孔子の論語 里仁第四の十四 位なきことを患えず、立つ所以を患う

 孔子の論語の翻訳80回目、里仁第四の十四でござる。

漢文
子曰、不患無位、患所以立、不患莫己知、求爲可知也。

書き下し文
子曰わく、位(くらい)なきことを患(うれ)えず、立つ所以(ゆえん)を患う。己を知ること莫(な)きを患えず、知らるべきことを為すを求む。

英訳文
Confucius said, “Don’t be worried about your low position. Consider how to get a higher position. Don’t be worried about your poor reputation. Consider how to get a good reputation.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「地位が低い事を思い悩むのならば、どうしたら高い地位を得られるか考えることだ。名声が無い事を思い悩むのならば、どうしたら名声が得られるのか考えることだ。」

Translated by へいはちろう

前にも同じ様な話をしたのでござるが、ご覧の通り儒学思想では地位や名声を求める事それ自体は悪い事とはしていないのでござる。

儒学全盛の漢の時代などは郷挙里選制のように地元での儒学的名声の高さが出世の前提になっていた程でござる。地方の有力者からの評判によって人材を推挙するこの制度は、結果的に地方豪族の権力を強め、また官位を金で売買すると言う政治腐敗をもたらして漢の滅亡の要因の一つになった事は歴史を知っている方ならばご存知でござろう。(末期には漢の霊帝すらも官位を金で売っていた)

郷挙里選制はもともと清廉な人材を登用するために採用されたのでござるが、最大の前提として「選ぶ側の清廉さ」が無ければ成り立たないのは少し考えれば解る事でござるな。それが皇帝自ら官位を売るようでは滅んで当然でござる。

魏の時代に入って九品官人法が採用され、隋・唐の時代に入って能力重視の科挙が採用されたのでござるが、科挙の試験科目として儒学の知識が重視されていた事はとても考えさせられるでござる。

現代においても人を採用するにあたって能力と人間性のどちらを重視すべきかと議論になる事がしばしばあるのでござるが、 拙者は「選ぶ側の能力と人間性」が一番問題だと思うのでござる。

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孔子の論語 里仁第四の十三 能く礼譲を以て国を為めずんば、礼を如何せん

 孔子の論語の翻訳79回目、里仁第四の十三でござる。

漢文
子曰、能以禮讓爲國乎、何有、不能以禮讓爲國、如禮何。

書き下し文
子曰わく、能(よ)く礼譲(れいじょう)を以(もっ)て国を為(おさ)めんか、何か有らん。能く礼譲を以て国を為めずんば、礼を如何(いかに)せん。

英訳文
Confucius said, “If the monarch governs his country with comity, the country will be at peace easily. The superficial courtesy without comity is meaningless.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「譲り合いの精神で統治すれば国家は簡単に治まるものだ。譲り合いの精神の欠けた形式的な礼儀などに何の意味があるだろうか。」

Translated by へいはちろう

後半はちょっと意訳させてもらったでござるが、礼譲とはお互いに敬意を持って尊重し合い譲り合う事でござる。孔子の説いた「礼」とはうわべだけのものでは無く、敬意を伴ったものでなければならないと言う事でござるな。

「~は礼儀がなっとらん!」と常日ごろからお怒り方は肝に命じられた方がよろしい。 相手に対する敬意なくして他人からの敬意は得られないものでござる。人から受ける無礼な振る舞いはもしかしたら貴方の心を映しているのかも知れない。

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孔子の論語 里仁第四の十二 利に放りて行えば、怨み多し

 孔子の論語の翻訳78回目、里仁第四の十二でござる。

漢文
子曰、放於利而行、多怨。

書き下し文
子曰わく、利に放(よ)りて行えば、怨(うら)み多し。

英訳文
Confucius said, “If you act for your own profits, you will be blamed by people.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「もし自分の利益のためだけに行動すれば、人々の恨みを買うだろう。」

Translated by へいはちろう

ここで言われている「利」とは自分自身のための利益の事でござるな。儒学では「利」を求める事を善しとはせず、「兼愛」による社会全体の利益を説いた墨家と激しく対立したのでござる。

儒家は自分の利益を求める「私利」を批判して、墨家は社会全体の利益である「公利(交利)」を主張していたのにも関わらず、なぜかお互い譲らなかったのでござる。

ちなみに拙者が頻繁に老荘思想、墨家、法家の思想や言葉を用いるのは、儒学を批判するのが目的では無く、儒学を理解する上での非常に重要なアンチテーゼと考えているからでござる。

確かに儒学の祖と言われるのは孔子でござるが、百家争鳴と呼ばれる先秦諸学派(春秋戦国時代の思想家たち)との激しい議論を経て、時には意見を吸収しながら儒学は成立したのでござる。

現存最古の論語注釈書であり三国時代以降の儒学に多大な影響を与えた「論語集解(古注)」の著者である魏の何晏(かあん)からして儒学者とは言い難く、「老子道徳論」も著して王弼(おうひつ)と共に老荘思想の大家としての評価も高いのでござる。

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孔子の論語 里仁第四の十一 君子徳を懐えば、小人は土を懐う。君子刑を懐えば、小人は恵を懐う。

 孔子の論語の翻訳77回目、里仁第四の十一でござる。

漢文
子曰、君子懷徳、小人懷土、君子懷刑、小人懷惠。

書き下し文
解釈1. 子曰わく、君子徳を懐(おも)えば、小人は土(ど)を懐う。君子刑を懐えば、小人は恵(けい)を懐う。

解釈2. 子曰わく、君子は徳を懐(おも)い、小人は土(ど)を懐う。君子は刑を懐い、小人は恵(けい)を懐う。

英訳文
1. Confucius said, “If the monarch rules his country with benevolence, people will love their country. If the monarch rules his country with punishments, people will seek their benefits.”

2. Confucius said, “Gentlemen seek the virtue, worthless men seek the land. Gentlemen think of the effects of the law, worthless men think of their benefits.”

現代語訳
解釈1 孔子がおしゃいました、
「君主が仁愛を持って政治を行えば、人々は郷土愛に目覚める。君主が刑罰を持って政治を行えば、人々は自分の利益のみを考えるようになる。」

解釈2 孔子がおっしゃいました、
「人格者は徳を求め、取るに足らない人間は土地を求める。人格者は法の効果を思うが、取るに足らない人間は自分の利益のみを思う。」

Translated by へいはちろう

今回の文にも2通りの解釈があるのでござるが、解釈1が古注の解釈で解釈2が新注の解釈でござる。

どちらかと言えば古注の解釈の方が徳治主義を唱えた孔子の言葉らしいのでござるな。解釈2の方は仁徳の必要性を説きながらも刑法の効果に理解を示しているでござる。そこで何故こんな風に解釈の差が出るのか考えてみたでござる。

古注の書かれた魏の時代と新注の書かれた南宋の時代の法に対する人々の考え方の違いがこの様な解釈の違いを生じたと拙者は考えるでござる。

魏の時代と言えば儒学全盛を極めた漢帝国が政治腐敗→民衆蜂起→群雄割拠→三国鼎立という風に徳治政治の限界が露呈した時代で、簡単に言うと「出世してしまえばやりたい放題」の政治が否定されて、老荘思想が台頭して法家の政治家が辣腕を振るった時代でござる。この様に徳治の限界を認識しながらも厳しい法による政治に対して嫌悪感を抱く人々がまだ多かった時代に書かれたのが古注でござる。

反して南宋の時代といえば、儒学は政治思想というよりは官僚や富裕層の教養としての側面が強くなり、法によって政治を行う事が当たり前になった時代で、そんな時代に書かれたのが新注でござる。

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孔子の論語 里仁第四の十 君子の天下に於けるや、適も無く、莫も無し

 孔子の論語の翻訳76回目、里仁第四の十でござる。

漢文
子曰、君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比。

書き下し文
子曰わく、君子の天下に於(お)けるや、適(てき)も無く、莫(ばく)も無し。義にこれ与(とも)に比(した)しむ。

Confucius said, “Gentlemen deal with public matters impartially. They follow only justice.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「君子(人格者)は公(おおやけ)の物事を好悪の別無く公正に対処する、ただ正義だけに従うのだ。」

Translated by へいはちろう

善悪と好悪(善し悪しと好き嫌い)を別けるのは公事に携わる時の基本でござるな。赤ん坊などはともかく例え子供であろうとも公私の別をおろそかにすべきでは無いと拙者は考えるでござる。

しかし逆に言えば天下の公(おおやけ)を振りかざし他人の私事を土足で踏みにじる様な事も厳に慎まねばならないはず。

自らに対する厳格さと他者に対する寛容さは、拙者の理想とするところでござる。

・・・理想でござるよ、実際はどうかなぁ。

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