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孔子の論語 子罕第九の十二 子路、門人をして臣たらしむ

孔子の論語の翻訳220回目、子罕第九の十二でござる。

漢文
子疾病、子路使門人爲臣、病間曰、久矣哉、由之行詐也、無臣而爲有臣、吾誰欺、欺天乎、且予與其死於臣之手也、無寧死於二三子之手乎、且予縦不得大葬、予死於道路乎。

書き下し文
子の疾(やまい)、病(へい)なり。子路(しろ)、門人(もんじん)をして臣たらしむ。病、間(かん)なるときに曰わく、久しかな、由(ゆう)の詐(いつわ)りを行うや。臣なくして臣ありと為す。吾誰をか欺(あざむ)かん。天を欺かんか。且(か)つ予(わ)れ其の臣の手に死なんよりは、無寧(むしろ)二三子(にさんし)の手に死なんか。且つ予れ縦(たと)い大葬(たいそう)を得ずとも、予れ道路に死なんや。

英訳文
Confucius had got a critical illness. Zi Lu made other pupils pretend to be Confucius’s vassals. When illness was better, Confucius said, “Have you been deceiving for a long time? I don’t have any vassals. Who do you want to deceive? Heaven? I would rather be mourned by you as you are. Even if you cannot hold a grand funeral for me, I will not die on the roadside alone.”

現代語訳
孔子が病で危篤状態になられました。
子路(しろ)は弟子たちに孔子の家来のフリをさせ、孔子の最後を立派に飾ろうとしました。
病態が少しよくなった時に孔子はおっしゃいました、
「私が病で臥せっている間に随分長く偽りを行っていたものだな、家来のいる身分でないのに家来のフリをさせるとは。一体お前は誰を騙そうとしていたのだ、天を騙そうというのか? それに私は家来達に弔われるよりは本来のお前たちによって弔われたい。私は王侯貴族の様な盛大な葬儀をしてもらえなくとも、道端で孤独に死ぬわけではないのだから。」

Translated by へいはちろう

子路(しろ:孔門十哲の一人。詳細は公冶長第五の七に。)

子路らしいエピソードでござるな。生きて政治家として成功できなかった孔子のために、せめて立派な最後を飾らせてあげようとしたのでござろう。

しかし孔子はそんな子路の気持ちを汲み取りながらも、筋を通す事を諭すのでござる。この場にもし拙者が居合わせたとしたら、涙を留める自信が無いでござる。

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孔子の論語 子罕第九の十一 これを仰げば彌々高く、これを鑽れば彌々堅し

孔子の論語の翻訳219回目、子罕第九の十一でござる。

漢文
顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅、瞻之在前、忽焉在後、夫子循循善誘人、博我以文、約我以禮、欲罷不能、既竭吾才、如有所立卓爾、雖欲從之、末由也已。

書き下し文
顔淵(がんえん)、喟然(きぜん)として歎(たん)じて曰わく、これを仰げば彌々(いよいよ)高く、これを鑽(き)れば彌々堅し。これを瞻(み)るに前に在(あ)れば、忽焉(こつえ ん)として後(しりえ)に在り。夫子(ふうし)、循々然(じゅんじゅんぜん)として善く人を誘(いざな)う。我を博(ひろ)むるに文を以(もっ)てし、我を約(やく)するに礼を以てす。罷(や)まんと欲するも能(あた)わず。既(すで)に吾が才を竭(つ)くす。立つ所ありて卓爾(たくじ)たるが如(ごと)し。これに従わんと欲すと雖(いえど)も、由(よし)なきのみ。

英訳文
Yan Yuan said with sighs, “Confucius’s virtue is as high as I look up. His will is as solid as I cannot cut. But his thought is flexible as he appears behind me when I think he is in front of me. He leads people in order. He teaches me various knowledge with books and disciplines me with the courtesy. So I cannot quit his pupil. I have already done my best. But he is as high as he stands up at a mountain. I wish I could overtake him, but it is impossible.”

現代語訳
顔淵(がんえん)が溜息まじりに言いました、
「先生の徳は見上げるほどに益々高く、その意志は切りつけようとすれば益々固い。それでいて前に居たかと思うとふいに後ろに現れるように柔軟に物を考える。先生は順序よく人々を導き、私に対しては書物を用いて幅広い知識を教えて下さり、礼儀を用いて私を引き締めて下さる。それ故に私は先生の弟子を辞める事などできないのだ。私自身は出来る努力を尽くしているつもりなのだが、先生は高所にそびえ立って居られるかの様に私には感じる。出来れば私もその様な高みに達したいと思うのだが、まず無理であろう。」

Translated by へいはちろう

顔淵(がんえん:顔回とも呼ぶ。姓は顔、名は回、字は子淵。孔門十哲の一人。詳細は公冶長第五の九に。)

師にとって最大の幸福は良き弟子を得ること。弟子にとって最大の幸福は良き師を得ること。師弟にとって最大の幸福はお互いをよく理解し合う事。

まさに理想の師弟関係でござるな。

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孔子の論語 子罕第九の十 これを見ては少しと雖も必ず作ち、これを過ぐれば必ず趨る

孔子の論語の翻訳218回目、子罕第九の十でござる。

漢文
子見齊衰者冕衣裳者與瞽者、見之雖少者必作、過之必趨。

書き下し文
子、斉衰(しさい)の者と冕衣裳(べんいしょう)の者と瞽者(こしゃ)とを見れば、これを見ては少(わか)しと雖(いえど)も必ず作(た)ち、これを過ぐれば必ず趨(はし)る。

英訳文
When Confucius saw a person being in mourning, wearing full dress or a blind person, he always stood up to pay his respects even if they were younger than him. He also ran with short steps when he passed by them.

現代語訳
孔子は喪服を着た人と礼服を着た人と盲人を見かけた時は、たとえそれが年少者であっても立ち上がって敬意を表された。また彼らの側を通り過ぎる時には小走りになって敬意を表された。

Translated by へいはちろう

衛霊公第十五の四十二でも孔子は盲人の楽師に対して手取り足取り世話をしているでござるな。

当時の中国では盲人は楽師になる事が多かったようでござる。日本でも琵琶法師や座頭とよばれる按摩師・鍼灸師の人々は盲人であることが多かったのでござる。(座頭は本来は琵琶法師の位の名前)

京都のお土産で有名な「八橋」の名前の由来である八橋検校(やつはしけんぎょう)も盲人の楽師でござるな、彼らは朝廷や幕府から保護されて日本の音楽文化を支える役目を担っていたのでござる。

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孔子の論語 子罕第九の九 鳳鳥至らず、河、図を出ださず

孔子の論語の翻訳217回目、子罕第九の九でござる。

漢文
子曰、鳳鳥不至、河不出圖、吾已矣夫。

書き下し文
子曰わく、鳳鳥(ほうちょう)至らず、河(か)、図(と)を出ださず。吾やんぬるかな。

英訳文
Confucius said, “A Phoenix has not appeared. A holy chart has not appeared from the Yellow River. (these are Chinese ancient holy omens.) I think it’s all over.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「世を治める聖天子の出現の前兆である鳳凰は現れない。人々に天の英知を与える図書も黄河から出てこない。もうお終いだな。」

Translated by へいはちろう

鳳凰(ほうおう:中国の伝説の聖獣。混乱した世の中を治める聖天子の出現の前に現れるとされる。舜帝や周の文王の時代に出現したとされる。)

黄河からの図書(周易に伝わる伝説。易で使われる八卦の図は黄河から龍馬と呼ばれる聖獣が出現し、その背中に背負われていた図書に書かれていたという。また洛水からは神亀が洪範九疇の書を背負って出現したとされる。八卦と洪範九疇はともに陰陽五行説の根幹をなしている。二つの伝説を併せて、河図洛書(かとらくしょ)と呼ばれる。「天、象を垂れ、吉凶を見す。聖人これに象る。河は図を出し、洛は書を出す。聖人これに則る」)

若い頃より学問の道に志し、名君に仕えて理想を実現する事を目指した孔子。しかし実際には現実に敗れて失意の晩年を過ごしたのでござるが、今回の文章からは孔子のお気持ちが痛いほど伝わってくるようでござる。

しかしまさか孔子自身が死後に伝説の聖天子をも超える聖人として人々から敬われるようになるとは、夢にも思わなかったでござろうな。皮肉なものでござる。

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孔子の論語 子罕第九の八 我其の両端を叩いて竭くす

孔子の論語の翻訳216回目、子罕第九の八でござる。

漢文
子曰、吾有知乎哉、無知也、有鄙夫、來問於我、空空如也、我叩其兩端而竭焉。

書き下し文
子曰わく、吾知ること有らんや、知ること無きなり。鄙夫(ひふ)あり、来たりて我に問う、空空如(こうこうじょ)たり。我其の両端(りょうたん)を叩いて竭(つ)くす。

英訳文
Confucius said, “Do I have wisdom? No, I do not. When someone visits me to ask a question, I always reply understanding what he is saying, even if he is a poor talker.”

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私を物知りだと思うのか? いいや私は物知りなのでは無い。例えば口下手な人がやってきて私に何かを質問したとする、私はいつでも彼の意図するところを理解しながら返答してあげているだけなのだ。」

Translated by へいはちろう

知恵の本質を表している言葉でござるな。

どんな人の話でもきちんと聞き、そこから相手に解り易いような答えを導きだしてやるという孔子の有り様は、ぜひとも見習いたいものでござるな。簡単では無いだろうけど。

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