孔子の論語 里仁第四の十九 父母在せば、遠く遊ばす

 孔子の論語の翻訳85回目、里仁第四の十九でござる。

漢文
子曰、父母在、子不遠遊、遊必有方。

書き下し文
子曰わく、父母在(いま)せば、遠く遊ばす。遊ぶこと必ず方(ほう)あり。

英訳文
Confucius said, “Don’t travel to a distant place while your parents are alive. Tell them your travel plan when you travel.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「両親が存命中は遠くに出かけて長い間留守にしてはならない。出かけるにしても必ず旅程を告げてからにしなさい。」

Translated by へいはちろう

「かわいい子には旅をさせろ」と言われるでござるが、長い間顔を見ていないと心配するでござろうからな。

しかし前回に引き続き拙者は全く守れていないでござる。本サイトであるちょんまげ英語塾の「へいはちろう放浪記」にはタイやインドへ旅行に行った様子を掲載しているのでござるが、インドでパスポートの入った鞄を盗まれた時にはさぞかし心配した事でござろう。しかもこりずにいずれ南米や中東へも訪れてみたいと思っている次第。

しかし家族での台湾旅行もしたのと、母上の夢である「オーロラが見てみたい」と言うのを出来るだけ早く叶えてあげたいと思っているのでござるよ。

親孝行と親不孝の両立でチャラって事で一つ自分を慰めよう。

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孔子の論語 里仁第四の十八 父母に事うるには幾くに諌めよ

 孔子の論語の翻訳84回目、里仁第四の十八でござる。

漢文
子曰、事父母幾諌、見志不從、叉敬不違、勞而不怨。

書き下し文
子曰わく、父母に事(つか)うるには幾(ようや)くに諌(いさ)め、志しの従(したが)わざるを見ては、又た敬(けい)して違(たが)わず、労(ろう)して怨みず。

英訳文
Confucius said, “Choose gentle words when you advise your parents. Don’t be offended even if they didn’t take your advice. Never force them.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「親に忠告する時にはよくよく言葉を選ぶようにしなさい。もし親が忠告を聞き入れなかったとしても無理強いはせず、怒ったり恨みに思ったりしてはならない。」

Translated by へいはちろう

み・・・耳が痛い。思えば幼い頃は(今でもかも知れないが)親の忠告を聞かない子供でござったが、大人になって逆に親に忠告するような場面になると不思議と親の苦労が理解できるのでござる。親のためを思うからこそ忠告する。しかし聞き入れてもらえないとなると、恥ずかしながら若干の腹立ちを感じてしまうのでござる。

親だけではござらんな、相手の為を思ってした行動が相手の気分を損なう結果となる事は非常に多い。 それはおそらく相手の為を考えても相手の気持ちへの配慮が足りなったからでござろう。善意と独善(ひとりよがり)を混同せず相手の気持ちにまでも十分に配慮を配る事が出来たならば、それは「仁」と呼べるのでござろうか。

「仁」の実践、こんなに身近な所で出来て無いなぁ・・・・反省。

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孔子の論語 里仁第四の十七 賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる

孔子の論語の翻訳83回目、里仁第四の十七でござる。

漢文
子曰、見賢思齊焉、見不賢而内自省也。

書き下し文
子曰わく、賢(けん)を見ては斉(ひと)しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省(かえり)みる。

英訳文
Confucius said, “When you see a wise person, follow his good example. When you see a fool, avoid his bad example.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「賢い人に出会ったら良いお手本として見習い、愚かな人に出会ったら悪いお手本として自分の反省材料にしなさい。」

Translated by へいはちろう

老子は同じ様で若干違う事を言っているでござるな、

「善人は善人では無い者の手本であり、善人では無い者は善人の反省材料である。手本を尊敬せず反省材料を愛さないというのでは、多少の知恵があっても迷うことになるだろう。- 老子 第二十七章

孔子は「人のフリ見て我がフリ直せ」と言っておられるが、老子は「この世に不必要な人間などいない」と言っておられるのでござる。どちらも良い言葉でどちらも孔子らしい、老子らしい言葉でござるな。

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孔子の論語 里仁第四の十六 君子は義に喩り、小人は利に喩る

孔子の論語の翻訳82回目、里仁第四の十六でござる。

漢文
子曰、君子喩於義、小人喩於利。

書き下し文
子曰わく、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る。

Confucius said, “Gentlemen seek righteousness. Worthless men seek benefits.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「人格者は正しさを求め、つまらない人間は利益を求める。」

Translated by へいはちろう

あまりにもシンプルな文でござるが、逆説的に利益を求める様な人間はつまらない人間だと言う事でござるな。

利益追求を悪とする儒家と社会全体の利益追求をすべきだと説いた墨家が非常に仲が悪かった事は里仁第四の十二でも述べたのでござるが、何でこういう事になるのか考えて見たでござる。

儒家にとって利益を求める事を「利」、正しさを求める事を「義」としたと考えれば、まさに今回の文章のままでござるな。反して墨家は「兼愛(博愛精神)」からもたらされる社会全体の利益としての「交利」を説いており、それがなぜ儒家の言う「正しさ」とは違うのか疑問を呈しているのでござる。

ただ両者の決して相容れない相違は「礼」と「兼愛」の違いでござるな。「礼」は社会秩序のための身分区別を説いており、「兼愛」は平等と博愛を説いていて、この点において両学派は激しく対立しているのでござる。

孟子は墨家の兼愛思想について
「自分の両親までも他者と同じに扱うなど獣にも劣る」
と痛烈に批判し。

墨子の方ではこれに対し
「自分がもはや死ぬであろうと言う時、老いた両親を友人に託すとしたら自分の両親だけを大切にする人間に託すだろうか?それとも平等に大切にしてくれる人間に託すだろうか? 儒家も墨家も平等に大切にする人間に託すに違いない。」
と反論しているでござる。

どちらが正しいとかいう問題ではなく、こうして後世の議論を踏まえて論語を読めば、より面白いというだけの事でござるよ。

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孔子の論語 里仁第四の十五 夫子の道は忠恕のみ

孔子の論語の翻訳81回目、里仁第四の十五でござる。

漢文
子曰、參乎、吾道一以貫之哉、曾子曰、唯、子出、門人問曰、何謂也、曾子曰、夫子之道、忠恕而已無。

書き下し文
子曰わく、参(しん)よ、吾が道は一(いつ)以(もっ)てこれを貫(つらぬ)く。曾子(そうし)曰わく、唯(い)。子出(い)ず。門人(もんじん)問うて曰わく、何の謂(い)いぞや。曾子曰わく、夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ。

英訳文
Confucius said to Zeng Zi, “My life gives importance to keep only one thing.” Zeng Zi replied, “Yes, master.” After Confucius left, one pupil asked Zeng Zi, “What does master’s word mean?” Zeng Zi replied, “Master gives importance only to keep benevolence.”

現代語訳
孔子が曾子(曾参)におっしゃいました、
「参よ、私の人生はたった一つの事を貫く事にある。」
曾子は、
「はい。」
とだけ答えられました。孔子が出て行かれた後に弟子の一人が、
「今のはどういう意味でしょうか?」
と尋ね、曾子は、
「先生の人生は真心を貫く事にあるのだ。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

曾子(Zeng Zi, 姓は曾、名は参、字は子與。五経の一つである孝経を著した。ある時曾子と同姓同名の人間が人殺しをした。それを曾子と勘違いした人物が曾子の母親に「曾子が人を殺しましたよ。」と告げたが母親は信じなかった。次に別の人が同じ事を告げたがやはり母親は信じなかった。しかし三人目が同じ事を告げた時にとうとう母親は信じてしまい、慌てて家から飛び出したという。とても人殺しなどはしそうにも無い人格者である曾子、そして母親と言えば最後まで子供を信じるもの。人は何度も同じ嘘を聞けば信じてしまうと言う教訓。)

忠恕(ちゅうじょ)とは一般的に真心や思いやり、誠実さと解される事が多いのでござるが、仁を別の言い方にしたと解釈していただいて構わないでござるな。つまり忠恕を学問(知識と実践)によって人々に広めるのが孔子の使命だという事でござる。

孔子は衛霊公第十五の三でも子貢に対して「お前は私が何でも知っている物知りだと思っているのか?」と聞き、子貢が「はい」と答えると「私はたった一つの事を貫いているだけなのだ。」と答えているのでござる。

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