孔子の論語 述而第七の十五 疏食を飯い水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす。楽しみ亦其の中に在り

孔子の論語の翻訳165回目、述而第七の十五でござる。

漢文
子曰、飯疏食飮水、曲肱而枕之、樂亦在其中矣、不義而富且貴、於我如浮雲。

書き下し文
子曰わく、疏食(そし)を飯(くら)い水を飲み、肱(ひじ)を曲げてこれを枕とす。楽しみ亦(また)其の中に在り。不義にして富み且(か)つ貴(たっと)きは、我に於(おい)て浮雲(ふうん)の如(ご)とし。

英訳文
Confucius said, “Eating poor meals and sleeping without a pillow, such a life has also pleasure. Earning money and getting a high position by dishonest means, such a life is fleeting clouds for me.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「粗末な食事を食べて肘を枕に眠る、そんな生活の中にも喜びはある。不正に金を儲けて高い地位を得る、そんな生き方は私にとっては浮雲のようにはかなく感じられる。」

Translated by へいはちろう

清貧を貴ぶ教えでござるな。清貧といえば孔子よりも老子のイメージなのでござるが、老子の場合は手段にかかわらず必要以上の財は持つべきで無いという考えで、孔子の場合は正当に財を得て他者のためにそれを使うならば蓄財も悪いことでは無い、という感じでござろうか。

老子と孔子という哲学の比較も面白いでござるが、本来同じ価値観を持っていた文化圏から生まれた多くの思想に財産をどの様に考えるかという差異の共通点が見られる場合が多いのは面白いことだと思う次第。歴史的な言い方をすれば、商人などの中産階級が発展すると蓄財を是とする思想が生まれるのでござる。哲学や思想のために生きるのではなく、人々の暮らしのために哲学や思想があるのだというよい証左の一つでござるな。

日本では古来より裕福な人を素直に羨ましく感じつつ、人格的に否定する様な一面があるでござるな。「武士は食わねど高楊枝」とかいう言葉もある様に高潔な人=清貧、というイメージでござる。日本で貨幣経済が根付いて中産階級が発展したと言えば江戸時代なのでござるが、支配者階級であった武士に極端な清貧・節約の思想があったために蓄財は是という考えはあまり発展しなかったのでござる。

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孔子の論語 述而第七の十四 仁を求めて仁を得たり、又た何ぞ怨みん

孔子の論語の翻訳164回目、述而第七の十四でござる。

漢文
冉有曰、夫子爲衛君乎、子貢曰、諾、吾將問之、入曰、伯夷叔齊何人也、子曰、古之賢人也、曰怨乎、曰、求仁而得仁、叉何怨乎、出曰、夫子夫爲也。

書き下し文
冉有(ぜんゆう)が曰わく、夫子(ふうし)は衛(えい)の君を為(たす)けんか。子貢(しこう)が曰わく、諾(だく)、吾(われ)将(まさ)にこれを問わんとす。入りて曰わく、伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)は何人ぞや。曰わく、古 (いにしえ)の賢人なり。曰わく、怨(うらみ)たるか。曰わく、仁を求めて仁を得たり。又た何ぞ怨みん。出でて曰わく、夫子は為(たす)けじ。

英訳文
Ran You asked Zi Gong, “Is master going to help Lord of Wei?” Zi Gong replied, “Good question. I also want to know that.” Then Zi Gong entered Confucius’s room and asked, “What kind people are Bo Yi and Shu Qi?” Confucius replied, “They were ancient sages.” Zi Gong asked again, “Did they regret refusing the throne?” Confucius replied, “They aspired the benevolent and obtained it. They never regretted.” Zi Gong left the room and said to Ran You, “Master will not help Lord of Wei.”

現代語訳
冉有(ぜんゆう)が子貢(しこう)に、
「先生は衛公を助けられるでしょうか?」
と尋たので、子貢は、
「そうですね、私もそれが知りたかったところです。」
と言って孔子の部屋に入り、尋ねました、
「伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)はどんな人物でしょうか?」
孔子は、
「古代の賢人だ。」
と答えられ、子貢はさらに、
「彼らは君主の座を辞退した事を後悔したでしょうか?」
と尋ね、孔子は、
「仁を為そうとして、仁を得たのだ。どうして後悔などしようか。」
と答えられました。
子貢は満足して退出し、冉有に、
「先生は衛公を助けられないでしょう。」
と言いました。

Translated by へいはちろう

冉有(ぜんゆう:姓は冉、名は求、字は子有。孔門十哲の一人。詳細は八佾第三の六に。)

子貢(しこう:姓は端木、名は賜、字は子貢。孔門十哲の一人。詳細は公冶長第五の九に。)

伯夷・叔齊(はくい・しゅくせい:孤竹国の公子の兄弟。君位を譲り合ってついに二人とも国を去った。詳細は公冶長第五の二十三に。)

当時の衛の国は先代の霊公が亡くなった後、太子の蒯聵(かいかい)が霊公の寵姫であった南子(なんし)の暗殺に失敗して晋に亡命していたために、蒯聵の子であった輒(ちょう)が衛公となり治めていたのでござるが(出公)、蒯聵はこれを認めず帰国して自分が衛公になろうとしたのでござる。

その際に孔子がどちらの味方をするか弟子たちは気をもんだのでござるが、子貢は伯夷・叔斉を例に孔子の考えを知ろうとしたのでござる。結局孔子はどちらの味方もされなかったのでござるが、しかしよくよく考えてみれば子貢がこの二人を例に出す時点で確信的に聞いたとしか思えないでござるな。

このお家騒動は蒯聵が勝利して衛公となって終結するのでござるが(荘公)、当時衛の街の代官を務めていた孔子の弟子の子路が巻き込まれて死亡しているでござる。

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孔子の論語 述而第七の十三 図らざりき、楽を為すことの斯に至らんとは

孔子の論語の翻訳163回目、述而第七の十三でござる。

漢文
子在齊、聞韶樂三月、不知肉味、曰、不圖爲樂之至於斯也。

書き下し文
子、斉に在(いま)して、三月、肉の味を知らず。曰わく、図(はか)らざりき、楽を為すことの斯(ここ)に至らんとは。

英訳文
Confucius listened to Shao music when he stayed in Qi. He was impressed by the music as he couldn’t taste anything for three months. Confucius said, “I’ve never thought that a music can be so lofty.”

現代語訳
孔子が斉の国に滞在されている時、韶(しょう)の音楽を聞かれて感動し、三ヶ月間肉の味が解らない程でした。そして、
「音楽がこの様な高みに達しようとは想像もしなかった。」
とおっしゃいました。

Translated by へいはちろう

(しょう:伝説上の聖帝である舜(しゅん)が作ったとされる曲。八佾第三の二十五でも孔子は韶を絶賛している。)

儒学では礼楽というように礼と並んで重要視されるのが音楽でござるな。一言で音楽といっても、詩・歌・楽奏・舞踊と多岐に渡っており、儀式に使われる様な宮廷音楽から人々の生活から生まれてきた民謡まで幅広く孔子は音楽を愛されたそうでござる。

儒学の五経の一つであり、孔子が編纂したとされる詩経には当時の中国で親しまれていた民謡から、宮廷行事などで演奏された音楽の詩篇が収録されており、当時の人々の生活をうかがい知る貴重な資料となっているのでござる。

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孔子の論語 述而第七の十二 子の慎しむ所は、斉、戦、疾なり

孔子の論語の翻訳162回目、述而第七の十二でござる。

漢文
子之所愼、齊戰疾。

書き下し文
子の慎しむ所は、斉(せい)、戦(せん)、疾(しつ)なり。

英訳文
Confucius coped with three things prudently. Purification for the rites, war and illness.

現代語訳
孔子は祭祀のための斎戒、戦争、病気の3つに対しては慎重に対処されました。

Translated by へいはちろう

斎戒(さいかい)とは斎戒沐浴(さいかいもくよく)などとよく言われるように、神事や祭祀を執り行う前の一定期間に肉食や酒色などを避けて身を清める行為の事でござる。沐浴の方は仏教やヒンズー教など比較的温暖な地域を中心に広まった行為でござるが、斎戒の方は日本の神道や儒教などアジア全体で行われる行為でござるな。

しかし確かに孔子ならばこれらに慎重だったであろうと思えても、どの様に慎重であったか解らないといまいち納得が出来ない文でござるな。

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孔子の論語 述而第七の十一 富にして求むべくんば、執鞭の士と雖も吾亦これを為さん

孔子の論語の翻訳161回目、述而第七の十一でござる。

漢文
子曰、富而可求也、雖執鞭之士、吾亦爲之、如不可求、從吾所好。

書き下し文
子曰わく、富(とみ)にして求むべくんば、執鞭(しつべん)の士と雖(いえど)も、吾(われ)亦(また)これを為(な)さん。如(も)し求むべからずんば、吾が好む所に従わん。

英訳文
Confucius said, “If I can earn money by right means, I would become a herald who sends people away with a whip. Otherwise, I would rather live as my wish.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「もし正当な手段で富が手に入るならば、私は鞭を使って人々を追い払う露払いの役をしても良い。でなければむしろ自分の好きな生き方をしたい。」

Translated by へいはちろう

執鞭(しつべん)とは高貴な人の列が道を行く時などに鞭をもって人々を追い払って道を空ける役目でござる。日本の大名行列などで「下にぃ、下に」と言って道を空ける露払いと同じでござるな。高貴な人のために露払いをするということは必然的に身分が低い者の務めなので、少なくとも君子の役目では無いとされていたのでござろう。

孔子は正当な手段でお金を得るならば職業の貴賎は問題ではないとおっしゃっているのでござる。そして同時に不正な手段でお金を得る事を戒めているのでござるな。

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