解釈もできるので、この事をもって太子を批判するつもりはないのでござるが、太子の目指した理想と太子の実際の政治との隔たりも注意して読むべきでござろう。

※全条文の英訳を読みたい方は聖徳太子の十七条憲法を英訳をご覧くだされ。

十七条憲法を翻訳 十五に曰く

聖徳太子による十七条憲法の翻訳、第十五条でござる。

第十五条

原文
十五曰、背私向公、是臣之道矣。凡人有私必有恨。有憾必非同、非同則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云、上下和諧、其亦是情歟。

書き下し文
十五に曰く、私(わたくし)に背(そむ)きて公(おおやけ)に向うは、これ臣の道なり。およそ人、私あれば必ず恨(うらみ)あり、憾(うらみ)あれば必ず同(ととのお)らず。同らざれば則(すなわ)ち私をもって公を妨(さまた)ぐ。憾起こるときは則ち制に違(たが)い法を害(やぶ)る。故に、初めの章に云(い)わく、上下和諧(わかい)せよ。それまたこの情(こころ)なるか。

英訳文
The way of vassals is to concentrate on official duties without one’s own desire. If you do your duties with your desire, there will be a grudge. If there is a grudge, there will be discord. If there is discord, it will obstruct official duties. Then if there is a grudge, it will ruin the official system and laws. Therefore as I said in article 1, “Superiors and inferiors must cooperate together.”

現代語訳
私情を捨てて公務に向かうのは、臣下たる者の道である。どんな人間でも私情から他人を恨むようになり、恨みの気持ちがあれば人の和を乱すことになる。人の和が乱れていれば私情によって公務に弊害を及ぼす。また恨みの気持ちから規則や法を破る者もでてくる。私が第一条で上の者も下の者も互いに仲良くせよと言っているのは、こう言った事なのである。

Translated by へいはちろう

韓非子の五蠹篇では「”私” という字は古くは “ム(私的に囲む)” という形であり、それに背くという意味の “八” を足すと “公” になる、つまり公私は相反する概念であり両立しない。」と説かれているでござる。その事から今回の条文は韓非子の影響を受けていると言われるのでござるが、第十一条の時と同じく問題の解決を臣下のモラルに求めるところに理想家としての太子と現実主義者の韓非子の違いが見えるようでござるな。

もちろん太子のおっしゃる事は至極まともな事だと思うのでござるが、同時に官吏たちが互いに恨みの感情を持たないように、あるいは恨みの感情を持っても公務に影響を及ぼさないように対策を講じるのも為政者としては重要な事でござろう。仲良くしなさいの一言で兄弟喧嘩がなくなるのなら、世の親はどれだけ楽になることでござろうか。ゆえに重要なのは第十一条でも語られた信賞必罰という事になると思うのでござるが、そちらでも述べたとおり太子がその事についてどれほどの考えをもっていたのかは拙者には疑問の余地が残る次第でござる。

※全条文の英訳を読みたい方は聖徳太子の十七条憲法を英訳をご覧くだされ。

十七条憲法を翻訳 十四に曰く

聖徳太子による十七条憲法の翻訳、第十四条でござる。

原文
十四曰、群臣百寮、無有嫉妬。我既嫉人、々亦嫉我。嫉妬之患、不知其極。所以、智勝於己則不悦。才優於己則嫉妬。是以、五百之乃今遇賢。千載以難待一聖。其不得賢聖。何以治國。

書き下し文
十四に曰く、群臣百寮(ぐんしんひゃくりょう)、嫉妬(しっと)有ること無かれ。我既に人を嫉(うらや)むときは、人また我を嫉む。嫉妬の患(うれ)え、その極(きわまり)を知らず。ゆえに、智(ち)おのれに勝るときは則(すなわ)ち悦(よろこ)ばず。才おのれに優(まさ)るときは則ち嫉妬(ねた)む。ここを以(も)って、五百(いおとせ)にしていまし賢に遇(あ)うとも、千載(せんざい)にして以ってひとりの聖を持つことに難(かた)し。それ賢聖を得ずば、何をもってか国を治めん。

英訳文
All vassals and public officers must not envy others. When you envy others, they also envy you. The evils of envy have no limit. If someone excels you in intelligence, you will be displeased. If someone excels you in talent, you will envy the person. Therefore, we cannot obtain a saint even after 1000 years, though we meet a sage who appears every 500 years. Without a saint and sages, how can we govern the country?

現代語訳
朝廷に仕える官吏たちは、嫉妬の心を抱く事がないようにしなさい。自分が他人を嫉むという事は、自分も他人から嫉まれるという事である。嫉妬が人間関係に与える弊害はとどまる所を知らない。自分よりも賢い人がいれば不愉快に思い、自分よりも才能豊かな人がいれば嫉妬する。そんな事では500年に一度現れるという賢人に会ったとしてもその人を認めず、我々は1000年経っても聖人を得ることは難しいであろう。聖人や賢人を人材として得られなければ、どうやって国を治めていけばよいのか。

Translated by へいはちろう

第四条では人間関係の和を保つために礼を行動の基本に据えよと説いていたのでござるが、ここではより内面的な部分に踏み込んだ内容でござるな。

もとより太子が目指していた官僚制とはいわば能力あるいは人格重視の階級社会でござるから、その弊害として階級社会に慣れていない人々の嫉妬心を助長するという側面もあったのでござろう。太子が小野妹子など身分の低いものを能力によって抜擢すれば、有力豪族たちから反発が起きるのも不思議な事ではござらんな。その反発を抑える、あるいはなだめるために嫉妬の弊害と、有能な人材を抜擢する必要性を説いたのだと思う次第でござる。

“五百にしていまし賢に遇うとも” の部分は、儒学で聖王とみなされている周の文王(BC1152年-BC1056年)から約500年後に孔子(BC551年-BC479年)が出たことから、500年に一度聖人が現れると考えられていた事(孟子 盡心篇)を受けてのものだと解釈されているでござる。たとえ聖人が現れてもその才能を嫉んで妨害するような事があれば、その才能も活躍する場を得られないという事でござるな。

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十七条憲法を翻訳 十三に曰く

聖徳太子による十七条憲法の翻訳、第十三条でござる。

原文
十三曰、諸任官者、同知職掌。或病或使、有闕於事。然得知之日、和如曾識。其以非與聞、勿防公務。

書き下し文
十三に曰く、諸(もろもろ)の官に任ぜる者、同じく職掌(しょくしょう)を知れ。或(ある)いは病し、或いは使(つかい)して、事を闕(おこた)ることあらん。然(しか)れども知ることを得る日には、和(あまな)うこと曽(かつ)てより識(し)れるが如(ごと)くせよ。それを与(あずか)り聞かずということを以(も)って、公務を妨(さまた)ぐることなかれ。

英訳文
All officers entrusted with government affairs must understand all your duties. Your work may sometimes be interrupted due to your illness or missions. But when you come back to the office, understand what you should do as if you had known it. And do not obstruct government affairs for the reason that you do not know it.

現代語訳
官職に任じられた者たちは、自分の職務をよく理解しなさい。病気になったり、出張をしたりして、職場を離れる事もあるだろう。しかし再び職務に戻った時には、以前よりも熟知しているかのように遅れを取り戻しなさい。職場に居なかった間の事は知らないと言って、公務を停滞させてはならない。

Translated by へいはちろう

官吏たちの職務態度に関する条文でござるな。こういう文章を見るとなんとなくさぞかし当時の官吏たちは職務怠慢であったであろうと思ってしまうのでござるが、そもそも当時は官僚制自体が導入されたばかりだと言う事を忘れてはならないでござるな。もちろん官僚制に代わる政治制度はあったのでござろうが、それを官僚制の価値基準ではかることはできないでござろう。

日本は明治維新以来、聖徳太子がはるか昔に目指していたような官僚制による中央集権体制が敷かれているので、十七条憲法を読むときにはついつい時代感覚というものを見失いがちになってしまうのでござる。しかし太子以前の豪族政治や、明治維新以前の武家政治を考慮せずに現代の物差しのみをもって十七条憲法を読むのは、正直もったいないと思う所存でござる。

今回の条文はどのような政治体制でも通用する内容だと思うので、決してその内容にケチをつけるつもりはないのでござるが、自分に対する戒めとして時代感覚を見失わないようにしたいと思う次第でござる。

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十七条憲法を翻訳 十二に曰く

聖徳太子による十七条憲法の翻訳、第十二条でござる。

原文
十二曰、國司國造、勿斂百姓。國非二君、民無兩主。率土兆民、以王爲主。所任官司、皆是王臣。何敢與公、賦斂百姓。

書き下し文
十二に曰く、国司(くにのみこともち)、国造(くにのみやつこ)、百姓(ひゃくせい)に斂(おさ)めとることなかれ。国に二君(にくん)なく、民に両主(りょうしゅ)無し。率徒(そつど)の兆民(ちょうみん)は王を以(も)って主(あるじ)となす。任ずる所の官司(かんじ)はみなこれ王の臣なり。何ぞ敢(あ)えて公と与(とも)に、百姓に賦斂(おさめと)らん。

英訳文
The prefects and governors must not impose taxes on people without leave. In this country, there are not two monarchs. The people cannot have two lords. The emperor is the unique sovereign of the people of the whole country. The public officers whom he appointed are all his vassals. How can they impose a tax except official taxes by the emperor?

現代語訳
地方を治める長官たちは、民衆に対して勝手に課税してはならない。国に二人の君主はおらず、民衆にも二人の主はいない。この国に暮らす全ての民衆にとって主は天皇ただ一人である。天皇が任命する地方官はみなその臣下である。どうして天皇が定める税と一緒に、勝手な税を取り立てる事ができようか。

Translated by へいはちろう

徴税権に関する規定でござるな。天皇を中心とした中央集権的な国家をつくろうとした聖徳太子ならではと言ったところでござるが、日本史に詳しい方は少なくとも徴税権に関しては太子の意志に反して中央集権的であった時代の方が地方分権的であった時代よりはるかに短いという事をご存知でござろう。太子の改革にはじまる律令制の導入によって一時的に中央集権制はすすんだものの、743年の墾田永年私財法によって中央政府の権限の及ばぬ荘園が成立し、その後の武家の台頭と幕府の成立を経て、明治維新によって1872年に廃藩置県が行われるまで中央政府は徴税権を掌握していないでござるな。

当時の人々にとってみれば、誰が徴税者であろうとより少ない税でより良いサービスを提供してくれる方がありがたいわけでござるから、今回の条文を読んだだけで内容の是非は判断できないでござろう。当時の地方政治の実態の研究が進むのを待って判断したいでござる。

なお余談でござるが、今回の原文には “王” という呼称が使われているのでござるが、英訳では “emperor”、現代語訳では “天皇” の訳語をあてているでござる。天皇という呼称がいつの時代から公式に使われるようになったのかについては議論があるところでござろうが、理解を易しくするために上記のように統一する事にした次第でござる。また十七条憲法が法文の一種であることを考慮し、英訳で “His Majesty” などの敬語表現を用いたり、現代語訳でも特別な敬語を使っていないのであしからずご了承くだされ。

※全条文の英訳を読みたい方は聖徳太子の十七条憲法を英訳をご覧くだされ。