孔子の論語の翻訳213回目、子罕第九の五でござる。
漢文
子畏於匡、曰、文王既沒、文不在茲乎、天之將喪斯文也、後死者不得與於斯文也、天之未喪斯文也、匡人其如予何。
書き下し文
子、匡(きょう)に畏(おそ)る。曰わく、文王(ぶんおう)既に没したれども、文茲(ここ)に在らずや。天の将(まさ)に斯(こ)の文を喪(ほろ)ぼさんとするや、後死(こうし) の者、斯の文に与(あず)かることを得ざるなり。天の未(いま)だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人(きょうひと)其れ予(わ)れを如何(いかん)。
英訳文
People of Kuang arrested Confucius and his pupils to harm them. Confucius said, “King Wen was dead already. But I have succeeded to the culture he made. If heaven had wanted to ruin this culture, I would not have been able to succeed to it. But heaven has not ruined this culture yet. What on earth can people of Kuang do to me?”
現代語訳
匡(きょう)の人々が孔子と弟子達を捕らえて危害を加えようとした。
その時孔子はおっしゃいました、
「周の文王(ぶんおう)は既に亡くなっているが、彼の始めた文化は私が受け継いでいる。もし天が彼の始めた文化を滅ぼしてしまおうとお考えなら、そもそも私がそれを受け継げる道理が無い。しかし現に私がその文化を受け継いでいる以上は、匡の人々ごときが天に逆らって私をどうにかできるはずもない。」
Translated by へいはちろう
文王(ぶんおう:武王の父。詳細は泰伯第八の二十に。)
今回の話は孔子一行が衛の国を出て陳の国へ向かう途上で、魯の国で一時期権勢を誇った陽貨という人物と間違われて陽貨に恨みを抱く匡の人々に捕らえられてしまった時のエピソードでござるな。
結局は弟子を使って衛の国へ救援を求めて、衛の国の兵隊よって助け出されるのでござるが、述而第七の二十二でも同じ様に「自分には天命があるから、こんな所で死ぬわけが無い」とおっしゃっているでござる。
孔子にたとえ天命があっても、弟子たちはどうか解らない・・・というツッコミはさておいて、為政第二の四で「50にして天命を知る」とおっしゃっているように、自分の命が既に自分のものでは無いと自覚しておいでだったのでござろう。当然のことながら、孔子が勝手にあきらめて死ぬことも許されないと思っていたに違いないでござるな。
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