聖徳太子による十七条憲法の翻訳、第十七条でござる。
原文
十七曰、夫事不可濁斷。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事、若疑有失。故與衆相辨、辭則得理。
書き下し文
十七に曰く、それ事(こと)は独り断(さだ)むべからず。必ず衆とともに宜しく論(あげつら)うべし。少事はこれを軽し。必ずしも衆とすべからず。ただ大事を論うに逮(およ)びては、もしは失(あやまち)有らんことを疑う。ゆえに衆とともに相弁(あいわきま)うるときは、辞(こと)則(すなわ)ち理を得ん。
英訳文
When you make an important decision, you must discuss with others. You may decide small matters alone. However, important matters should be discussed with others not to make an error. If you discuss with others, you will obtain a reasonable conclusion.
現代語訳
物事は一人で判断してはいけない。必ず他の者たちと一緒に議論して決めなさい。些細な事については、必ずしも他の者の意見を聞かなくても良い。しかし重要な事を議論して決める時には、過ちがあってはならない。他の者たちと相談して判断するならば、道理の通った結論が得られるであろう。
Translated by へいはちろう
話し合いで問題を解決するというのは日本の伝統的手法のような気がするでござるな。古事記や日本書紀などでも、神話に登場する神様たちは問題が起きれば集まって話し合いをする場面が何度か出てくるでござる。もちろん話し合いで問題が解決しなければ武力を用いることもあるし、大国主命の国譲りが話し合いの結果なのか単なる侵略なのか議論の分かれる所でござろうが、少なくとも体裁の上では話し合いを重んじているような描写が多いのも確かでござろう。これを逆説的に見るならば、太子の考え方が古事記や日本書紀の編纂に影響を与えたという可能性も無視できないのではないでござろうか。果たして卵が先か、鶏が先か。
とにもかくにも現代日本人である我々の多くは問題が起きれば、まず話し合いで解決するのが良い事だと特に何の疑問を抱く事なく考えているでござる。もちろん拙者もそのように考えているわけでござるが、どうしてそういう国民性になったのか考えてみるのも一興ではないでござろうか。小田原評定なんて言葉があるように、話し合いをすれば必ず名案が浮かぶという訳でもない。国境が言葉の通じぬ異民族に囲まれていれば、話し合いする前にまず武力が大切だという考え方が主流となるかも知れない。日本にだって武力が何よりもものを言う戦乱の時代がなかった訳でもない。一般的に国民性というのは経験則によって培われていくものだと思われるので、この事に一定の結論を得るには広範な日本史の知識が要求されるでござろう。もとより歴史好きな拙者にも一応の答えがないわけでもないでござるが、ここは結論を急がず問題を提起するにとどめておくでござる。
と言ったところで十七条憲法の翻訳及び解説をこれにて終了するでござる。原文・書き下し文・英訳文は2007年4月から5月にかけて作成したのでござるが、現代語訳及び解説は2011年7月に追加したものでござる。それに合わせて原文・書き下し文・英訳文にも若干の修正を施してあるのでその点ご了承くだされ。
※全条文の英訳を読みたい方は聖徳太子の十七条憲法を英訳をご覧くだされ。