聖徳太子による十七条憲法の翻訳、第六条でござる。
原文
六曰、懲惡勸善、古之良典。是以无匿人善、見悪必匡。其諂詐者、則爲覆国家之利器、爲絶人民之鋒劔。亦佞媚者、對上則好説下過、逢下則誹謗上失。其如此人、皆无忠於君、无仁於民。是大亂之本也。
書き下し文
六に曰く、悪を懲(こら)し善を勧(すす)むるは、古(いにしえ)の良き典(のり)なり。ここを以(も)って人の善を匿(かく)すことなく、悪を見ては必ず匡(ただ)せ。其(そ)れ諂(へつら)い詐(あざむ)く者は、則(すなわ)ち国家を覆(くつがえ)す利器(りき)たり、人民を絶つ鋒剣(ほうけん)たり。また佞(かたま)しく媚(こ)ぶる者は、上(かみ)に対しては則ち好んで下(しも)の過(あやまち)を説き、下に逢(あ)いては則ち上の失(あやまち)を誹謗(そし)る。それかくの如(ごと)きの人は、みな君に忠なく、民(たみ)に仁(じん)なし。これ大乱の本(もと)なり。
英訳文
Encourage the good and punish the evil. This is the good rule from ancient times. Therefore praise good deeds and correct evil deeds without fail. Flatterers and liars are effective tools to overthrow the country and are sharp swords to harm the people. Sycophants tell tales about inferiors to superiors and backbite about superiors to inferiors. People of this kind don’t have loyalty to their lord and don’t have love for the people. They are cause of a great confusion of the country.
現代語訳
悪を懲らしめ善を勧める事は、古くからの良いしきたりである。そこで人の善行を隠すことなく、悪行を見たら必ず正しなさい。他人にへつらって嘘を吐く者たちは、国家をくつがえす効果的な道具であり、民衆を傷つける鋭い剣である。また他人におもねり媚びる者たちは、目上に対しては目下の過失を言いつけ、目下に対しては目上の陰口を叩く。このような者たちは、君主に対しては忠誠の心を持たず、民衆に対しては仁愛の心を持たぬものだ。これらは国家の大きな乱れの原因となる。
Translated by へいはちろう
懲悪勧善(勧善懲悪)という言葉は、儒学の経典の一つで孔子の作といわれる歴史書の “春秋” の注釈書である “春秋左氏伝” の中で注釈者である左丘明が、孔子の文章を評して “懲悪而勧善。非聖人、誰能修之。 /(歴史書の短い文章の中でも)悪行を告発し、善行を称揚している。聖人以外の誰にできることであろうか。” と書いているのが原典でござる。
この原典の言葉からも解るように、悪を懲らしめ善を勧める事は凡人には意外と難しい事でござるな。拙者を含めおおかたの人間は、自分にとって都合の良い時だけ悪を非難し、善を称えるものでござる。自分が被害を受けたときに抗議し、恩を受けたら感謝するというのは、人間にとっては自然な事であろうと思うのでござるが、こういう自己中心的な考え方を懲悪勧善とは言わないでござろう。この条文に登場する他人に媚びへつらう者たちも、本人自身は悪気が無くむしろ良い事だと思っているかも知れない。サービス精神が過剰な人の場合はこういう事がよくあるかも知れないでござるな。
聖人と呼ばれる孔子でさえ、論語 八佾第三の十八で他人から “媚びへつらっている” と批判されている事を嘆いているでござるよ。このような事柄はよくよく考えて自戒の種とすべきでござろう。
※全条文の英訳を読みたい方は聖徳太子の十七条憲法を英訳をご覧くだされ。